本へのとびら ‐ 岩波少年文庫を語る

  「風の谷のナウシカ」(1984年)、「千と千尋の神隠し」(2001年)、「風立ちぬ」(2013年)など、つくる映画が、即その時代を代表するような作品になってしまうアニメ映画監督の宮崎 駿さん。ジャーナリストの故・立花隆さんも宮崎さんの「風の谷のナウシカ」(原作)を絶賛していました。この人の作品を見るたびに感じるのは、風、雨、雲、木々のそよぎ、そんな自然描写が、が実写以上に感覚的に迫ってくるその圧倒的な表現力と、その作品に登場する人物たちの存在感です。


   この宮崎さんが児童文学について語っているのが、この「本へのとびら」で、本書の前半は、宮崎さんが自ら、岩波少年文庫の中から50作品を選んで、それぞれに寸評をつけています。後半は、児童文学をキー・ワードに、児童文学を読み始めた頃のこと、自身の子ども時代や、お父さんの思い出、アニメーターの新人時代のことなどにも触れています。


  面白かったのは、この後半部分です。少し前に『文藝春秋』編集長で「昭和史」など、歴史関係の人物論や史論を多数執筆した故・半藤一利さんと宮崎さんの対談をTV放送していましたが、その時のお二人がとても博学で一家言あるお話しをしてたので、そのTV以来、勝手に宮崎さんって相当な読書家と思い込んでいたのですが、この本を読む限り、多読家というよりも、自身の企画ネタを仕入れるために本を、それも、児童文学を読む、という感じだったのが、少し意外でした。とはいうものの、児童文学の挿絵について語るところでは、宮崎さんの挿絵に対する思い入れの強さがよく伝わってきました。


  考えてみれば、私の頭の中には、児童文学というのは、良家の子どもが愛読するもの、というイメージがあり、子供時代に読むタイミングを失うと、永久に読む機会のない文学というように漫然と思っていましたが、(いくら職業柄とはいえ)宮崎さんのように児童文学を大人になってもしっかり読む、という読み方はとても新鮮に感じました。


  いつも胸当てエプロンをまとい背筋を伸ばし、タバコを吸いながら闊達に持論を展開し、文化人として気骨を感じさせるその話し方、常に未来を見つめているような力強い目、そして、チャーミングな笑顔、、、そんなTVインタビューで見た宮崎さんの姿と本書で児童文学を語る宮崎さん。自分の中でこの二人の姿がどうしても一緒にならず、消化不良を起こしています。


  宮崎さんは、児童文学を「生まれてきてよかったんだ。生きてていいんだ、というふうなことを子供たちに送っているエールなんだ。」といいます。一方、宮崎さんは、自身がつくる映画のメッセージの骨子とは、「この世は生きるに価するものだ、ということ」と、この本のどこかで話していました。映像が消費文化の中で疲弊していき、安易なものも数多く作られる現在に、力強く人生を肯定する宮崎さん。


  自分が生きている同じ時代に、同じ空気を吸い続けている中で、彼が発表する作品をタイムリーで見られた自分は、つくづく幸せな観客の一人だったと思います。今、吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」を原作に映画をつくっているようですが、年齢的にもおそらく最後の長編作品になるような気がします。このタイトルからも察せられますが、この作品は彼が現代に生きる子供達や大人たちへ「これからの世界をどう生きるか?」という問いかけ、メッセージ性が色濃くなる作品になるのでしょう。宮崎さんがこの時代に何を(最後に)スクリーンで語るのか。。公開されたら真っ先に足を運び、襟を正して観たいと思います。