カオス・シナリオ

        インターネット、ソーシャルメディア全盛の時代において、既存のメディアの形態は崩壊する運命にある。そういった中で、これからのキーワードとなるのが「リスノミクス」(listenomics = 傾聴経済)という概念である、と著者のボブ・ガーフィールド氏は訴えています。(表紙の不気味さと「カオスシナリオ」というタイトルからホラー小説だと誤解しないようにしてください。)              

  近代における消費社会において、「消費者の立場」(「買い手」の立場)は「売り手」に比べると弱いものでした。経済本なんかでは2者の立場の不平等をよく「情報の非対称性」と言う言葉で説明しています。(「売り手」のみが商品に関する専門知識を有し、「買い手」はその商品について「売り手」と同等の情報を持っていないことを保険市場とか中古車市場などの例で挙げています。          

  しかし、デジタル革命、そして、インターネット、ソーシャルメディア全盛の社会では、2者の立場は逆転します。なぜなら「買い手」は様々な「売り手」の商品を選択(検討)できるからです。「買い手」は商品について知りたい情報を「売り手」に求め、もし、その情報が、曖昧であったり、いい加減なもの、虚偽、偽りがあった場合、他の「売り手」の商品を購入すればいいし、また、SNSで曖昧な情報の存在ををネットユーザーたちへ発信する手段もあります。(さらに、この商品があり余っている時代においては、消費者は究極的には「買わない」という最終的かつ絶対的な選択肢も持っています。)この立場の逆転は同時に「情報の流れ」も逆転させます。つまり今までは商品等の情報についても「売り手」から「買い手」へと流れていたものが、「買い手」(消費者)から売り手(企業側)へと逆方向へと流れるのです。(上下階層の関係ならボトムアップへ移行します。)そして、その結果、自然な流れとして、消費社会のこの「売り手」「買い手」の力関係の変化は、従来からのマスマーケティングの在り方にも大きな(破壊的な)影響を与えます。

  その例として本書ではいくつか事例を紹介していますがここでは2つ紹介します。 最初は「レゴ」のロボット商品「マインドストーム」、そして消費者がCMをつくるという「CGA」(消費者発信型広告/Consumer Generated Ad)です。

  レゴ社(デンマーク語: LEGO)はご存知の通り、デンマークのブロック玩具会社です。カラフルな四角形のプラスチック製のブロックを組合わせで、乗り物や建物を形作ることができ、世界中の子供を魅了しています。そして、子供の頃、レゴで遊んだ大人も熱狂的なコアファンとして存在しています。          

  レゴは、1998年「マインドストーム」(ブロック組立ロボットでプログラミングで動かす)シリーズを発表しました。  発売後、当時の、(レゴ)ビジネス開発部長、スティーブ・カンバン氏は、「(大人の)ファンが自分たちより製品に詳しく、各自で考案したさまざまな部品やセンサーを使ってロボットをカスタマイズしていることを発見」し、この商品のシリーズ化する際には、大胆にも、アイデアの創出、開発、デザインに至るまで、顧客を「利用」する戦略を採用しました。そして、4人のコアファンを、デザイン変更企画に採用したのです。「機密保持契約書にサインし、ビルンまで自費で来るなら、新しいマインドストームのデザインに参加する機会を提供すると伝えた。(中略)開発のプロセスにおいて意見や提案を行ったファンたちは、共同設計者、製品の試験者、そして伝道者となり、インターネットでそのニュースを広めたのだ。(結果は)付け加えるまでもなく、その年の大ヒットとなった。」          

  2007年のスーパーボウルでも話題になった最新のトレンドは、消費者発信型広告(CGA)でした。このトレンドにより「仕掛けづくり」と「プロモーション」が成功し、「消費者が作るCM」というコンセプトに血気盛んな広告主がCGAの時流に飛び乗ったのです。

  カルフォルニア州の職業高等学校で働いていたジョージ・マスターズさんは ipod の熱烈なファンで、あるインスピレーションを受け、自らがアマチュアであるにもかかわらず、2004年に5ヶ月かけて「ipod」のCMを5か月かけて完成させました。結果的にその無報酬でつくられたCMの評判は口コミで広がり何百万という人が視聴しました。CGAに関しては金銭的には無報酬が原則ですが、CGAクリエイターにとっての「報酬」とは「何回見られたか、」つまり、自分の作品に対してするネットユーザーからの認知度なのです。「認識されること。それは無料だ。代理店は無料と競争するのは難しい。さらに、最も熱心な広告代理店だって、そのような情熱をまねることはできない。」

  前述したマスターズ氏の場合はどうでしょうか? 「3年かけて自分のガレージで改造車を作った人がいる。アンディー・ウォーホールはスープの缶を描いたよね?スープが大好きだったから」と、彼は答えました。「彼は間違いなく「ipod」にほれ込んでいた。だから彼の広告はラブレターに近い。ラブレターよりも感動的で正真正銘のものって何だろう?」 先のレゴファンも同じ商品愛ですね。。「愛」の対象は何であれ、それが誠実で、真摯なものであれば万人の心に響きます。。 

