教養としての社会保障 No1
皆さんは「社会保障」というと、どんなことを連想しますか。。けがや病気の時に使う保険証、年金手帳、会社での年末調整、日本年金機構や健康保険組合。。最近では、よく国会で議論される社会保障の費用増加。。。正直、「社会保障」というのは制度自体が巨大、かつ複雑。また国会などでは制度改革のやり玉にあげられることが多く、正直あまり肯定的なイメージを持ちにくい人も多いと思います。 そういった、日本の社会保障制度をなんとなく、、というレベルで理解している人(私もその一人でした。。)に読んで頂きたいのが今回紹介する「教養としての社会保障」(著者/香取照幸さん)です。著者の香取さんは、1980年に旧厚生省に入省。在フランスOECD事務局、内閣参事官、政策統括官、年金局長、雇用均等・児童家庭局長等を歴任。その間、介護保険法、子ども・子育て支援法、国民年金法、男女雇用機会均等法、GPIF改革等数々の制度創設・改正を担当し、さらには内閣官房内閣審議官として「社会保障・税一体改革」の取りまとめを行った元官僚です。
このような経歴を紹介すると、とっつきにくそうなバリバリの公務員が書いた固い内容の教科書みたいな印象を受ける向きもあるかと思いますが、そんなことはありません。我が国の社会保障の誕生、その誕生当時の社会保障の理念、日本の経済成長に伴い巨大化していき、その機能の綻びを継ぎ接ぎ的なやり方で制度を維持してきた様子や、今後必要とされる変革へのヒントなどが、外国の社会保障に関する図や数字と共に要点を整理されわかりやすく書かれています。
社会保障制度とは(教科書的説明では)、「国民の安心や生活の安定を支えるセーフティネット。社会保険、社会福祉、公的扶助、保険医療・公衆衛生からなり、人々の生活を生涯にわたって支えるもの。」となります。社会福祉や保健医療もそうですが、我々に一番おなじみなのは毎月の給与から負担している「社会保険」です。これは「病気、けが、出産、死亡、老齢、障害、失業など生活の困難をもたらす事故に遭遇した場合に一定の給付を行い、その生活の安定を図ることを目的とした強制加入の保険」です。社会保障制度というのは、とにかく巨大な制度体系で、年間100兆円を超える額がこの社会保障を構成する一つ一つの制度に基づいて、現金支給やサービス提供という形で動いています。制度運用の主体も様々で、国、自治体の様々な部署、保険組合などが関わり、サービスそのものの提供にしても、公的団体だけでなく、病院、福祉施設、介護サービス会社、保育園、民間企業などいくつもの企業や団体が関わっています。
日本の社会保険制度の一番の特色は、その制度が「皆保険・皆年金制度」(すべての国民が公的医療保険に加入し、20歳以上60歳未満のすべての国民が公的年金に加入する制度)であるという点です。つまり、全ての国民が公的な健康保険、年金保険制度への加入を義務付けられますが、誰もが必要な時に医療機関を受診でき、老後に基礎年金を受給できる、ということです。 我々の世代の日本人は、小さい時からこの制度と共に育っているので、他の国でもあたり前だと勘違いしますが、実はこの皆保険・皆年金制度、世界でも稀な制度で、香取さんは「全ての国民を等しく対象とする、という理想を具現化した制度で、この制度をつくった当時の政治家・官僚は非常に立派な仕事をした、」と言います。見方を変えれば、日本全土が焼け野原になった戦争が終わって16年しか経っていない当時、まだ日本国民全員が皆貧しく、復興を目指していて、「みんで助け合って生きて行こう」という共通意識の上にこの制度がすんなり受け入れられた(制定は1961年)。そして、この社会保障制度があったからこそ、日本では極端な所得格差を生じることもなく、社会からの脱落者を最小限に止めながら、全国民が高度経済成長を等しく享受することができた。このことが日本の成長を実現させたのです。
前述した、社会保障制度の説明の中に「セーフティネット」という言葉があります。このセーフティーネットというのは、サーカスなどの「空中ブランコ」や「綱渡り」など空中のパフォーマーを保護するネットで、パフォーマンスに失敗してもケガをしないようにするものですが、ここから派生し、通常の生活で大事故に遭ったり、大病や失業しても家計が壊されないよう張り巡らせた保護政策という意味になっていると思いますが、香取さんは、このセーフティネットにはもっと肯定的な意味があると言います。「むしろ、セーフティーネットがあるからこそ、パフォーマーは思い切り飛んだり、空中で回転したりと新しい技、より難しい技に挑戦することができる」。社会でも同じで、社会保障というセーフティネットがあるからこそ、人々は、事業(仕事)、プライベート、研究、スポーツ、芸術など自己実現のため、失敗を恐れず果敢に挑戦していくことができます。人生は、一試合一試合で勝敗を決め、最期の勝者が全てを総どりするトーナメント戦ではなく、リーグ戦だ、と香取さんは言います。「今日試合に負けてケガをしてもまた次回の試合で勝つチャンスがある。」それが資本主義で、社会保障は、試合でケガを負った人が、そのケガを直し次回の試合に勝つ気力を育むものなのです。ブラックホールや宇宙の起源の研究で著名な理論物理学者、S・ホーキング博士は御存知のようにALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を負っていたにもかかわらず偉大な研究を成し遂げました。近代の社会保障が、彼の研究を後押しした、とも言えるでしょう。
前述した通り、当時の日本人の高い理想の基につくられた社会保障制度ですが、近年においては経済成長の鈍化・停滞、少子高齢化といった問題のため、制度全体に軋みが表面化してきているのも事実です。まず、GDPに占める社会保障の規模ですが、近年の日本のGDP479兆円(*)のうち社会保障支出は104兆円、GDP比20%を占めます。(一方、社会保障を除く政府の行政サービス支出は74兆円に留まる。)また企業が支払う直接税は、年13兆円ですが、それに比べ社会保障における雇用主負担分は25兆円なので、企業にとっては、国に払う税金より、社会保障における負担の方が2倍近く多いのです。また、我々個人(家計部門)も同様です。直接税、年25兆円に対し、(家計部門における)社会保障の本人負担は、30兆円にのぼります。企業も個人も直接税に関しては、実は税よりも社会保障費の方が負担率が高いのです。
このように書いていくと我々の社会保障がネガティブなものに感じられますが、国際比較でみると、日本の社会保障が少し違って見えてきます。例えば、国際的に見ると日本の事業主が負担している社会保険料は決して大きい額ではありません(下図6-9)。 また、高齢化率と社会保障給付の規模を国際的に比較すると、日本の社会保障給付率はかなり小さい額に留まっているのです(下図6-6)。 例えば、医療費の対GDP比はアメリカの半分強、欧州諸国とほぼ同水準です。香取さんは「日本の高齢化率の高さを勘案したらこれはかなりの低水準。これは日本の医療は、診療報酬において、「公定価格」として全国一律の料金体制が定められていることもあり、「公平かつ平等で医療サービスへのアクセスも極めて良く、低廉なコストで高いパフォーマンスを実現している。」と話します。
(図6-9)
(図6-6)
(*)この部分の数字は全て2010年度のもの
(No2へ続く)
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