イギリス人アナリストだからわかった日本の「強み」「弱み」

  イギリス人元アナリストのデービット・アトキンソンさんの日本における 3 冊目の本です。最近の著作「日本人の勝算」「国運の分岐点」なんかでは、日本社会の課題をいくつか指摘し、これから「日本はどう進むべきか」論じていましたが、本書においては彼が日本に住んで感じた「日本人の特徴」について論じているのが、とても新鮮でした。

  最初にアトキンソンさんは、日本の「弱さ」として、先進国の中で最低レベルの「生産性」と「効率の悪さ」を挙げているのですが、まずこの問題に関しては日本の経営者に原因がある、といいます。「組織の体質を決めるのは、個々の従業員ではないことはもはや説明の必要はないでしょう。経営者とは、組織のすすむべき方向を決め、どのような組織にになるべきかと従業員を引っ張るリーダーです。また、従業員の努力が有効に使われるかどうかを決めるのも経営者です。」(P66、P68) として彼がアナリストとして日本で銀行分析をしていた時期に接した銀行経営者(頭取や役員)の仕事ぶりや、日本の経営者たちが歴史上の偉人たちの「生き様」を自らの経営哲学の参考としているのと同様に、科学的ではない精神性のようなものに影響を受けているということに驚いた、として実例を挙げて(P71,72)説明しています。(興味のある方は本書を手に取って読んで下さい。)

  そして、アトキンソンさん自身が日本に来てからたしなんでいる「お茶」の世界に言及し、「『お茶』の世界ではお茶の味には影響しないのに、お茶を点(た)てるプロセスも見せて、飲む行為よりはお点前(てまえ)を見る時間の方がかなり長くなる、」と「合理性」ではなく「プロセス重視」の「美徳」について述べています。しかし、この「プロセス重視」というのは、日本の会社経営にも影響していて「そこで働く従業員たちに波及し、その結果、仕事の進め方の効率が悪くなっている。それも、やや来すぎているのではないか。」と、日本の会社における会議の多さや残業時間の長さについて語ります。(P74)

  一方、日本の強みとして(経営者とは対照的に)日本人の労働者の技術力や勤勉さを称賛しています。実際、バブル時代に日本の強みとは、「細部にこだわる真面目さ、手先の器用さによって裏打ちされた『高い技術力』や、怠けず高いモラルをもって仕事にとりくむ『勤勉さ』である、とよく言われました。(中略)日本の労働者に技術力や勤勉さという特徴があることは紛れもない事実でしょう。この原動力にはやはり、日本人特有の『職人魂』と言いますか、『極める美学』があると思います。」(P30)「海外に比べて感じるのは、日本人は仕事の中身、内容に対して、あまり優劣をつけない印象を受けます。日本人の心に根ざす仏教の影響なのか、仕事をやり遂げた先にある結果というよりは、仕事の中身、仕事をするという行為自体にプライドをもって取り組んでおられます。ごみ収集などの、社会としては必要ですが、多くに人はあまりやりたがらない仕事であっても懸命にやっている人がきわめて多いのではないでしょうか。もちろん、そのような話でなくても、社会人の人達が、スポットライトを浴びるような華やかなポジションではなくて、地味な単純作業なのにもかかわらず、花形部門の仕事同様、真面目にこつこつと職務をこなしている姿には、いつも感銘を覚えます。」(P32)

  そして、(ここからがアトキンソンさんの観察力の際立っているところですが、)この日本人の仕事に対する「美学」についてさらに考察し、以下のように説明します。「日本の職人は徹底的に自分の技術を磨く『完璧主義者』が多いと思います。これは素晴らしいことです。しかし、アナリストとして銀行を分析している時代によく言われた例ですが、銀行で勘定が終わった段階で、一円でも計算がずれていれば、その一円の行き先を見つけるまで、どんな代価を払っても探す、だれかが一円を自分のポケットから出して、それで良しとするわけでもなく、見つかるまでとことん探すというのです。たしかに、その正義感というのか、責任感がすごいと思いますし、その気持ちも素晴らしいです。ただ、その正義の実現にはどのくらいのコストがかかっているのか。コンサルタントをやっている時代に、研修で、商品を90%まで仕上げるには10のコストがかかるとしたら、100%にもっていくには、そこからは1%上げるたびに、さらに9ずつのコストがかかるのが鉄則だ、と教わりました。仕事にはキリがない、完璧を追求すればするほどコストがかかる。」 そして、そうした意味で「日本人の一部は仕事を美徳と見なしたり、修行と見なしたり本来は別な場所で求める夢を仕事に持ち込みすぎている感じがあり、それが一人当たりのGDPの数字の伸び悩みとして表面化しているのではないかとの仮説を、私は立てています。」(P77)とアトキンソンさんは切り込みます。

