ラケス
本書「ラケス」は、ギリシア哲学者・プラトンによる短編。いわゆる「対話篇」(複数の登場人物の対話により物語が進行する作品)とよばれるものの一つで、「勇気とは何か?」 が本作品における主題となっています。
著者のプラトンは紀元前427年生まれ(同347年死去)。ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師匠でもあります。父はアリストン、母はペリクティオネ。母方の遠縁には、紀元前6c頃、アテナイ(アテネ)において、政治・経済・道徳の衰退を防ぐため、法の制定を行ったソロン(*1)がいます。また、ペロポネソス戦争でのアテナイ敗北後に樹立された「三十人の独裁政権」の指導者として悪名高いクリティアスは、同じ母方で母の従兄弟。さらに同政権に参加したカルミデスは母の弟にあたります。彼は、師ソクラテスから問答法(弁証法)と、(「無知の知」や「行き詰まり」(アポリア)を経ながら)正義・徳・善を理知的かつ執拗に追求していく哲学者(愛知者)としての主知主義的な姿勢を学び、国家公共に携わる政治家を目指していました。しかし、三十人政権やその後の民主派政権の惨状を目の当たりにして、現実政治に関わるのを避け、ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索していくようになります。(Wikipediaより)
ふたたび「ラケス」に話を戻します。アテネ市民(*2)で息子の教育に関心を持つリュシマコスとメレシアスは、当時の将軍ニキアス(*3)とラケス(*4)を武闘術の演武(*5)に招きます。息子を偉大な祖父たちのような、高名な人物に育てあげることにご執心の二人は、いつも息子たちにに「何を学ばせ、何に励ませばもっとも優れた者になれるのか?」を考えています。この日、二人が、二キアスとラケスという二人のアテネ将軍を演武に招いたのも、「武闘」を学ばせることがこれから先の息子たちにとって有益かどうか、彼らに直接訪ねるためでした。演武後、二人の将軍が武闘術を学ばせることの意義で対立します。そこで彼らはソクラテスに裁定を仰ごうとします。ソクラテスは、武闘術ではなく、その武闘術によって養われる心の修養、そして、その心をより優れたものとするものとしての徳の本質についての明確な知識こそが大切であり、武闘術と最も関係の深い徳としての「勇気」について考察を行っていきます。
そこから彼らは「徳の一部分」としての「勇気」について自身の考えを述べていきます。「戦列に踏みとどまって敵を防ぎ、逃げださないこと。」また、戦場における徳だけに限定されず、例えば航海中の危険や欠乏に耐える精神力、それに苦痛や恐怖と戦う意志の強さ、欲望や快楽を抑制する自制心。。さらには思慮のある忍耐強さ、恐ろしいもの・恐ろしくないものを見分ける知識、(将来の)善・悪を見分ける知識、、などなど議論は広がっていき、結局、三人は「勇気とは何か?」を突き止めることに失敗します。そして三人は、ソクラテスがリュシマコスとメレシアスの息子たちの教育の手助けをすることに合意して話を終わります。
リュシマコスとメレシアスはアテネ市民、しかも当時のペロポネソス戦争(*6)に従軍している二人の将軍相手に、自分立ちの息子の教育のために時間を割いてもらう、、という状況は、現在ではちょっと想像できません。例えば現代風になおせば、相当の旧家の家柄で、引退生活を始めようとする年齢の父親が働き盛りの息子のためになお、彼らの出世について心配しているため、乃木将軍とか山本五十六を食事に招いて意見を拝聴する、という感じでしょうか。。でも子供さんを心配する親御さんの気持ちは2千年前と今とまったく変わっていないというのはびっくりしました。、、(自分も決して他人ごとではないのですが。。。)
しかし、このブログで、紹介したかったのは「ラケス」の次の部分です。実はこのあと、本書では次のようなセリフが続きます。
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ソクラテス:「私としては、次のように主張したいと思うのです。皆さん、我々の話のどれ一つとして人に知られる心配はないのですから、我々全員が一緒に何よりもまず、我々自身にとってのできるだけすぐれた先生を探したうえで ー 実際、我々は必要としているのですから ー、それから、若者たちにも先生を探すようにすべきだということをです。お金にせよ、ほかのことにせよ、一つも惜しまずにね。我々自身を今のような状態のままに放置しておくことは、私としては勧められません。
