第二次世界大戦(1巻~4巻/抄訳版)

        第二次世界大戦中のイギリスで、戦時挙国一致内閣の首相を務めたW.S.チャーチルによる第二次世界大戦回顧録(*1)です。


  我々日本人から見る第二次世界大戦感というのは、どうしても日本の同大戦参戦のきっかけとなった、真珠湾攻撃の成功談と、大戦最後の日本人総玉砕戦による(日本軍部への)被害者意識、そして、連合軍による歴史上初の原爆の非人道的使用に対する非難といったものが大半だと思います。一方で、第二次世界大戦の戦地となったヨーロッパでは、(当然と言えば当然なのですが)その大戦史観は日本人のものとは相当違ってそのヨーロッパ側からの史観を学べること、さらに、その史観を戦争当事国のイギリス首相という立場で体験した人物がその大戦の一部始終を物語っているところに本書の大きな魅力があります。


  ナチス・ドイツのユダヤ人に対する一方的な「憎悪」と特定の民族抹殺を手段を選ばずに抹殺しようとする「残虐性」。国際条約を守る姿勢を示しながらも国内では、軍事増強を行うナチスの強硬な軍事姿勢。そのナチス・ヒトラーの言動にまんまと騙され、当時のナチス・ドイツの政策に対し平和(宥和)政策一辺倒で、他に何も対応する術を持たなかったフランスとイギリスの政治家。そのような一般日本人があまり知る機会がない、当時の状況なども簡潔にわかりやすく語られていてとても新鮮で貴重に感じました。


  第二次大戦当初は、ドイツ側の思惑通り、ドイツ軍優勢のうちに物事は進んで行きます。一方、先の第一次大戦で先勝国となったものの、精神的な疲弊感から厭戦気分が世論をおおうフランスとイギリス。この2国に対し、あくまでも強引かつ恫喝的に周辺国や地域に進軍するドイツ軍は、ラインラント進駐(*2)やオーストリア併合、チェコスロバキアのズーデン地方、ポーランドのテシェン、ハンガリーのルテニアなどの地域の領有を要求。更には、国際条約を無視しドイツ国内工場で密かに軍事武力の増産を進めます。1940年には、ドイツはイギリス上陸攻撃も視野に入れながら、ロンドンを始めとしたイギリス都市部への空爆を開始。海洋においては、潜水艦Uボートを使って大西洋・太平洋の連合軍補給船を沈没させ心理的な恐怖で海洋供給ラインを威圧していきます。同年には、イギリスの早期降伏と早期終戦、枢軸国陣営の勝利を見込み、イタリアがフランスとイギリスに対して宣戦布告。このように大戦当初は、ドイツ側が圧倒的な強さでヨーロッパに戦線を拡大していきます。


  こいうった自国側が不利な状況において、チャーチルが大戦に関し最も重要視していたのは、アメリカの第二次世界大戦への参戦です。歴史的に見ても兄弟国のような親密をもつ両国。当初は、アメリカ側もおおっぴらにはイギリス側の肩をもつことはしませんでしたが、それでも「武器貸与法」を成立させ、その後は、ドイツとの戦いの継続に必要な武力供与を行います。また、母親がアメリカ人であることもあり、チャーチルは、当時のアメリカ大統領ルーズベルトと連絡を密に取り合うようになります。日本軍の真珠湾攻撃の日、日本人は開戦の高揚感に浸っていたようですが、おそらくそれ以上に、大喜びしたのはイギリスのチャーチルです。前述しましたが、チャーチルは、「アメリカ参戦」こそがこの大戦の鍵を握っていると考えていたからです。実際、日本軍の真珠湾攻撃のニュースを聞いた時、始め信じられなかった、と言うチャーチル、「これで第二次世界大戦の勝利は連合国軍側のものになったと確信した。」と本書において記述しています。

  

  彼のアメリカ戦戦後の大戦の大局的考察は、日本軍の真珠湾攻撃によりしばらくの間は、太平洋方面の海洋覇権を握るのは日本軍ではあるが、アメリカの軍備生産の早さと規模からすれば、その日本軍の優位はしばらくしが続かず、その後はアメリカが巻き返し、最終的にはこの大戦は連合国軍側の勝利で終わる、というものでした。


  うーん、同じ日本人として残念に思うのは、当時のリーダーがあまりにもアジアの大陸資源に固執しすぎたとは言っても、どうしてイギリス、アメリカに反旗を翻し、ドイツを同盟軍として選び冷酷で残忍なヒトラーと同盟を組んでしまったのか、、ということです。(とはいっても日本人総玉砕と唱えていた日本軍も異を唱える者に対しては、ある意味ヒトラーと同様、有無を言わせない冷酷性・残虐性を持っていたのでしょう。。ある意味似た者同士だったのかも知れませんね。。)開国後、登り坂を駆け上がってきた当時の日本人は、己の優位性を盲目的に信じ込み、他の民族を下に見るような驕りがあったのかも知れません。。


