ローマ人の物語Ⅰ ローマは一日にして成らず

  先にこのブログでも紹介した 三部作「ギリシア人の物語」の著者、塩野 七生さんの代表作の一つが、ローマ建国から西ローマ帝国の滅亡までの約1300年間(紀元前8世紀から紀元後5世紀)を描いた「ローマ人の物語」全15巻。 この塩野さんによるローマ歴史物語の第1巻にあたるのが、今回紹介する「ローマ人の物語 Ⅰ  ローマは一日にして成らず」です。この第1巻では、ローマ人がローマを建国する紀元前8世紀から共和制を打ち立て、イタリア半島を統一する紀元前270年までを描いています。


       本書第1巻の前書きである「読者へ」において、塩野さんはローマ人を次のように紹介しています。「知力では、ギリシア人に劣り、体力では、ケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、技術では、エトルリア人に劣り、経済力では、カルタゴ人に劣るのが自分たちローマ人であると、少なくない史料が示すように、ローマ人自らが認めていた。」 ではこのローマ人がどのように「大帝国」を築き上げ、地中海に一大貿易圏を創り上げることができたのか。。これが塩野さんが書き上げた15巻にも及ぶ壮大なローマ物語を読むキー・ワードになっていると思います。


  歴史シロウトの自分にとっては、これはとても興味深いキー・ワードです。なぜなら、ローマ人が歴史に名立たる大ローマ帝国を築けたのは、単純に彼らが周辺地域の民族より優れていたからだ、と単純に考えていたからです。でも著者塩野さんによると、実はそうではない。。ということは、ローマの近隣諸国の民族はある分野ではローマ人に優れていたが、ローマ人は他の諸分野で優れていた点が多かった、つまり、総合力で勝った、ということでしょうか。。それとも何か他の、例えば地政学上の有利な点がイタリア半島にあったのか。。何か特別な「資源」や「資質」を持ち合わせていたのか。。この「ローマ人が何を武器にして、東西南北の周辺諸国(ヨーロッパ、ギリシア、小アジア、シリア、エジプト、アフリカ。。)を抱き込み成長していくのか」の謎を解いていく面白さがこのシリーズにあると思います。


  ホメロス作(と伝えられる)叙事詩「イリアス」に登場する都市トロイ。一説にはこのトロイ王の婿アイネイアスが自分達の先祖である、とローマ人は信じています。アイネイアスは、ギリシア神話に登場する美と愛の女神ヴィーナスと人間の男との間に生まれた子供で、トロイア戦争のクライマックス、ギリシア人の「木馬作戦」によるトロイの落城から命からがら仲間と共に船で脱出、ギリシアの南側を航海し、遥か彼方のローマの海岸まで逃げ延びた落人です。この子孫は、やがて農業や羊飼いなどの牧畜を生業としローマ周辺に住み着きます。彼らは、ラテン語を話す人々で、その後、ラテン人と呼ばれるようになります。


  その後、紀元前753年、北方にエトルリア、南方にはギリシアという二大勢力の谷間に位置するローマは、アイネイアスの子孫であると信じられている一人の男、ロムルスにより建国されます。ローマの初代王となったロムルスは、国政を「王」「元老院」「市民集会」の三つの機関に分けます。「王」は、宗教祭事、軍事、政治の最高責任者で、市民集会の投票で選ばれることになり、農業や牧畜業で生計を立ててたローマ人の各家門から百人の長老を選出し「元老院」を創設。「市民集会」は、ローマ市民全員で構成され、王や役職者の選出を目的とします。塩野さんによると、この建国当時のローマの人々というのは、大部分が独り身の男性で、そのため、ロムルスがローマの政体を確立した直後に行ったことは、たいへん意外なのですが、周辺民族からの「女性強奪」という野蛮行為であったようです。


  この「女性強奪」。古代の歴史家の語るところでは、次のような経緯で進みます。ロムルスは、神に捧げられた祭日、近くに住むサビーニ族を祭りに招待します。祭りの気分も高潮した頃を見計らってロムルスの命令一下、ローマの若者がサビーニの女性たちに襲い掛かり彼女らを奪取します。サビーニの男たちは、妻、子供、老人を守り自分達の部族へ逃げ帰ることがやっとでした。この後、ロムルスは、サビーニに「奪った女性たちは正式に結婚して自分達の妻にする。」と答え、ロムルス自身もサビーニの女性と結婚式を挙げます。これに怒ったサビーニは4回に亘り、ローマに対し戦闘を仕掛けますが、四回目の戦闘中、ローマに無理やり連れてこられたサビーニの女性たちが戦いに割って入ります。今や自分達の夫となったローマ人とサビーニの親兄弟が互いに殺し合うのを、黙って見ていることができなかったからです。ローマ人の夫に愛情を感じていた彼女たちは、サビーニの親兄弟に、自分達は、強奪されたが奴隷にされたわけではなく、妻として相応の待遇を受けている、と伝えます。