     ( 彼は他の著書でも「日本人の『強さ』と『弱さ』の関係は、日本人の特徴の表と裏の関係と同じ」と語りますが、この労働における「完璧主義」という日本人の「美徳」も、実は経済合理性における「効率の悪さ」につながっているのかもしれません。 これからは、その「良さ」は活かしながら、しかし、同時に「効率さ」を追い求める姿勢もこれからの日本の会社にとっては必要なのか、と読みながら思いました。)

  更に、アトキンソンさんは日本社会におけるポイントを二つ挙げます。「一つは、日本はいまだに男社会の影響が強いということです。一般論ではありますが、どちらかと言えば男性は保守的で、歳を取ればとるほど変革を嫌う傾向があると国内外で言われています。より上手に物事や考え方を割り切れる傾向を持つ女性の社会参加率が上げれば、次第に仕事の進め方が効率的になることは、海外で確認されています。もう一つは、インテレ(*政界、財界、芸術界など各分野で日本をリードする知識層)の議論がまとまらないことだと思います。その理由の一つは ” woolly thinking " (*あいまいな思考、散漫な思考、)にあるというのが私の仮説です。woolly thinking  によってしなければならない改革に必要な、インテレによる議論の焦点が決まらず、問題の本質の特定自体もはっきりしないので、いつまでたってもその議論がまとまらず、そのために社会が進歩せずに、いつも表面化した問題の事後処理をするだけになってしまう傾向が強くなるのです。」(P120)

  Woolly thinking についてアトキンソンさんは、2014年に一般財団法人経済広報センターが「東京オリンピック・パラリンピック開催」に関連し行った、「観光立国/日本のどのようなところを世界にアピールしたいか?」という質問に対する回答を挙げて説明しています。 この質問に対し、「マナー」、「気配り」、「サービス」、「治安の良さ」という回答が多く寄せられたのですが、「(アトキンソンさんは)そのそれぞれが、他国に対し(観光立国として)誇れるほどの特徴なのか検証が必要です。」(P141)といいます。「日本の中でふだんから論理的思考を働かせているインテレからもこのような意見が多く出てくることに(私は)不安を感じています。この点については、日本人の woolly thinking が悪影響を及ぼしていることは明らかです。」なぜなら、「(観光立国として)アピールしたいポイントがアピールになっていないこと、それによって何を整備すべきかも明確に見えてこないということが挙げられます。また、これには社会全体が厳しい指摘を嫌う傾向にあることも関係していると思います。いわゆる ” なあなあ文化 ” でしょう。」  ここでアトキンソンさんは海外(イギリスやアメリカ)の教育について「毎日の授業の中で、発言ごと、作文ごと、そのロジックの組み立て方を検証して、それを身につけさせていくという教育、授業自体がロジックのジムみたいな授業を行う。」とロジック中心の教育を引き合いに出します。「イギリスなどでも実はかつて暗記というスキルは重要だったが、ネット文化の今、暗記よりも『データ分析能力』や『ロジック』がより重要になっている。アナリスト時代に出会った日本の金融界において、思考力の鍛えられた日本人の金融マンに出会ったことはあまりなかった。中には鍛えられていた方もいたが、構成比ではそんなに高くなく、また社会の教育制度が高い割には少なかった気がします。」  また「国策を決める委員会の中でもデータもなしに結論が出ないまま、議論がまとまらない印象を受けます。これでは、自主的な改善が不可能になるか、ただ力関係で物事を変えるしかない、非常に時間がかかる、非効率な決定プロセスになります。逆風の時代こそロジックが強みになる時代だと思います。」(P148)

  日本では、よく教育制度改革なんかで「日本の学校は画一的な教育を行い、個人の意見が尊重されないから個性が伸びない。」と言いますが、この「画一的教育」が日本人のロジック思考を妨げているのでしょうか? その点については、この本を読んで一つ得心したことがあります。それは、アトキンソンさんが指摘している日本人の「面倒くさい文化」(P90)です。

