エセー 1
本書「エセー1」(『随想録』というタイトルでも有名)は、フランスのモラリスト、ミシェル・ド・モンテーニュが1580年に107の随筆を集めて出版した、いわゆる随筆集の第一巻にあたります。 Wikipediaによると、「モンテーニュは随筆(エッセイ、エセー)という、特定の話題に関する主観的な短い文章の形式を発明し、人間のあらゆる営為を断続的な文章で省察、人間そのものを率直に記述する姿勢でモラリスト文学の伝統を開いた。」とあります。「随筆」という今ではごく普通な文学のジャンルは、実はこのモンテーニュさんが切り開いたものであることは初めて知りました。
以下、モンテーニュさんの経歴です(Wikipedia からの記述)。モンテーニュさんは1533年、フランス、ペリゴール地方のボルドー近郊、モンテーニュ城の生まれ。父方の曾祖父はモンテーニュの地を買取った成り上がり貴族、父は政治熱心でボルドー市長を務めた人物。母方はスペイン系ユダヤ人の家系。モンテーニュは6歳になるまで家庭教師のもとでラテン語を用いて育てられ、成人してからは法学を専攻。法官になり、ボルドーの高等法院(パルルマン)に務めます。1565年に結婚。6人の娘が生まれたが、そのうち成人したのは1人である。1568年、父の死によりモンテーニュ城を相続した。1570年、37歳で法官を辞任して故郷に戻り、やがて『エセー(随想録)』の執筆を始める。モンテーニュは、アンリ4世即位後の1590年、顧問になるよう要請されるが辞退。1592年、享年59歳で他界するまで本書「エセー」の加筆と改訂を続けた。。
モンテーニュさんは本書(つまり、随筆と言う一見私的なジャンル)を書くにあたり、最初の方で次のようなことを語っています。「これは私の誠実でごく内輪の私的な目的で書いたもので、読者の役に立つことや、自分の名誉などは一切考えなかった。ただ自分が他界した後、親族や、友人たちへの個人的な便宜のためこの本を書いた。これが自分の人となりをしのぶよすがとなり、私に対する知識をより完全で生き生きとしたものにして欲しい。」(P9) しかしこれは、全くの逆説的な意味を含んでいるのでしょう。例えば、ビートルズのジョン・レノンが「自分の個人的な体験を歌にしてそれが、世界中の人々の共通の願いや思いであってくれたらいい。」という意味の話しをしていましたが、正にモンテーニュも「自分が思っていることを書き綴り、当時の自分の、そして社会の人々の思い、願い、欲求、苦悩などを普遍的なところまで考察し、読者の好奇心を掻き立て、最後には読者の共感を誘い出す。」という手法をこの随筆集でつかったのだと推測します。
では、今、400年以上前に生きた随筆家の本を読む価値はあるのでしょうか。。個人的にはあると思います。なぜならライフネット生命保険の創業者、出口 治明さんが自書において「人は歴史を学ぶべきだ、なぜなら人間の思考というのは昔と全く変わっていない(脳の構造は全く変わっていない、ということ)からだ。例えば、シェークスピアの戯曲が現代人に訴えるものは、昔の人々が感動したものと共通している。だからこそ、今でも世界中で上演されている。」と語っています。 また個人的な例では、最近「ドライブ・マイ・カー」(原作/村上春樹、監督/濱口竜介)という映画を見たのですが、この物語ではチェーホフの『ワーニャ伯父さん』(1899年初演)が重要なモチーフになっていて、この演劇の最後のソーニャの台詞が映画のクライマックスの重要なカギとして使われていて、チェーホフの演劇も時代を超えた普遍性があると感じました。
というわけで話を「エセー」に戻しますが、私が特に勉強になったのは、第24章「教師ぶることについて」と第25章「子供たちの教育について」です。「教師ぶることについて」で、モンテーニュは当時の知識詰込み偏重の教師たちを批判しています。とても興味深いのですが、ここで彼が書いていることは、現代の日本の教育にぴったりとあてはまります。
「(知識偏重という)教育方法からして、生徒も、先生もよい物知りにはなっても、知力がつかないのは別に驚かない。なにしろ世間の父親の気の使い方、金の使い方ときたら、子供たちの頭にとにかく知識を詰め込むことしか考えていないわけで、判断力や徳などは問題外なのだ。」(P230) では、この知識偏重型教育から脱し、教育を子供たちの成長に則したものにするにはどうするべきでしょうか。。 モンテーニュは次のようなことを語っています。「アリストテレスの原理でも、ストア派やエピクロス派の原理と同様、生徒にとっては原理でないようにしなくてはいけない。教師は自分の生徒に、精神の力量に応じて物事を味あわせ、自ら選択、判断させるように仕向け、その歩様をきちんと見守ることが大事である。そして、時には、彼が好きなように道を開いていくのに任せてあげるべき。教師が勝手に考えて話すのはダメで、生徒の言うことを聞く側にまわるべきである。」(P259)と語り、ソクラテスやアルケシラオス(懐疑派の哲学者)も、まず弟子たちに話をさせておいてから自分達が話したという実例を挙げます。
そして、モンテーニュは次のように続けます。生徒が自らの判断でクセノポンやプラトンの考え方を選ぶならば、それはもうクセノポンやプラトンのものではなく、生徒自身の考えである。生徒はその考え方や感じ方を自分の内側に浸透させ、いったんそれが自分のものになったら、その考え方がどこからきたのかなどは、忘れてしまってかまわない。なぜなら真理や理性は万人に共通のもので、それを最初に言った人のものでもないし、後から言った人のものでもないからだ。(P262)
彼の考えでは、このように、他人から借りてきた考えの部分部分を変形し、混ぜ合わせ、咀嚼し、独自の考え(判断力)を創り上げる。この「判断力の形成」こそが教育、勉強、学習の目標であるのです。この他、モンテーニュは、子供を海外で学ばせ外国語を習得させたり、異文化の考え方を学ばせたり、また精神面だけでなく肉体の鍛錬、子供の精神にまっとうな好奇心を育ませること、歴史を学ばせることも判断力をつけるのに重要である、とも語っています。
また、哲学を学ばせることの大切さについても語っています。(本当の哲学とは)陽気で、元気いっぱいで、楽しくて、茶目っ気たっぷりのものといいたくなるようなもので、愉快なお祭り気分のようなものである、と自説を語り、「哲学の議論は、これを扱う人をいつだって陽気に、楽しくさせてきたのです。顔をしかめたり、悲しく、沈んだ気持ちにさせることなどないのです。」とメガラ学派のヘラクレオンの言葉を引用しています。(P279)
この教育論の他、戦場における軍人の立ち振る舞いとか、人生のいろいろな興味深い話題に対して、ギリシア、ローマなどで活躍した軍人(カエサル)、哲学者(キケロ、プラトン)、国王などの言葉や行動を引用しながら彼独自の深い考察を展開しています。本書を訳した宮下志郎さんの翻訳力も素晴らしく、フランス語、フランス文学の篤志家でなくても読んでいてわかりやすく、面白くなっています。
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