国宝消滅

  前回、紹介した「国運の分岐点」もそうですが、最近、デービット・アトキンソン氏にはまっていて彼の著作を読みまくっています。今回紹介するのは「国宝消滅 イギリス人アナリストが警告する『文化』と『経済』の危機」です。順番からいうと、本書はアトキンソンさんが2015年に「新・観光立国論」を上梓した後に出版されたものです。

  D.アトキンソンさんは、日本人の気づかない視点から、日本の長所や短所をズバズバと遠慮なく指摘しますが、いつも彼独自の視点(日本を外から見る視点、イギリスやアメリカで一流のアナリストとして培った経験)や、具体的な数字やデータを基礎にした論旨を展開され、いつも最後には、「目からウロコが落ちる。」という感じになります。アトキンソンさんは実は「小西美術工藝社」という300年以上の歴史をもつ文化財修理大手会社の社長なので、日本の文化財保護に関しても一家言ある方です。実は本書はそのタイトルから「日本の文化財保管の方法を批判しているのかなあ。」ぐらいにしか思わず、本屋で買った後もしばらく「積ん読」状態だったのですが、結果としては今回もアトキンソンさんの主張に思わず脱帽してしまいました。

  人口減少、経済の競争力低下などもあり、今後日本では、外国人を対象にした「観光産業」の成長が期待されます。日本が観光立国になるためには、日本文化の魅力を高め、差別化を行う必要があります。「言うまでもなく、日本の『文化財』は、本来、日本の文化的な魅力を世界に発信する重要な役割を担う軸のようなものだと思いますが、残念ながら現在の文化財(の展示)は、そのようなものにはなっていないのです。」(P52)

  日本の文化財展示は、どちらかと学術的志向の展示形式が強く、(外国の)観光客にとって魅力がないものだとアトキンソンさんは言います。「文化財はそこに建っているだけで、その『箱』の中に展示されている例えば、学術的に貴重な火縄銃や兜も英語の解説では単に『GUN』とか『HELMET』というそっけない一言で展示されているだけなのです。また、『撮影禁止』『入室禁止』『土足厳禁』といった類の立て札も多くみられ、とても観光客が楽しめるものになっていないのです。この原因は、文化財の展示はその保護に主眼が置かれており、主に守ること、調査することなど、学問的な意味合いの濃いものになっているためです。」 どうしてかというと、「文化財を管理しているのは、建築の専門家が一番多く、彼らにとって、文化財というのは後世のために『保存』しなくてはいけない、当時の建築技術をはかるための研究対象だからです。彼らにとっては、当然、梁、柱、屋根などの建物の構造が『学問的価値』なのです。」(P88) そういった、従来の日本における文化財の展示は、入場料が安いが、しかし、そっけない展示で、文化財の魅力をまったくつたえていないのです。入場料を高く設定して(もいいから)、もっと当時の人達にとってどのように大切な意味があったのか、発信していく展示をすべきなのです。「これからは文化財は単なる『器』ではいけません。空っぽの空間を見せて『建築文化』を学ぶだけでなく、その時代に日本人はどのようにして暮らしていて、どのように文化を培ってきたかということを『体感』できる場、『人間文化』を受け継ぐ場に変えていくことが求められているのです。」(P61)

  「実は海外でも、文化財をはじめから『観光資源』として利用する国はなく、そのほとんどは今の日本のように『保護』だけを目的としていたのですが、『保護』だけでは立ちいかなくなってきたことで、(文化財を)海外の観光客にも開放し、それらは国や地域経済へ貢献する観光資源としての役割を担うようになったのです。」(P104) そして、今では、観光大国になったアトキンソンさんの母国、イギリスでも、かつての博物館の展示方法は、今の日本と同じように、単に文化財をそっけなく展示するようなやり方だった、といいます。「30年前は、大英博物館もこうでした。ただ展示品を見せているだけで、学芸員たちは自分の研究に没頭して、見学者相手に説明などしませんでした。むしろ、見学者の相手をするぐらいなら博物館を辞めるとまで言い張っていたのです。」(大英博物館の元キュレーターの話し。P105)「建築物にとって建物の情報は不可欠ですが、もうひとつ大事なのは、そこで培われた人間文化です。建物がつくられた社会的背景、どのように使われたのか、どんなイベントが行われ、どのような人たちが住み、どんな人生を歩んだのか。このような『人間の存在』を含めなければ、文化財というのは、包括的には理解できないのです。」(P93)