そして、もし我々がこんな年をして、先生のもとへ通う必要があると考えているというので、我々を馬鹿にして笑う者がいるならば、ホメロスを引き合いに出して防戦すべきだと私には思われます。彼は『物に欠く男に、恥が備わるのはよくない』と述べています。」
リュシマコス:「私には、あなたのおっしゃることが気に入りました。ソクラテス。私はまたいちばん年長である分だけ、いっそう積極的に若者たちとともに学びたいと思います。」
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このように、2千年以上も前のギリシアで相当の社会的地位がある人々がこのような、謙遜で、若々しい言葉を交わして終わるのです。みなさんはこの最後の会話をどうお感じになったでしょう。。。私は、2千年以上も前に生きた賢人・プラトンがソクラテスに「私は一番年長であるだけ、いっそう積極的に若者たちと学びたいと思う。」と言わせているところにこの作品の生命があるように感じました。
日本で今、「学び」、というと多くの場合リカーレントとか、学びなおし、とか再就職に必要な(手に職を持つ、持ち続ける)技術・知識ことを指すのかもしれませんが、プラトンがいう「学び」とは、本来人が賢く生きるための賢明な教え、悟り、知恵といった意味だと感じます。もう少し深く考えると、日本でいう「学び」には、今社会が大変だから労働者の質を維持するためあわてて「とりあえず手に職を維持するために学びましょう。。」と言いっているニュアンスが含まれているように思います。一方ギリシア(西欧)では、この時代から、生きている限り学ぶのは生き方として自然で、自発的な行為である(だから学ぶのです)、という感じを受けました。
たしか、池上彰さんの本にありましたがマサチューセッツ工科大学(MIT)では、「学ぶ内容ではなく、学ぶ姿勢を教える」、と書いてありました。なぜなら学ぶ内容は、すぐに古くなり使えなくなるが、学ぶ姿勢は一生無駄にはならないからです。(この一生無駄ではない、という言葉は逆に考えれば、学びは一生続くもの、、ということですよね。。)アメリカ、ヨーロッパ文化のオリジンはヘレニズム文化(古代ギリシア文化)です。MITのこの「学ぶ姿勢」というのも、源流をさかのぼれば、この作品を書いたプラトン(や他のギリシア哲学者)の考え方・哲学に行きつくのかも知れません。 古代ギリシアで当時で社会的地位のある彼らが、「年長である分だけ、いっそう積極的に若者達と共に学びたい」とか、「ものを欠く男が、(学ぶことを)恥じてはいけない」とか思考するこの聡明さ、謙虚さ、、これが、ギリシア哲学を代表するプラトンの言葉です。本書でこの言葉を見つけた時、(自分にとって)宝物を見つけたような驚き・発見でした。 政治・経済・文化、、いろいろな分野で日本の国際的アピアランスが低下している現在ですが、こういったところにも西洋先進諸国と日本の差があるように思えるのですが、みなさんは如何お考えでしょうか。。。
(*1)ソロン:一連の改革は「ソロンの改革」と呼ばれ、アテナイの民主主義の基礎を築いたともいわれる。(*2)アテネ市民:当時のアテネは、少数の市民が、多数の下層の人々を支配、リードする社会なので、「市民」というだけで、相当な家柄であることがわかります。(*3)ニキアス : 当時のアテナイの代表的将軍、政治家の1人。ペロポネソス戦争中のニキアスの和約の立役者。(*4)ラケス:ペロポネソス戦争中のデリオンの戦い(紀元前424年)に従軍。(*5)演武(えんぶ):武道・武術において学んだ形を披露すること。 (*6)ペロポネソス戦争:紀元前431-404年、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟の間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争。
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