歴史【戦史】(上)(下) トゥキュディデス
古代ギリシアについてもっと知りたいと思い、ヘロドトスの「歴史」の次に、このトゥキュディデスの「歴史(戦史)」を読みました。トゥキュディデス(紀元前460年頃から 紀元前395年)という人は、古代アテナイの歴史家で、アテネ・スパルタとそれぞれの同盟国が両陣営に分かれて対立したペロポネソス戦争に、アネテの将軍として参加したのですが、トラキア・アンフィポリスでの軍事作戦の失敗により失脚、トラキアの自己の所領へ亡命。その後、20年の亡命生活を余儀なくされますが、紀元前404年同戦争におけるアテネの敗北により帰国し、執筆活動に専念したようです。
トゥキュディデスは、この作品の最初で次のように述べています。「アテナイ(アテネ)の人トゥキュディデスは、ペロポネソス(スパルタ)人とアテナイ人との戦いの模様を収録した。両者が戦火を交えると、この戦いが拡大することと、それが過去を通じもっとも語るに価するものになることを予測して、ただちに稿を起こした。。この事変は実にヘラス(ギリシア)と異語族国の一部をも含む、いわばほとんどの人々の上にもたらされたもっとも規模の大きな事変であった。。」つまり、彼はペロポネソス戦争がギリシアの国々を巻きこむ恐れのある大戦で、その記録を後世に伝えることによってなんらかの教訓として欲しい、という使命感を持って本書を書き残したのでしょう。その想いのためか、この「歴史」において記述される記録は、ヘロドトスの「歴史」における記述内容とはだいぶ異なり、軍事的事実による記述やアテネ、スパルタ、他ギリシアのポリスの軍人、政治家達の演説が大きな部分を占めています。本書に収録されている演説ですが、当時は、彼らの演説を録音する機材もないでしょうし、速記の技術もあったのかわかりませんが、とにかくしつこいぐらいの演説が(それも長く)記載されています。おそらくは、同一人物が、いくつかの場所で演説したものを一つに編纂したりとか、多少の強調などでメリハリをつけ、実際話された内容をしっかりした文書として校正を行なっているのだと推測します。
ギリシアとその周辺地域の地名、人名がやたらと出てきて、スマホの古代ギリシア地図を片手に読んだのは、ヘロドトスの「歴史」と同様で、ちょっと大変だったのですが、2500年ぐらい前の政治家、軍人の演説は、当時の人々の思考反映されているとはいえ、その品格と口調は、今の現代人よりむしろ深い感じがして、とても感銘を受けました。特にアテネの指導者ペリクレスという人は、私心のない、公平で優れた見識も持ち合わせた人物であったようですが、このペリクレスの演説文はこの人物の品格が感じられます。彼の演説は、「教養としてのギリシャ•ローマ」の著者/中村聡一さんによると「人の心を打つような名演説で、今日の政治家の間においても手本となっている」ということです。
本書においてはスパルタとアテネの長期にわたる戦いが記録されていますが、そのクライマックスはやはり、アテネ軍の「シケリア(シチリア)遠征」だと思います。アルキビデアスという扇動家に煽られたアテネ人は、シケリアに大軍隊を送りこむことに賛成しますが、一方、同じアテネ人の将軍ニキアスは戦争反対の立場からこれに反対します。しかし、運命は残酷です。シケリア遠征に反対していたニキアスは、アルキビデアスの突然の失脚により、シケリア遠征の指揮を執ることになるのです。本書によるこのシケリア遠征全体の記述から、なんとなく察するに、このシケリア遠征は、ニキアス本人が最初から乗り気でなかったことも手伝ってか、大事な軍事局面での彼の判断はどうも慎重になり過ぎ、打つ手もいつも後手になり、その積み重ねから、運にも見放されていったような感じです。結果としてアテネ軍の大敗北におわり、ニキアスは現地人によって処刑されてしまいます。このシケリア遠征は後年のアテネ帝国の崩壊の始まりになった戦いでした。アテネの崩壊には前述したアルキビデアスのような己の利益を優先するような政治家や軍人が台頭し、今でいうポピュリズムのような政治を行ったこともアテネの滅んだ原因なのでしょう。このニキアスという将軍は当初シケリアの戦いに反対していたにもかかわらず、運命の悪戯というか、天の少しの差配加減で、全滅したアテネ軍の負け将軍として歴史に名を残すことになってしまったことに同情の念を禁じ得ません。
ところで、このペロポネソス戦争と言うのは、当時急速に台頭してきた新興国(アネテ)とそれまでギリシアの中で支配的な立場にあった覇権国(スパルタ)間の戦争という特色があり、アメリカの政治学者であるグレアム・アリソン教授は、この戦争が持つ「新興国 対 覇権国」という性格を、「トゥキュディデスの罠」という言葉を使って、現代の政治・歴史問題において引用しています。(例えば、伊藤忠の元会長、丹羽宇一郎さんの書籍にもありますが、最近急速に台頭した「中国」とこれまでの覇権国「アメリカ」の関係を考察する時にこの言葉を引用しています。)
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