  現在では息を吹き返したイギリスの観光産業ですが、その観光産業の一翼を担い観光戦略を委託されている独立行政法人 ”VisitBritain" の「文化と観光」という報告書から、日本の文化財展示に参考となる興味深い個所をアトキンソンさんが引用しているので紹介します。

  ” VisitBritain's research in 35 countries around the world reveals that our core strengths as a visitor destination are our heritage, history, pageantry and culture. Crucially, however, it is our living heritage that most inspires our visitors; the past brought to life, interpreted and explained. People tell us that they especially value our accessible heritage - our museums and galleries, castles and stately homes, our ruins and industrial sites, our palaces and cathedrals - because it is not presented "inaspic" but includes living, breathing, vibrant places that belongs as much in the present as in the past. " 

      この提言によると、「35の国で調査と分析を行ったところ、イギリスの観光産業の競争力の主な源は、文化財、歴史、儀式、文化だということです。もっとも注目すべきは、その中でも『生きている文化財』が重要だと結論づけていることです。『文化財とは、息をしている場所、生きている場所、活気の漲(みなぎ)る場所だから評価される。』というのです。」(P107)

  人口減少、経済規模の縮小傾向にある日本では、少子高齢化の影響もあり社会保障費に使う予算は年々増加が見込まれます。一方「観光産業」は日本にとって外貨獲得の大きな目玉産業になりつつあります。つまり、「文化財」には、これから日本の観光産業の一翼を担ってもらい、「稼いで」もらう必要があります。そして、文化財の保存の費用についても、これからは文化財自らが、観光客を集客し、きちんとした対価(お金)を観光客からもらい、そこから自らの保存や修復のための費用を捻出する必要があるのです。そのためにも「保護」と観光客の「体感学習」する場としての文化財展示の在り方が問われるのです。

  前述しましたが、アトキンソンさんは、文化財修復会社、小西美術工藝社の社長でもあるので、文化財の修復や、日本の伝統技術の継承問題についても警鐘を鳴らしています。日本における文化財の修理の年間予算は約83億円ですが、その額は少なく、世界遺産級のお寺の中にも木部の風化等の破損が目立つところも珍しくないそうです。 また、文化財の修理、修復をすることによって、建造物を建てた伝統技術が古い人から若い人へ継承されていくことも大切なことですが、国が文化財修理に使える予算が少ないため、伝統技術を持つ職人さんの生活を支える雇用もままならず、ましては、若い人も雇えず、伝統技術の継承は危機的状況だと言います。当然のことですが、「伝統技術」は使う場所も少なくなって、一般人には身近な存在でなくなっているこのような状況では職人さんはもっと「営業」をすべきだととアトキンソンさんは考えています。「今、『伝統技術』と呼ばれる仕事もかつては日本のどこにでもある普通の産業だったはず。その時代の職人は生きていくために営業していたでしょう。そこから時代が流れて『希少性』が高くなって黙っていても国からお金が降ってくるようになっただけのことです。国のお金に限りがある中で伝統技術の世界だけは『奥ゆかしい』といっている場合では、もはやないと思います。」(P269)と、「伝統技術」という一種の「特権意識」の中で生きるステレオタイプ的な職人イメージを批判しています。そして、「やはり問題の根本は『発注』です。仕事量です。仕事があれば、職人さんが技術を振る機会が増えるし、若い人たちの活躍の場も広がり、人が育成され、技術習得も促進される。発注を増やして『伝統技術』をひとつの産業にし、お金や人材が循環していくようにならなければ技術継承されないのです。」(P271,272)  また、文化財の修理は入札制度が採用されていますが、この入札制度も、文化財修復に全く実績もない業者の参入も可能になっており、その修復に一定の技術が担保されるのか心配しています。

  そして、第8章、第9章では日本の伝統文化産業の衰退や現状に関しても切り込んでいますが、実は私的に感心したのはこの最後の章でした。「日本の伝統技術」という一種のステータス(つまり、日本へ来た観光客の抱く「日本の伝統」に対する幻影)の中に甘んじて、営業努力をせず、経営がまずくなったら職人さんを首にして、自分たちの経営スタイルを守り続ける会社も多いのです。そういった会社の中には、お客さんから注文がきても(そのお客さんが抱いている「日本の伝統技術」というステータスを利用し)(原価の出し方がはっきりしない)高値で商品を売ってしまう業者も少なくないのです。また、お客さんがこのくらいの金額を用意しているからと、(その金額にふさわしい仕事をしていないにもかかわらず)その金額を丸々請求するというケースもあるのです。(「職人技術の継承」がうまくいかない原因の一つはこういった 業界における ” ボッタクリ " 精神にもあるようです。)

