ヘレニズム文明
日本の大学で学ぶ「一般教養」。これはアメリカでは「リベラル・アーツ(Liberal arts」といいます。少し前に「教養としてのギリシャ・ローマ:名門コロンビア大学で学んだリベラルアーツの真髄」(著者/中村聡一氏)という本をこのブログで紹介しましたが、アメリカの学生が学ぶ「リベラル・アーツ」というのは、一般的には古代ギリシャから派生した学問を指します。
「コロンビア大学を始めとするアメリカの大学で教えるリベラル・アーツ)とは、単なる一般教養ではなく、古代ギリシャ学問を祖とする《ヘレニズム》を起源とする教義領域を指し、自然学、天文学、修辞学、論理学、数学、幾何学、哲学、建築や造船、芸術といった分野にわたるものです。」(「教養としてのギリシャ・ローマ」より抜粋)実際、アメリカの「アイビーリーグ」では、ソクラテス、プラトンを始め、学生の必読書の中にはギリシャ古典が多いです。そこでアメリカの教養の素である古代ギリシャの知性の源泉・源流を知りたくなり、この本を読んでみました。著者は、フランソワ・シャムーさん。 古代ギリシャの植民地、北アフリカのキレナイカなどで発掘調査を指揮し、フランス学士院の碑文・文芸アカデミー会長を務めた学者さんです。(2007年没)(ちなみに「ヘレニズム」とは古代オリエントとギリシア文化が融合した「ギリシア風の」という意味です。)
このヘレニズムという文化は日本ではほとんど馴染みがない感じがするのですが、それもそのはず、シャムーさんも、西欧諸国においてさえこの「ヘレニズム文化」の定義がこれまであいまいであったことに言及しています。そして、その理由を(ヘレニズム文化の)研究対象地域がギリシャ文化(研究地域はだいたいバルカン半島とその周辺のエーゲ海諸島、それに小アジア[トルコ])に限られる)と違って広範であることを挙げています。ヘレニズム文化の場合、(ギリシア文化を育んだ)上記地域の他、小アジア以東の中東諸国からインド、そしてエジプトや北アフリカに及びます。さらにパレスチナ周辺地域は、歴史的に見て常に民族間の宗教上の対立から戦闘を繰り返した地域であることから、政情がいつも不安定でこれまでヘレニズム文化の研究者が長期にわたりじっくりと発掘調査・研究が出来なかった、という経緯もあります。
このように、ヘレニズムという文化は、広範な地域の中で育まれていった雑多な、つかみどころのない文化で、どこかギリシア文化の後のおまけ的(派生的)な(どこかサブカルチャーのような)ものであった、という印象を与えてしまいがちですが、そんなことは決してなく、むしろ、アレクサンドロス大王の東方に向けた遠征の過程で、ギリシャ文明がオリエント各諸国の独自の文化と融合しながら、よりコスモポリタン化(グローバル化)され、オリエントの審美眼の中で昇華し、普遍化されていった文化なのです。
とは言っても、時代的事実が複雑で地域的に広範な「ヘレニズム」。(私のような)初心者にとっては、やはり時代や地域にある程度の線引きが必要だと感じました。実際アレクサンドロス大王が死去した後、その跡目を巡り彼の部下(ディアドコイ)やその息子たちが、争うのですが、このあたりの歴史は彼らの離合集散の繰り返し。。著者シャム―さんも、「ディアドコイたちの歴史は、予想できない新展開やと方向転換の数々で、どうしても記述が複雑になった。」と認めています。(著者は丁寧に解説しているのですが、やはりこの頃の歴史そのものが複雑なためかこの時代を勉強するにもある程度の予備知識が必要と感じました。)
とはいうものの、シャム―さんは、「ディアドコイ達の領土争いは、おおまかには、最も大きい発展を遂げた三つのヘレニズム王国(ラゴス【プトレマイオス】王朝/エジプト、セレウコス王朝/メソポタミア・中東、アンティゴノス王朝/マケドニア・ギリシャ本土)の大筋の歴史を調べれば充分である。」と話しているので、今後は、この3つの王朝を調べてみようと思います。また、シャムーさんは、「ヘレニズム文明」の始まりと終わりを次のように定義しています。「ヘレニズム文明の始まりは、紀元前336年のアレクサンドロスの父、フィッポリス二世の死後のアレクサンドロスの即位から。」そして「その終わりは紀元前31年のアクティウムの戦いである。」
