農協

  このブログでも以前、何回かとりあげた立花隆さん。この希代まれなジャーナリストが、日本の巨大組織「農協」にメスをいれたのがこの作品です。まず本書の著者・立花 隆(たちばな たかし)( 2021年 [令和3年] 4月30日没)さんの略歴を紹介します。「1940年(昭和15年)5月28日 生まれ。日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。取材活動の範囲は、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、多くの著書がベストセラーとなる。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから『知の巨人』のニックネームを持つ。1974年(昭和49年)、『文藝春秋』に『田中角栄研究~その金脈と人脈』を発表して田中金脈問題を暴いて田中角栄首相退陣のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。」(Wikipedia)


  本書のタイトルは「農協」。農協とは、「農業協同組合(のうぎょうきょうどうくみあい)の通称。日本の農業者(農民又は農業を営む法人)によって組織された協同組合」のことです。例えば、皆さんが旅行で地方へ行ったとき、駅の近くにあるJAの事務所とか、JA信用金庫とか、地元の農家の人々が利用する地元密着型のまじめな組合組織を連想すると思います。しかし実際のところ、この農協、およびその関連団体は、巨大かつ、複雑な組織体で、その活動範囲は我々一般人の想像をはるかに超えるものであることがこのルポを読むと実感でます。


  一例を言えば、農協の金融事業を担う農林中金や信用金庫。立花さんも文中に次のように指摘してます「農協系統信用事業の資金量の総額22兆円という額がすごい。これは、日本全国の相互銀行を合わせた資金量にほぼ匹敵し、日本最大の資金量を持つ郵便貯金のほぼ半分にあたる。」(P251) これは立花さん取材当時の数字ですが、すでにこの頃から「農協」が巨大組織だったことがわかります。

  念のため私も農林中金(注1)の最近の情報(Wikipedia)を参照しましが、「1990年代後半より、潤沢な資金を背景にヘッジファンドとして転換を遂げ、米国一流大学のMBA取得者約300人を抱える有価証券投資部門を擁し、ロンドン、ニューヨーク、シンガポールを拠点に海外積極投資を展開している。同社社員のMBA留学比率は日系企業においてもトップクラス。銀行免許を持つ金融機関であり、農林水産省が所管。約3,200人の職員で、JAバンクから上がってくる約80兆円の貯金を各県の信用農業協同組合連合会(県信連)を通して運用。有価証券投資、法人向け大口貸付業務が主流業務である。」(Wikipedia) とあり、やはり立花さんが取材した80年代から組織の本質的な特徴は変わらず、より先鋭化されている印象です、


  本書の優れている点は、第一次産業という巨大な産地、商品、流通、市場を抱え、国の政策などにも直接関わる巨大で、省庁でもわからない複雑な産業の中で、独自に発展してく農協という組織に広範な取材を行い(注2)、その対象の問題点の本質をとらえギュっとまとめて、わかりやすく提示している点だと思います。本書の「はじめに」で立花さんは出版意図を次のように記しています。「農協の諸活動を追いながら、稲作、畑作、果樹、園芸、畜産の農業部門の生産と農産物の加工・流通がどうなっており、それぞれに問題がどこにあるのか、農民、農村を取り巻く経済的、社会的政治的環境がどうなってるのか、日本農業の今日と明日を語るために最低これだけのことは知っておいてもらいたい、という内容を一冊にまとめたものである。」


  その出版意図のため、参照した参考文献、取材先ともに圧倒的な量。この作品が取り上げる題材は、北海道の馬鈴薯コンビナート、首都圏の偽装農民、ブロイラー(肉鶏)の生産統合、肉牛肥育のコンピューター管理、高コストな和牛子牛生産、農協の肥料・農薬の流通独占、財政赤字を生む食管制度、農協の集票力と農林議員、、などなど。もちろん、本書の出版が1984年なので、ここに記載された数字や、団体名がそのまま現代にあてはまる、とは限りませんが、ここで取り上げた取材対象の本質的な問題は、現代にもそのままあてはまるものだと思います。

