リー•クアンユー、世界を語る

  戦後のアジアで急成長を成し遂げた国、シンガポール。今でこそ、アジアトップの繁栄を享受している国ですが、本書のインタビューの話し手、リー・クアンユー氏が政界に関わり出した1950年代、彼の祖国の未来は誰がどう見ても決してバラ色ではなかったはずです。


  当時周辺地域をマレーシア、インドネシアなどの仮想敵国で取り囲まれ(*1)、資源の全くない国土はわずか720万㎢(≒東京23区)のみ(*2)。そして人口もわずか100万人(*3)。 地政学的にも、国の成長条件にも決して恵まれているとは言えなかった悪条件の元でシンガポール政界に入ったクワンユー氏。国内では、当時のソ連、中国からの共産主義の脅威が市民を脅かしていました。そのような共産主義者とも表面上、上手くバランスを保ち、国を成長させる資源として「人材」に目を向けます。


  人口構成が、中国人、華僑、インド人、マレー人など人種、宗教が異なる人々を統一し、特定の人種を厚遇しない政策を取ります。複数な人種間の協調と競争原理をうまく導入し、教育制度を整備。学校や社会で話される言語も英語を共有語とします。さらに安い労働力を豊富に抱えるマレーシアを後背地に持つという地理的利点から、シンガポールは、税制や福祉面で海外の巨大資本企業を厚遇し、国際資本の誘致を促進。こいうったグローバル化に沿った政策が、世界の経済成長と軌を一にし、シンガポールはアジアでも稀に見る成長国に変貌していきます。そのシンガポールの成長期のトップであり続けたのが、今回紹介するリークアンユー氏です。そして、1980年代に当時の国際情勢を中心にインタビューを行いその要旨を編集したものが本書「リー・クアンユー、世界を語る」です。(著者は、グラハム・アリソン、ロバート・D・ブラックウィル、アリ・ウィン)(*4)


  また、彼は、世界中の政治指導者からも尊敬を集めている稀有なアジア出身の政治家でもあり、本書においても彼を尊敬する政治家として、バラク・オバマ、ビル・クリントン、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジャック・シラク、トニー・ブレア、マーガレット・サッチャー、習近平等の名前が載っています。


  本書では、世界の政治経済に関する彼の考えがあますところなく語られていますが、特に注目すべきは中国に関するインタビューだと思います。華僑という(中国人の)立場で高度経済成長を成し遂げたクアンユー氏の経済政策に対する、中国の指導者の信頼は絶大で、彼らとの度重なる対話から得た中国共産党指導者の一貫した政策を十分に理解した上での彼の考えは、今でも十分に通用するものだと思います。彼の言う、中国の「覇権政策」の根底は、軍拡を旗印に掲げる勢力拡張ではなく、経済的な力を背景にしたものです。これは、以前、このブログでも紹介した「チャイナ 2049」の著者マイケル・ピルズベリー氏の主張の骨子にも合致するものだと感じました。


  次に、興味があったのは、インドに対する彼の発言です。今年か来年あたりにいよいよ人口数で中国を抜いた(とか抜くとか)言われているインドですが、それにより中国は自らの経済力ナンバーワンの地位をインドから奪われる、として神経質になっているところがあるようですが、リークアンユー氏は、そのインドの経済成長に懐疑的です。なぜなら、カースト制度に発する個人間の自由競争のなさ、地方のあらゆる法整備の遅れ、地方政治家たちの常態化する汚職体質、国と地方政府の分断、、といった様々な問題がインドには山積しているからです。


  「残念ながら、人間は本質的に悪である。故に悪を抑える必要がある。」という哲学を持つリークアンユー。ソ連、中国からの共産主義勢力に対しては、慎重に対抗しその影響力をかわし、シンガポールを開拓したイギリスへ留学し、その留学時代に培った人脈を活かし、質の高い情報収集能力を持つそのイギリスから常に国際情勢に重要な情報も取得し続け、道徳的な哲学を政治的信条に掲げるよりも常にプラグマスティンクな政策を掲げた政治をおこなって行きます。


  私的に感じる彼の最良の政治的資質は「ノブレス・ オブリージュ」(高貴なものがもつ義務)の精神です。どこかに書いてありましたが、彼がシンガポール独立の契機となったマレー連合結成の話合いの為、マレーシア招待された時、マレーの役人は、豪華な贅沢品や、きらびやかな衣装を着た女性たちを用意し、クアンユー氏一行をもてなそうとしていたのですが、この接待に何か汚職めいた匂いをかぎ取ったクアンユー氏は、他の一行とその接待を断り、滞在先の宿舎へ戻った、ということです。 また政治家は、当然ある程度の給与は確保されねばならないが、それ以上の(政治力を利用した)私利私欲のための職権乱用は現に慎むべきだと、話しています。その彼が、いつも心しているのが「ノブレス・オブリージュ」なのです。時には、少数政党の意見を封じ込め、一見強引ともいえる政策を主導したこともあったクアンユー氏ですが、シンガポールという弱小国にあっては、時にはある程度、強権・強引に主導していく必要もあったのでしょう。


  フランスのド・ゴール、イギリスのチャーチル、そして、中国の鄧小平を尊敬するというクアンユー氏。彼の性格、信条、政策すべてが正にシンガポールという地政学的に重要な国の成長と軌を一にした、ものであったと言えます。


(*1)国の宗教、人種構成、開発問題、欧米諸国への姿勢などからくる対立のため。

(*2)正確には、シンガポールの国土は、東京23区の1.15倍。

(*3)シンガポールの人口は、1950年代を通じて100万~160万台へ推移。

(*4)グラハム・アリソン/ベルファー科学・国際関係研究所所長、ロバート・D・ブラックウィル/外交問題評議会、アリ・ウィン/ベルファー科学・国際関係研究所員