  ここでロムルスはサビーニ族に、彼らが部族あげてローマに移住し両部族が合同する形での和平を提案します。これまでの4度の闘いにおいて常に劣勢だったサビーニは、ローマ人を相手に戦闘を続けるより、共存するこの講和案を受け入れます。この講和は、サビーニがローマ人に吸収合併されるのではなく、あくまでも対等な立場での合同で、これによりローマは、サビーニの王と、ロムルスの二人の王を持つことになります。ロムルスにとってはこれは、今後の人口増加と兵力強化という、生まれたばかりの国ローマを成長させるための一種の懐柔策でもありました。このロムルスの取った「敗者を自分達に同化させながら国を成長させていく」というやり方は、この後、ローマが王政から共和制,そして帝政へと拡張を続けるための成長戦略となっていきます。


  この初代王ロムルスから数えて第7代目王タルクィニウスまで250年間、王制が続きます。その間、ローマでは、暦の改革を行い、護り神としていろいろな神を敬う多神教を受け入れ、宗教にも寛容になります。また、人間の行動原理においては、法律に価値を見出すようになり、軍政、税制も整えられ、人口調査も始めて行われるようになります。また、五代目タルクィニウス(7代目王とは別人)の治世には都市のインフラも徐々に整えられ、古代ローマの中心部フォロ・ロマーノが誕生、周辺部には、大競技場や神殿も建設され、地下水道の建設工事も始まります。


  そして、紀元前509年、ローマは、ルキウス・ユニウス・ブルータスにより、その後500年間続くことになる「共和制」へと移行。「王」の代わりに国の最高位者として、一年毎に2人の執政官を市民集会で選出し、元老院が承認するという「執政官制度」を導入します。この執行官制度において実質的な支配権を持つのは、2人の執行官に助言・指導を行う「元老院」。この元老院を中心とする少数指導体制で共和制ローマはスタートします。やがて、ローマは、ユリウス・カエサルに続くアウグストゥスが初代皇帝に就き、紀元前27年、共和制から帝政へと移行しますが、帝政ローマになるまでの間約500年間、ローマは、この執行官制度を政体維持装置として、常時メンテナンスしながら使っていきます。

 

  実はローマは、社会の底辺に常に支配階級と被支配階級の葛藤という問題を抱えていました。この貴族と平民階級、または、元老院派と非元老院派という反発し合う強力エネルギー、換言すると、反目し合う二者が引っ張り合う「綱引き」の力加減により、「執行官制度」はその時、その時の社会情勢によって修正が加えられていきます。そして、階級間の反発力をこの制度が支えることによって、それが成長エンジンとなり、ローマは周辺国を巻き込みながら拡大・発展していきます。


  本書第1巻は、ルビコン川以南のイタリア半島統一で終わり、次巻では、カルタゴの将軍ハンニバルとローマの若き英雄スキピオが対決するポエニ戦争が描かれます。何を武器にローマ人は、国を拡大していくのか。。これが「ローマ人の物語」を読む面白さですが、塩野さんの描く「ローマ。。」は、同じ歴史を扱いながら、歴史学者さんの書くような固い文体になっていず、また、現存する史料だけを中心に歴史を語っていないことにも面白さがあると思います。十分に当時の歴史書にあたり研究、そして咀嚼したうえで、自分なりの推論や意見も交えながら(おそらくこれにはかなりの勇気が必要だと思いますが)、かつて実在した人物たちを、まるで岩に刻まれたレリーフからはぎ取り、立体的な人物として蘇らせ、活き活きと活写する、その点にもこのシリーズの魅力があると思います。


  一方、当然ではありますが、このローマ人の描き方には、歴史学者さんからは批判があり、これは歴史書ではなく歴史小説である、といった意見もあるようです。しかし、そういった議論はともかく、私他の一般読者にとっては、ローマの歴史を学び直す、深く学ぶための興味喚起としての価値がこのシリーズにはあると思います。


  さらに、塩野さんの女性ならではの緻密で繊細な洞察力と描写力もこの「ローマ史」を面白くしているポイントだと思います。特にシリーズ第5巻には、クレオパトラが登場しますが、著者はカエサルやアントニウスとのやりとりを通し(女性視点から)彼らの男女間の機微に触れる語り口をしていますし、同性の視点からやや厳しめにクレオパトラの行動を描いています。こいったところに「女性の視点」で歴史を語る斬新さも感じます。