リー・クアンユー回顧録(下)

   本書は、「From Third World To First, The Singapore Story : 1965-2000 ー Memories of LEE KUAN YEW」の訳出で、邦題上、「リー・クアンユー回顧録」の下巻にあたります。しかし、このタイトルは日本の出版社の意向上、前書(リー・クアンユー回顧録/上巻)の続編ということにしているだけで、リー氏本人は、本書は、前書(英題は「The Singapore Story ー Memories of LEE KUAN YEW」)とは独立した書物と考えていて、構成も変えています。前書では、年代順に、自身の生い立ちから、英国植民地化でのシンガポールでの生活、第二次世界大戦における日本の植民地化、その後の英国の再植民地化、自身の弁護士事務所開業から、政界入り、共産主義者との連立政権の発足、マレーシア連合への参加と脱退、そして、シンガポール独立までを描いていましたが、本書ではシンガポール独立以降の政治的、経済的、外交的テーマを個別に記述しているのが特色になっています。

 個人的には本書の方が、前書よりもリー氏自身の考え方がテーマ別にはっきり記述されているので、テーマについてどのように考えて、どういう価値観を持っている人物なのかということがよくわかりました。本書内容は、大まかには第一部の「国の基礎を固める」では、シンガポール国内の課題をテーマ別に分け、第二部の「生存空間を求めて」では、東南アジア諸国(マレーシア、インドネシア、そしてASEAN諸国)、英国連邦の国々、ソ連、アメリカ、日本、そして中国と台湾との指導者たちとの直接の外交体験から得た感想を実直に語っています。日本人として特に興味深かったのは、第31章の「日本の奇跡」と第32章の「日本の教訓」です。また、華人であるリー氏の母国である中国、そして、その中国と台湾との関係についてふれているところ(第35章から第40章)もとても興味深く読めました。

  リー氏は、シンガポール首相になってから国内顧問退任までの50年以上にわたりシンガポールの国務や外交に携わっていたので、とにかくいろいろな国の指導者に会う機会、回数は際立っていました。日本の指導者においても昭和天皇皇后両陛下を始め、池田勇人氏から宮沢喜一氏までの歴代首相に会っていて、その歴代首相とのエピソードは本書においても語っています。中でもリー氏にとって印象的だったのは、(やはりというべきか)田中角栄氏で、「彼とは73年に東京で初めて会った。田中は、一介の土建業者から身を興した人で、人間ブルトーザーの異名をとるコンピューターのような頭脳の持ち主だった。(中略)がっしりした体にエネルギーが満ち溢れ、単刀直入に物事に切り込む彼の手法は、他の日本の首相とは一味違っていた。田中は大学を出ていなかったが、首相として勝るとも劣らぬ活躍をしていた。」(P437)と語っています。

  本書で個人的に特に印象に残ったのは、アメリカが、特に90年代から人権擁護と民主化を海外に押し付けるようになった、その外交に対するリー氏の考え、それに、シンガポール(をはじめとする東アジア諸国)が儒教思想を社会の価値観としてきたこと、そして、その価値観の良さを強調している点です。(シンガポールのような、西洋諸国から見て経済的に成功した国の指導者が、はっきりと東洋の価値観の良さを強調することは、アジアの人間としてとても誇らしく感じました。)また、民主主義的政治システムをうまく機能させるには「高水準の教育を受けた国民、経済発展、それなりの規模の中流階級が存在する社会があることが前提。」と考えていて、「さまざまな国(社会)が何千年もの時間をかけて別々に発展したのだから各社会の持つ理想と常識は違って当然で、それゆえ二十世紀終盤のアメリカ流、ヨーロッパ流の人権水準を全世界に当てはめようとすること自体が無理である。」と話します。しかし、一方では「衛星テレビ(今ではインターネット)の時代に政府が自国民に残虐な行為をしていれば、それを隠すのはいまや難しくなってきている。ゆっくりとではあるが確実に、内政不干渉と政府が国民を文明的、人道的に扱うべきとする道義的権利との間で均衡がとれていくだろう。非人道的で残虐な方法は非難され、世界が受容できる共通水準に収斂していくだろう。」と語っています。(P418)(この発言にはおそらく当時の中国の天安門事件の影響があると思います。)そして、アメリカの考える「自由」という概念については、東アジアの儒教的社会と西洋の自由社会には根本的違いがあるとして、「シンガポールでは社会の秩序や質実・勤勉・忠孝・年長者や勤労者に対する尊敬といった文化を守るのに、家族の結束、家族の個人への影響の強さといったものが大きな役割を果たし、これらの価値観が生産的な人間をはぐくみ、経済成長の基礎となるのである。自由というものは、秩序ある社会にしか存在しえない。東洋の社会が目標とするのは秩序ある社会であり、社会に秩序があるからこそ誰もが最大限の自由を手に入れられる。」と考えています。(P419)