  「日本人の考え方を少しでも理解しようと、この二十年間経済人に限らず、いろいろな日本人と話をしてきました。(中略)ただ、そんな苦労の甲斐もあって、なんとなく正体のひとつがぼんやりと見えてきました。それは『面倒くさい』です。(中略)難しい言葉や表現を使って粉飾をしても、『結局、何を言いたいのですか』という質問を繰り返していくことで、問題に対する本当の原因が見えてきます。多くの場合、それが『面倒くさい』なのです。日本の『効率が良くない』というものの問題を辿(たど)っていくと、かなりの部分はこの『面倒くさい』という言葉に帰結する感じがします。」(P91)と、これまで仕事で出会った多くの日本人がことあるごとに、(あなたの言うことは正論だが)「それは、面倒くさい」とか「そんなことをすると後で面倒なことになるよ。」と言うのを耳にしてきました、といいます。これは、日本が戦後の人口増加の高度経済成長においては、「(あえて正論を取ったり、リスクを取らなくても)何か特殊な工夫や社会のイノベーションがなくとも、自然に経済成長が促されたので、何か問題が発生しても、動かずじっとしていればやがて時間が解決して事態が改善されていった。」(P101)ためだ、と言います。「生産性を求め、ガツガツ数字を追い求めなくても、組織の中で腰を据えて何か良い製品を生み出せば、人口の追い風もあって、結果が顕著に表れます。むしろ、必要がないことをやろうとするような人間は組織の『和』を乱します。リスクを取って何か改善しなくとも、成長は約束されているのですから、余計な苦労はしたくない。そこで不要の衝突を避けようということで生まれたのが、『面倒くさい』という便利な言葉だったのではないでしょうか。」(P102)

  そして、「この『面倒くさい』という考え方には(現在の日本社会における)非常に大事なポイントがあり、それは、社会における『女性進出』や『外国人移民』を受け入れたがらない日本社会と深く関係します。なぜなら、これまでの経済成長期の会社では男性中心の価値観が支配してきましたが、女性や外国人を広く受け入れる場合、それまでの価値観を大きく変えないといけないからです。(日本の会社にとっては)それが『面倒くさい』のです。その証拠に、男性のみなさんは、自分の考えをしっかりもって主張の強い女性のことを『面倒くさい女』などと呼んでるではありませんか。」(P107) つまり、これまでの日本というのは、「ロジック」や「正論」よりもある面、画一的で、効率的に仕事が進められる「面倒くさい」という考え方が何にもまして尊重されていたのです。「少子高齢化で『人口』という強みが揺らいでいる今、『面倒くさい』という日本社会の文化も大きな転換を求められているのではないでしょうか。」(P115)

  (最後に)日本の文化的な「強み」については「学問的に言わせていただくと、ひとつ他国にない文化的特徴があります。それは新しいさまざまな文化を取り入れるだけでなく、古い文化も残していく、つまり、文化をアレンジするのではなく、『足し算』をすることが得意だと言えるのです。(中略) 日本人は自分たちは異国の文化や風習に合うようなアレンジをするのが得意だと思い込んでいるが、実はそれは、世界各国で見られる普遍的な現象です。では、そこで新しい文化が取り入れられた際、ベースになっている古い文化はどうなるかというと、新しい文化の普及とともに消え去ってしまうというのが一般的です。」(P150)しかし、「日本では仏教が入ってきてからも、神道は当たり前のように残っていますし、お寺と神社が隣接し合っているのも珍しくありません。食事もそうですし、また、服装でもそうです。」(とアトキンソンさんは実例を示します。P155)「つまり、日本が得意なのは『新しいものを取り入れて自分たちのものにする』 という世界で一般的に行われていることではなく、『新しいものを取り入れつつも古いものを残していく』ということなのです。(中略)実は日本の『古いものを残っている』という特徴は、世界経済の大きな潮流から考えると、非常に大きな『強み』になる可能性を秘めているのです。」(P156)


(下の「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」は、今回紹介した「日本の『強み』『弱み』」の一つ前の作品です。今から読むと「新・観光立国論」「国宝消滅」「新・生産性立国論」などで主張している論点の萌芽が読み取れる著書です。アトキンソンさんはこの本の「おわりに」で「この本は私がオックスフォード大学で日本を勉強し始めてから30年間におよぶアナリスト人生の集大成」というようなことを書いてましたので、日本への相当の思い入れの深い作品だと思います。)