「アクティウムの戦い」とは、歴史上有名なエジプト・プトレマイオス王朝の女王クレオパトラ(7世)とその恋人であるローマの司令官アントニウスの連合軍が、共和制ローマの統治者であった故カエサルの正統な後継者であるオクタウィウス(後の皇帝アウグストゥス)のローマ軍と地中海の覇権をめぐり戦った海戦で、これによりオクタウィウスが勝利。それによりそれまで、ヘレニズム文明を受け継いできたエジプトのプトレマイオス王朝が滅亡し、エジプトはローマの属国となりローマの文化が流入。この結果、ヘレニズム文化の輝きが失われていったのです。
このように広範な期間と地域を包括するヘレニズム。では、その文化を代表するものって何でしょうか。。
まず、ヘレニズムを代表する人物に、アリストテレスがいます。アリストテレスは、アレクサンドロス大王の青年期に家庭教師を務めたことでも知られています。根拠のない思弁に頼らず具体的な事実の認識こそ最優先にすべきであると考え、その科学的方法により資料を集め、分析し、総合的見地を確立することが大切であると説きました。そして、システムの構築にはまず調査を行い、知識を集積した後哲学的に思考すべき、としたのです。
また、この時代、外科医のエラシストラトスが有名な医学の分野は、この時代に黄金期を迎え、それが学派を超えて一つの学問的医術となり、生物学や植物学に貢献することになります。他、エウドクソス、エラトステネスが確立した地理学や天文学もあります。更に、獲得された知識を恒常的にできるようにした〈本〉が出現し、この文字資料を蓄積し、研究利用する場所として、アテネにアリストテレスが図書館をつくり、その後、アレクサンドリアでは、アレクサンドリア図書館も立てられました。このアレクサンドリア図書館はその後の戦争で破壊されましたが、それまでの間当時の研究者、学者はこの図書館の集積された知的遺産を吸収し、その後の文明の発展に寄与したのです。
本書のさいごに訳者である桐村泰次さんが(ヘレニズムの芸術について)次のように話しています。「ギリシャの古典期の芸術作品は、ギリシャ宗教の影響が強く、そういった作品(建築物や彫刻)は宗教的性格が非常に強く、美的部分は突起部にすぎなかった。一方、ヘレニズム時代に入ると、一見、ギリシア文化を受け継ついている作品はより美術的技法を駆使し、審美性を表面に出した芸術作品に昇華されている。おそらくヘレニズム文明のコスモポリタン的な人々にとっては宗教的価値より、審美性を表に出した芸術作品を素晴らしいものとして感じたに違いない。」
本書の感想を端的に書くと「ヘレニズム文化のエッセンスを盛り込んだボリュームいっぱいのごちそう」という感じで、前述したように読むのに多少努力が必要なところもありますが、当時の地中海を囲む諸国の発展と衰退、ギリシアを始めとしたヘレニズム都市とその市民の様子。当時の政治システム、市民の生活の様子や習慣、彼らの信じる神々や信仰する宗教、学問、芸術、そいうった当時の文明から生み出されたヘレニズム文化などを丁寧に解説、記述もとても丁寧で、楽しく読むことができました。
余談ですが、ヘレニズムで発展を遂げた詩形の一つに「エピグラム」があります。この「詩」は文学愛好家の間で読み継がれるだけでなく、一般人がつくり、自分の墓石や奉納物に刻むことも普通でした。最後に本書にあった一編のエピグラムを紹介します。
☐ 幼いときは躾を正しくせよ。若者になれば、己を律し、壮年になれば公正であれ。老いては、よき助言者となり、死に際しては平静であれ。
(下の像 ①『サモトラケの勝利の女神ニケ像』、②『ミロのヴィーナス』、③『拳斗士』④『ルドヴィジのガリア人』)
(下/①『サモトラケの勝利の女神ニケ像』)
(下/②『ミロのヴィーナス』)
(下/③『拳斗士』)
(下/④『ルドヴィジのガリア人』)
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