       そういった外国人観光客が抱く「伝統技術」という幻想に頼っている一つが「漆(うるし)業界」だといいます。(ちなみに英語では、漆のことを "japan" というほどなので、外国人の一部の人達は「日本の伝統技術=漆」だと思っています。)アトキンソンさん自身、以前京都の有名なお店で「素晴らしい日本の技術だ」とすすめられて高級な京漆器を購入したことがありますが、その時、店員さんは何千年も続いた日本の伝統技術を強調し、あたかも漆から金箔から、すべて本物であるかのようなセールストークを受けたのです。そして、「その値段も『ほんまもん』にふさわしい値段でした。」と話します。その後、その漆器に使われていた漆は中国産であることが分かり、その時、彼は大きな衝撃を受けました。「漆は中国産かもしれないが、塗ったのは日本人の職人だから嘘はない、という主張は通るかもしれません。たしかに、伝統工芸には原材料まで表示する義務はないので、法的には問題ないが、しかし、これを『世界一』とか『世界に誇る』などの宣伝文句で売って、日本の職人がつくったと思わせるような値段設定をしている場合、看過できない問題があると思っています。」(P289 ) そして「一番大事なポイントは、安い素材を使うならばその分だけ消費者に還元すべき。伝統技術だから高いというイメージを利用して値段は高く、中身は安い素材に変えていくのはどうなのかと思う。(外国からきた観光客)消費者はその価格を見て、そのセールストークを聞いて『日本の職人を支えるために買おう』と考えるでしょう。品質だけを下げる行為は、その気持ちに対する裏切りです。」 実は、「同様の問題が、神棚を飾る榊にもみられる。」として2013年に発行された月刊誌「農業経営者」のウエッブサイトからの記述を紹介しています。

  日本で売られている榊の9割以上は、中国産だ。(中略)産地表示の義務がない。大半のお客様はその生産・流通を知らず、中国産であることを知らずに日本の神様とは縁もゆかりもない榊を供えているのではないだろうか。

  実は、このような「原産地がはっきりしない」、「価格設定があいまい」というような問題は濃淡はあるとしても、日本の伝統産業に見られる共通の現象で、例えば、本書では原産地がはっきりしない業界として、金箔業界を紹介していますし、「価格設定のあいまいさ」については、呉服業界もそういった課題があるようです。また、帯、下駄、草履などの小物の値段も最終価格と消費者が考える価格の間に大きなギャップがあるといいます。 

  アトキンソンさんはわかりやすい例として次のような説明をしています。「例えば、反物を染める専門業者が3社あったとします。ここで需要が減少し仕事量が2社分まで減ったら、この場合、通常の業界なら、3社合併して効率の良い経営を行うか、競争の結果一社が廃業するが、こういった場合、仕事の効率を下げ2社分の仕事を3社でやりましょう、ということになります。この場合、3分の2の収入では生計が成り立たなくなるため、3分の2の仕事で1だけの収入をもらうようにするのです。価格が1.5倍になりますが、その分を消費者に転嫁しようとするため、消費者が離れ、回転率が下がっていく、」(P328 )ことになり、その結果、職人さんの人数を減らし、原料を外国産の安いものへ切り替えていくという悪循環になるのです。(こういっった現象は多かれ少なかれ、日本におけて衰退している伝統産業に見られることだと、アトキンソンさんは言います。)

     「今の時代に見合った、一定の経済合理性に基づいたビジネスモデルが求められています。業界の編成が必要です、そのためには何らかの国の支援が必要かもしれません。いずれにせよ、崩壊してしまった今のビジネスモデルを無理に継続すべきではありません。再編さえ起これば、この業界に活力がみなぎってくる、と考えています。今から動き出せば、明るい未来が待っていると、私は信じています。」(P337、P342)


( 下の「銀行ー不良債権からの脱却」は、D.アトキンソンさんの日本で最初に出版された本で、当時、アナリストで活躍されていました。当時の不良債権をどう処理すべきか? なじみのない業界単語なんかも出てきますが、これを読むとアトキンソンさんが早い時期から「不良債権の証券化」を実行し、不良債権処理を迅速に実施すべき、と提言していたことがわかります。)