運命を引き受ける

  著者の佐々木常夫さんは秋田市生まれ。1969年東京大学経済学部卒業後、東レ株式会社に入社。以後順調に出世し、2001年に取締役に就任。その後、東レの子会社の社長となり、現在は経営者として自ら起こした会社の経営に携わっています。こう書いてくると佐々木さんの人生は順風満帆のように思われるかもしれませんが、実はそうではありません。


  佐々木さんには三人のお子さんがいますが、長男は自閉症。奥さんは持病の肝臓病とうつ病で40回以上の入院を繰り返し、自殺未遂も3回ほどおこしています(*1)。そいうった逆境にあっても家族を見捨てず、もちろん仕事にも情熱を注ぎ、結果的には同期入社生の出世頭になったのです。そういったプライベートと仕事を見事両立したプロフィールのせいか、最近の「ワーク・ライフ・バランス」のシンボル的存在として注目を浴び「内閣府男女共同参画会議議員」「経団連理事」東京都の「男女平等参画審議会の会長」なども歴任しました。


  このような佐々木さんが自らの人生訓・仕事術を綴ったのが本書「運命を引き受ける」(*2)です。本書のタイトルにもなっている「運命を引き受ける」という言葉ですが、これは佐々木さんのお母さんの言葉からきています。


  佐々木さんのお父さんは裕福な商家の息子として生まれましたが、結核に罹って死亡。お父さんの薬代、病院代に多額のお金がかかりお父さんが亡くなった時、家族に残されているのは、自分達が住んでいる家だけ、という状況でした。27才で未亡人になったお母さんは佐々木さんを含む4人の男の子を育てるために働きに出ます。毎日子供たちが起き出す前に家を出て、夜の10時過ぎまで働き、一年で休みが取れるのは、お正月とお盆だけ、という働きづめの毎日でした。そんなお母さんが佐々木さんに微笑みながら語っていたのが「どんな運命でも引き受けようね。」という言葉だったのです。「与えられた運命を引き受けて、その中でがんばろうね。がんばっても結果が出ないかもしれない。だけどがんばらなければ何も生まれないのよ」と。


  また、佐々木さんはユダヤ人の強制捕虜収容所を体験したヴィクトール・E・フランクルの著作「夜と霧」からも強烈な感銘を受けました。随分前にこのブログでも紹介しましたが、この「夜と霧」というのは、自身がユダヤ人である、という理由だけで妻・両親とともに強制収容所へ送られ、約2年半そこで生死に関わる過酷な体験をしたその生活を綴った本で、フランクルさんはこの中で、「人は何のために生きるのか」ということは、こちらで問うことではなく、人生とは「人生から問われていることに全力で応えていくこと」である。つまり「自分の人生に与えられた使命を全うすることだ」と語っています。


  自身の母の言葉やフランクルさんの「夜と霧」に対する思いを通して、佐々木さんは、生きることとは「与えられた運命を引き受け、自分の使命をまっとうすること」で、「運命を引き受ける努力に値するような目標や希望を持つことが、苦しみや悲しみを乗り越える力になる。」と言います。


  私自身もそうですが、がんばったことに対して結果が伴わないときの失望、辛いことや悲しいこと、、、そういったことがあるたびについ他の人と比較し、つい「ああだ、こうだ、、」と愚痴を言いたくなりますが、佐々木さんのお母さんや、フランクルのような過酷な運命に出会っても静かにその運命を受け入れ、前向きに生きる人を見ると、恥ずかしくなってしまいます。。。

(そういえば最近、映画館で「タイタニック」【1997年製作/監督/ジェームズ・キャメロン】を再見しましたが、L.デカプリオ扮する主人公の無一文の画家志望の青年/ジャックも(意地悪い資産家たちを前にしてのトランプゲームで、彼らから)自分の人生を問われて「自分は神様から配られたカードを全力でプレイするだけだ。」って言ってたなあ。。)


  たぶん、こういった人たちも人生の不条理を受け入れる前は相当悩んだのだと思います。でもどこかの時点でそれを受け入れる「覚悟」を決めたのでしょう。だから他人と自分を比較することもなく、つまらない愚痴やひがみも言うことなく(佐々木さんのお母さんのように静かに微笑んで)「どんな運命でも引き受けようね。」っていうような力強い言葉を言えるのだと思います。


  でもやっぱり、「覚悟」を持った人は強くなるのでしょう。佐々木さんもご家庭での苦難を立派に乗り越えて、(流石に東レの社長にはなれませんでしたが、) 勧められて書いた本が売れ、しかもこれまで書いた本が30冊にもなる売れっ子になり、さらに自ら会社を起こし経営者として活躍しています。


  ところで、佐々木さんの人生観というのは、京セラ創業者の稲盛和夫さんの人生観とたいへん似ている感じがしました。(ただし、本書では、稲盛さんについては一言の言及もありませんが) 例えば、「人生の目的は自分を磨くことである。」とか「悲しみや苦しみは神様が与えてくれた贈物」と言っていますし、また「利他の心」の大切さも説いています。さらに佐々木さんは本書で「自分の心に念じないものが、自分に近づいてくるはずがありません。その人の心の持ち方が、そして求めるものが、その人の人生を形作っていきますから、事をなそうと思ったら、まず『こうありたい』と思うこと、そういう目標を設定することです。そしてその『最終願望を強く持つ』ことが大切です。」と言っています。どの言葉も稲盛さんの本から引用された言葉ばかりのようで、正直びっくりしました。でも人生において艱難辛苦をなめ、人格を磨いた人の考えというのは、どこか共通な普遍的なものがあるのかもしれませんね。


  急速な少子化と高齢化が訪れた日本社会。日本の生産年齢人口を構成する労働者もこれからは、子育てや、高齢者の在宅ケアなど、周りの家族、親族の世話をしながら仕事をする人が多くなってくるのでしょう。仕事を家庭の両立を見事こなし、どちらも決して手を抜かずがんばり続けた佐々木さん。これからのビジネスパーソンのお手本になる方だと感じました。


  最後に佐々木さんが感銘をうけ、人生訓にしているという言葉「逆説の10カ条」を最後に紹介します。

1.人は不合理で、わからず屋で、わかままな存在です。それでもなお、人を愛しなさい。

2.何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるでしょう。それでもなお、良いことをしなさい。

3.成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになります。それでもなお、成功しなさい。

4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうでしょう。それでもなお、良いことをしなさい。

5.正直で率直なあり方は自分を無防備にするでしょう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6.もっとも大きな考えをもった男女は、もっとも小さな心をもった、もっとも小さな男女によって撃ち落されるかもしれません。それでもなお、大きな考えをおもちなさい。

7.人は弱者をひいきにしますが、勝者のあとにしかついていきません。それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれません。それでもなお、築き上げなさい。

9.人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれません。それでもなお、人を助けなさい。

10.世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれません。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

(「それでもなお、人を愛しなさいー人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」著者/ケント・M・キース)


(*1)そのうえ、東京と大阪の間の異動勤務も6回あったということです。)

(*2)本書は2014年12月に河出書房から刊行された単行本『それでもなお生きる』を改題、加筆修正したもの