  その後、イギリスのチャーチルは、アメリカとドイツの侵攻を受けたソ連と連絡を密にし、イタリア・ギリシア方面や北アフリカ方面への戦略を打ち出していき、その存在感を示していきます。このイギリスが主導した北アフリカ戦線は、1940年9月のイタリア軍によるエジプト侵攻から、枢軸国軍の壊滅とヨーロッパ本土撤退の契機となった1943年5月のチュニジアの戦いまでを言いますが、このイタリア軍と連合国軍との戦いは、地理的にも離れた地域で行われたもので、我々日本人にとってあまり馴染みがないせいか、本書でチャーチルが語る「北アフリカ戦線」の記述はとても興味深いものでした。

  

  ドイツ軍は、大戦当初こそ、その勢いに任せ破竹の進撃を続けていましたが、戦線を西側(フランス側)と東側(ポーランド側)へ広げ過ぎたため、連合軍がノルマンディ上陸を果たし、イタリア方面で戦闘を活発化させ、同時に東側の戦線を死守するソ連の反撃も活発化したことで徐々に窮地に陥り、ついに1945年、連合軍にベルリンに攻め込まれたヒトラー自決します。


  本書において、一番興味深かったのは、チャーチル、ルーズベルトが対日本戦で原爆を使用した理由を記述したところです。チャーチルは「猛者である日本軍を降伏させるには、日本での上陸戦が必須である。」と考えていたようですが、その際の一番の関心は、自軍の犠牲数をいかに減らせるか、でした。それまでの戦い方から、いくら窮地に陥っても最後の一兵卒まで総玉砕で戦う日本軍と闘うには(すでに勝利することはわかっていましたが、)それでも相当数の自軍側の犠牲を覚悟しなければならないと彼らは考えました。それよりも原爆を使用して、自軍の犠牲を最小限にして日本の抵抗力をそぐことが彼らの主眼でした。


  今でもそうですが(当時においても)、自軍の不要な犠牲というのは、自国民から非難の目で捉えられるのです。そうなれば、政治家にとっては、これまで一貫して行ってきた戦争の遂行も他の人間にとって代わられる危険性がでてくるのです。いくら勝ち戦とは言っても、自国軍人の不必要な犠牲は極力避け、早期に戦争を終結したい、というのが彼らの本音であったのでしょう。。「原爆使用」に関しては、彼らが日本人に対し偏見があったとか、そういうことでは全くなかったと感じました。むしろ当時の指導者なら客観的に選択しうる必要悪的選択であったと感じました。


  (ソ連の)ポーランド併合の頃から、ソ連はアメリカとイギリスに対し疎遠となり、ついには、チャーチルに「鉄のカーテンが降ろされた」と言わしめる、周辺諸国への共産主義化を推し進めます。また、終戦を迎え、その戦後処理を推し進めたかった、チャーチルですが、戦後のイギリスの選挙でまさかの敗北を喫し、彼が描いていた戦後処理も中途半端なもので終わってしまいます。いつも感じますが、歴史は、その局面、局面においてその時に必要な指導者を表舞台に立たせますが、その時代の風向きが変わると、さっと彼らを表舞台から斥ける機転の早さを持っていると思いますが、正にチャーチルも歴史の女神に選ばれ、ヒトラーと闘った英雄であったと思います。チャーチルはまた、帝政ローマの祖、ユリウス・カエサルと同様文才家でもあり、若い頃からの自身の従軍経験を本にして出版しています。本書は、「第二次世界大戦(回顧録)」の抄訳ですが、それだけに無駄のない筆致と、簡潔な記述になっていて、今では想像できない出来事(世界的規模の戦争)を当事者として書き綴った貴重な記録となっています。


  あと、最後に思ったのは、今の日本の外交政策です。今の平和主義偏重の外交感覚は実はとても危いものであると感じました。ヒトラーが対応してきた時の、フランスやイギリスが取ってきた宥和政策と今の日本の平和主義はどこか似ているように思えたからです。


(*1)正確には、ノーベル文学賞を受賞した「第二次世界大戦」全6巻からの抄訳版です。(*2)ラインラント進駐:「ライン川左岸以西並びに右岸沿い幅50kmに要塞等の軍事施設を建築・維持してはいけない」と規程した国際条約を破り、非武装地帯ラインラントにドイツ軍がフランス軍の隙を狙って強硬に侵攻した。