  今までは消費社会における「売り手」と「買い手」の関係が逆転した話ですが、次に紹介する事例は、ある組織(会社、NPO等)が抱えている問題解決を、無数の「知恵」(ネット・ユーザー)に依頼するというものです。「イノセンティブ(InnoCentive)」という会社は、研究開発における科学的な問題を解決するために群衆知を活用すべく2001年に設立されたサービスで、登録者(Solverと呼ばれる)は世界中で25万人を超えています。(問題を解決した登録者には報酬が与えられます。)

  例えば、大きな製薬会社で新しい薬を開発実験しますが、薬の開発過程では解決しなければならない問題が常に発生します。このような場合、同じ組織の研究部門が単独で問題解決を行うことが従来からの発想でした。(なぜなら、新薬開発というのは、「巨万の富の木」であり、その開発過程は製薬会社にとっては「機密情報」の固まりだからです。そのため、このような場合、たとえコスト高になっても研究開発部門を設置するのが常でした。

  では、仮に、従来の発想を逆転させ、「問題が発生した時、組織内の研究者の知見の枠を超えて、外部の(世界中の)「知恵」(集合知)から解決策を求める」というのはどうでしょうか? このような発想からイノセンティブは生まれたのです。 

  世界最大の一般消費財メーカーであるP&G(プロクター・アンド・ギャンブル/The Procter & Gamble Company)は、イノセンティブを早い時期から利用した会社です。「(P&Gは)食器洗いの際、一定以上の使用で、洗った後の水が青色に変色する台所用洗剤があり、その問題解決にイノセンティブに助けを求めた。解決者は、平凡なイタリア人科学者。この科学者は、新しい染料をつくって水を透明にして、問題を解決したのです。結果的に彼は3万ドルの報酬を手に入れた。」          

  イノセンティブのクライアントの一つに、アラスカ州プリンス・ウィリアム湾の浄化を20年間続ける石油流出事故回復協会があります。この協会は、1989年3月24日発生した「エクソンバルディーズ号原油流出事故」(原油タンカーが座礁により積荷の原油を流出させた事故。海上で発生した人為的環境破壊のうち最大級の事故。Wikipediaより)で起こった環境破壊の浄化を行っている組織です。「アラスカの海はとても冷たく、8万ガロンの原油は粘性が強い。どれほどのポンプやパイプをもってしても、生態系を元に戻すことはできず、最高の機械工学士、最高の石油技術者、最高の河川工学技術者、最高の化学者でも解決できない難問だった。」しかし、(アメリカの)中西部出身の建設技師が、解決策を考えました。基礎を流し込む際にセメントを液体ままにしておく原理から、既成の振動装置を使い、油を振動させるという解決策を思いついたのです。(この浄化方法は、当時、2009年冬、実施予定でした。結果知っている方、教えて下さい。) これまで、大企業、政府、また、NASAやNatureのような非営利団体がイノセンティブを用いてより速く効率的に問題を解決しています。 

   以上ここまでは、「リスノミクス」という概念をわかりやすい(どちらかというとポジティブな)実例で紹介してきましたが、実はこの「リスノミクス」の本質はもっと別なところにあります。(詳しくは本書Chapter10,11を参照下さい。)「(今まで説明してきたことは実は)残念なことに要点を欠いている。その要点とはあらゆるものはひっくり返ったということだ。長年にわたって、大きな機関が指図し、消費者、視聴者、読者、投票者、納税者、観客といった集団は『時の権力者』が盛り付けると決めたその料理で満足するしかなかった。今、力の再分配は、社会、経済の闇など、いたるところで起き、そこではリスノミクス原理が適用されている。」

   そして、ソーシャル・ネットワーキング・サービスは、その特性として「デジタルの接続性」と「力の再分配」という潜在的な力があり、そこから発生するリスノミクスは新世界秩序の革新につながる可能性ある、と著者は語ります。

  「政府や政党、メディア、教会など社会のあらゆる組織の活動にあてはまる。オンラインで交流する宗教、ジャーナリズム、政治、それらの変革にも影響を与えている。統治、教育、芸術、機密情報、研究、医薬、科学、宗教、ジャーナリズム、政治、こういった社会の柱となる組織では アナログ世界の組織化原理がデジタル世界でますますその優位性を失うにつれ、『時の権力者』は『かつての権力者』になりつつある。」          

  そして、最終章の「Chapter 11」では、上記の主張をサポートする様々な分野における事例を取り上げています。アメリカ総選挙で問題になったフェイクニュース等での情報操作、「支持票」獲得戦略、政治献金、また、宗教では「オンライン教会」による信者獲得や教会参加呼びかけ。「メディア」においては、ネットユーザーによる政治家の安易な失言や、重大事件の即時の写真投稿による一種のジャーナリズム化(著者は、無限のニュース編集室と言っています)。国や大企業を対象にしたサイバー攻撃、有名人・一般市民に限らず、ネット上に作為的無作為的にあげられた画像から発生する誹謗・中傷、、、等。

  長年広告業界にいた著者は、マスメディア業界を「リスノミクス」説明の入口にしていますが、実は著者の主旨はChapter10と最終章にある「リスノミクスの本質」に関わることです。。。 話の内容、語り口から察してすごく反権力主義の人だと思いますが、それだけ革新的でパラダイムを突き破れる才能を持った方だと思います。

  (注:この本の発行は2012年なので、事例等内容が少し古いかもしれませんが、その内容は今でも十分当てはまると思うのであえてこの欄で紹介しました。)