立花隆のすべて

  最近、音楽の世界では、よく「トリビュート」アルバムが発売されます。音楽など特定のアーティストやバンドに、敬意を表すためにつくられるアルバムのことですが、本書は、まさに音楽でいうなら「トリビュート ツゥー 立花隆」という感じの一冊です。 立花さんも本書用にオリジナルの寄稿文を寄せてますが、大半は、立花さんの人となりを関係者が解説したり、立花さんの著書について著名人・文化人が感想を寄せていたり、それまで立花さんが週刊誌や月刊誌に掲載した傑作ルポを紹介したり、、といった一冊です。


  本書においては、これまで立花さんが週刊誌や月刊誌に書いてきたルポなんかも掲載されています。この中では、「漫画家・ジョージ秋山の失踪」、チェスの「世紀の米ソ頭脳戦」、それに、日本の総合商社の未来についての記事がとても面白かったのですが、特に「世紀の米ソ頭脳戦」という、当時話題になったアメリカとソ連のチェスの試合天王山についてのルポが秀逸だと思いました。これは、1972年当時、チェス世界選手権の世界チャンピオンの座をソ連がずっと輩出し続けていた歴史に24年ぶりにアメリカの挑戦者が挑むということで、チェスの米ソ対決として話題になりました。特にソ連はこのチェス対決を「社会主義文化と堕落した資本主義文化の決戦」と位置づけたこともあり、このチェス世界選手権は二人の頭脳に代表される米ソ決戦の様相を呈していたのです。


  ソ連の当時世界チャンピオンはボリス・スパスキー35歳、これに挑戦するのがアメリカ人、ロバート・ジェームズ・フィッシャー29歳。チェスは将棋に似てますが、最大の違いは敵の駒を取った後、自分の駒として使うことができないこと。そのため、勝負が早く、指し手がバラエティに富んでいること。解説書も多く出版され、中盤までの戦法、寄せの戦法まで数えると天文学的な指し手の組み合わせが可能になります(なんと、論理的には1000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000の指し手が考えられるのです。ゼロが64つ!)。


  チェスの世界選手権に出場する二人のレベルぐらいになると、そのうち百万種類ぐらいは頭の中に叩きこんでいるといわれます。これだけ奥の深い複雑なゲーム、やはりそれを極めるためには、日常生活のほとんどを犠牲にすることが必要なのでしょう。。実はチェスの名人には奇妙な振る舞いをする人が多いのです。例えばフィッシャーも試合の旅先でホテルに泊まる時には、一番見晴らしの悪い部屋を要求し、窓のカーテンを閉め切り一人チェスの研究に没頭するのですが、その時のフィッシャーの様子を実際に見た人によると、彼は「コン畜生」「どうだ、ザマアみろ」、、などと叫び、実際には存在しないチェス盤の向こう側の相手を圧倒し、頭を掻きむしり、脂汗を流していたのです。そのフィッシャーの姿は悪魔に魅入られた人間としか見えなかった、と言います。一方のスパスキーは、態度、振る舞いから服装に至るまで絵にかいたような紳士。思想的にはリベラル派で「(ソ連の場合)作家だったらとっくに牢獄に入っているところだが、チェス・プレーヤーだから助かっている。」と言われる人で、クラシック音楽や読書が好きな教養人です。そうした対照的な二人の性格も話題になったのです。


  そして、これはちょっと信じ難いのですが、このようなチェスの大試合で消費するエネルギーの量は、実はボクシング選手やサッカー選手並みのものすごい消費量なのです。このため、フィッシャーは対戦が決まると、ボクシングのトレーニングキャンプで7か月間にわたり訓練を続け、片やスパスキーも数か月間のキャンプでトレーナーの指導の下、ランニング、水泳、ヨガで肉体と精神を鍛えたのです。


  こうして世紀の一戦へ世界中が注目する中、なんと会場の選定や試合の懸賞金の金額に不満を持ったフィッシャーがごね始め、試合をボイコット。それに対し、業を煮やしたスパスキーもごねはじめる、、という悪循環もありながら試合はなんとか始まった、、(チェスのトップ同士の世界選手権の場合、試合は複数回行うことになっていて、その試合は続行中)、、というところでこの記事は終わります。(近年は対AIの対戦の記事がメディアを賑わしていますが、人間同士の対決はすざまじいものがあると感じました。)(文藝春秋の1972年10月号掲載)


  時代のある現象や問題の中心をギュッと圧縮して、読む人の前に提示する。それがもちろん本質をついていて、面白い読み物になっている、、(先に紹介した「農協」や「青春漂流」もそうですが、) 立花さんの文章ってまさにそんな感じだと思います。そしてさらに言うなら彼の文章は、いつもどこか挑発的で、骨太で、体制に決しておもねることなく、しかし、自己中心的な満足には決して陥らず、読者の知的好奇心を満足させていく。。まさに彼の書く記事が日本の民主主義の良識を測るリトマス試験紙(バロメーター)のような役割も担っていた、そういったジャーナリストであったと思います。


     そいうった立花さんの優れたジャーナリストの特性を示している彼の代表作は、「田中角栄研究全記録」。今のみなさんは知らないかもしれませんが田中首相は彼の政権当時、圧倒的な力をもって政治界に君臨していました。小学校卒業で首相になり、それが当時の日本庶民の共感を集め、「庶民の宰相」と、時に間違いを起こしても、庶民はあたたかい目線で田中首相を見ていたのです。しかし、その一方、彼は今でよく言う金権政治という政治手法をつくった人物。首相在任中、税務当局も呆気に取られるような手法で幽霊会社などを使い、自分の関連会社に利権を集中させていたのです。本書では、この(呆れるほどの)金権ぶりがあまねく紹介されていますが、その巨大政治家に対し、特に他の政治家に人脈があるわけでもない、法律の専門家でもない、国税の専門家でもない、一人の若手ジャーナリストが、ただペンと見識と度胸を武器に戦いを挑んだわけです。彼は「田中角栄研究。。」を雑誌に連載開始し、田中金権政治の実態の本質を徐々に浮き彫りにしていきます。そして、このルポの連絡をきっかけに世間一般の注目が、その金権政治に集中し批判・非難が殺到。その後の田中政権の瓦解に大きな影響を与えたのです。「まさにペンはけんより強し」。言い換えれば、審判買収あり、反則ありの八百長試合で、強大な相手と正々堂々闘い見事勝ったわけです。(まさに今でいう、ジャイアントキリングを地で行った感じです。)正に立花さんは日本の民主主義の良心。そして、今の時代にあっても立花さんは日本を代表する「知の巨人」であるように思います。


  このような骨太の一面、本書では、立花さん一家がつくった家族新聞「たちばなしんぶん」も紹介しています。「おとうさんがけんこうしんだんで、ふとりすぎ、えいようをとりすぎといわれ、しかられた。」とか、「かおる(立花さんのお子さん)、お風呂でおしっこしたことを告白  ‼」など、他では見ることのできない微笑ましい見出しが紙面を飾っています。外では常に日本のジャーナリズムの良心として戦い、しかし、うちでは子供の成長を見守り支え続けた良きお父さんだったと思います。


(*)テンプル大学生理学教室の研究による。