  

  次に、すごい、と感じさせたのは、取材記事の間に挿入される図表の数々。当然、ここまで徹底した農協の独自取材は立花さんが初めてなので、ここに記載される図表も立花さんの取材チームが集めた資料の中から数字、人名、組織名等を抽出し、独自につくったものです。巻末にこの作品のデータ取材を担当した井出耕也さんが、次のように話しています。「レポートには多数の図表を掲載。いずれも著者が考えた図表である。イラストやデザインに加え、数字をいちいち確かめ、図表に加える要素の位置を考えながら書き入れていく。。図表ができあがった瞬間、各要素が関連しあい、どんな意味を持っているのか、その構造が見える瞬間、漠然としたイメージが、しっかりと形と論理になることがわかった。。(中略)著者にとって、図表は単にすでにわかっているものを読者に提示するためのものではない。著者自身のための分析のテクニックなのである。根拠のないフィクションや複雑に入り組んだ構造を知る役立つテクニックなのだ。」(P410)

(立花さん作成の図表の一例  ↓  少し見づらいですが、「食肉の流通経路図」です。P318)

  そして、おそらくルポを書くのにあたって、一番重要になるのが、主題した記事をより普遍的、本質的、意味深いものとして提示するのに必要な作者の見識・知識の深さでしょう。立花さんの場合、(前述したWikipediaからの引用にもありますが、)「知の巨人」とも言われるほどに渉猟した様々な分野での圧倒的な読書量が彼の見識の深さをサポートしています。具体的には、その「見識」とは、行った取材の資料を分析し、そのどこが問題であり、そしてそれを時代の羅針盤として読めるようなものにするための判断力、総合力、知恵、知識なのだと感じます。ネットも国境を越え事実を個人個人へ送り、アラブの春を実現させましたが、質の高い民主主義を実現するためには個人個人の市民の質がより問われるのだと思います。そしてその質の向上には見識ある資料、情報が不可欠です。


        彼の代表作の一つでもある「田中角栄研究」もまさに1970年代において「ペンは剣より強し」を地で行った作品です。「立花隆のすべて」という作品に哲学者・梅原猛さんが寄稿していますが彼はその中で、「この作品を立花さんが書き上げた当時の識者は、田中首相の言動になにか胡散臭いものを感じていたが、それがなにかはっきりしなかった。しかし、立花さんのこの『田中政治研究』が、金権政治の構造をはっきり国民の前へ提示した。」 立花さんはクリスチャン。当時田中首相は、巨大な権力の頂点にいた人物ですが、その人物に対し一介の若手ジャーナリストが自らの知識・信念だけを武器に挑戦したわけです。おそらく、当時の立花さんの頭の中を、権力側からの脅しや恐喝という言葉がよぎったかもしれません、、でも、やはり己の内側に真の信仰を確立している人は信念があります。そして、彼(やその作品)からは尊大さや傲慢さが少しも感じれらません。。こういう人が、民主主義の見識を深められる人物だと思うのです。


 「謙虚さの中にこそ真の見識が宿る。」立花さんの作品を読むたびに私はそう実感します。


(注1)農林中金(農林中央金庫) 1923年(大正12年)に設立された農業協同組合、森林組合、漁業協同組合の系統中央機関の役割を持つ金融機関であり、国内最大規模のヘッジファンドである。略称は農林中金。産業組合中央金庫の後身。特殊法人であったが、1986年に特別民間法人となり、農林中央金庫法を根拠法とする純粋な民間金融機関となった。

(注2)本書は昭和54年10月から昭和55年2月まで「週刊朝日」に計22回にわたって連載したものに加筆したもの。当初は6、7回連載予定が取材を続けていくうちに、対象があまりに大きく、巨大であることが分かり、次に12,13回と増えていき、最終的には22回の連載になった、といういきさつがあります。