  また、リー氏は福祉政策(の行き過ぎ)は国民の自立のために良くないと考えているのですが、これも独立自尊を常に意識せざるを得なかったシンガポールの指導者らしい言葉だと思いました。「英国とスェーデンの福祉コストを見て、我々は政府を弱体化するシステムを避けなければならないと思った。福祉は自助の努力をひそかに害する。家族の幸せのために働く必要がないのだから。我々は、男が自分の家族すなわち両親、妻および子供に責任を持つ儒教の伝統を補強するのが最善と考えた。。。」(P99)この考えは社会的弱者を切る捨てるかのように受け取られるものであり、実際当時においてもこの発言は、野党や海外メディアから攻撃されたそうです。しかし、日本やアメリカでもそうですが、戦後、右肩上がりの経済成長のもとでつくった、(しっかりした)福祉システムが現在の我々先進国の財政を圧迫しているという状況をリー氏は当時からはっきり予見しそのように考えたのです。福祉政策については様々な意見がありますが、しかし、第一義的にはやはり国民個人の「自助努力」である点は間違いないと思います。

  さきほども書きましたが、リー氏は、晩年の毛沢東と面会したのを皮切りに、周恩来、鄧小平、華国鋒、趙紫陽らの歴代の中国指導者、そして台湾指導者の蔣 経国、李 登輝、陳 水扁等と実際に会って意見交換する機会に恵まれました。この経験をもとに、中国指導者の開かれた経済政策へ向けた考え方の変遷、台湾指導者の中国に対する考え方、そして中国と台湾関係がどうあるべきか、自身の考えを語っています。日本人だと、東南アジアの華人の人々が母国中国をどうみているのか、また、逆に中国人が華人をどう見ているのか? よくわからないのですが、本書においては、その辺の機微な点も語られているところが面白いと思いました。

  東南アジアの要衝にあり、異なる文化圏に囲まれたシンガポールで、隣国諸国、ヨーロッパ諸国、共産圏国、アメリカなどと上手に綱渡りをしながら外交を紡ぎあげ、一代でシンガポールを独自の手腕で経済的にアジアNO1の地位に押し上げたリー・クアンユー氏。リー氏のプラグマスティックな政治手腕、論理的で、独善的にならず常に周囲との共存、バランスをとる姿勢、大局的に物事を判断する能力、トップになっても奢侈な生活に沈殿しない国の公僕としての姿勢、年齢に関係ない向上意欲、、、アジアにとって素晴らしい指導者であり、知性の持ち主であったと思います。うーん。。リー氏の本を読むごとに氏への敬意が増していきます。

  それから本書にちょっとだけ触れていますが、リー氏のその的確な判断、行動の元になっている情報は、英国政府からのものであるようです。だとすると本書でリー氏が語るようにシンガポールの行ってきた外交政策がいかに妥当でありえたのか、というのもある意味うなずけます。なぜなら、英国は昔からヨーロッパ諸国と様々な交流を持ち、かつ大英帝国として植民地活動を行い、英国連邦を築いた、その昔から培ってきた外交の質がもたらす情報の確かさは抜群のものだからです。本書でも触れていますが、英国の留学以降も、マーガレット・サッチャーやトニー・ブレアさんなど英国政治家との良好な関係も維持し続けたこともリーさんにとって大きな財産だったのでしょう。

( 実は、この「リー・クアンユー回顧録」(上、下)は、もう絶版になっていて、中古で購入しようとしたところ(もともとの定価は2800円)、なんとプレミア価格で3万~8万円という値段がついていて、今回は図書館で借りて読みました。)