現代の経営(下)

  ピーター.F.ドラッカー氏が44歳の時(1954年)に書いた、世界で最初の総合的経営書「現代の経営」‶The Practice of Management ″の下巻です。

       この「現代の経営」の下巻で、私的に一番気になるところは「経営管理者」について書かれてある部分(第27章から第29章)でした。まず「優れた経営管理者の要件」(第27章)において、ドラッカー氏は経営管理者に特有の課題を示します。「経営管理者には二つの特有の課題がある。第一の課題として、経営管理者は、部分の総計を超える総体、すなわち投入された資源の総計を超えるものを生み出さなければならない。たとえて言うならばオーケストラの指揮者である。指揮者の力、ビジョン、リーダーシップによって、単に音を出すにすぎない楽器が生きた総体としての音楽を生み出す。(中略)経営管理者は、自らの資源、特に人的資源の強みを引き出して成果をあげさせるとともに、それらの資源の弱みを意味のないものにしなければならない。これが、組織として、部分の総計を超える総体をつくり出す唯一の方法である。」(P211)「第二の課題として、あらゆる意思決定と行動において、当面するニーズと長期のニーズを調和させなければならない。この二つのいずれを犠牲にしても企業を危機に陥れる。経営管理者は、いわば目前の石臼に鼻を突っ込みながら遠くの丘を見るという、かなり軽業的なことを行わなければならない。この二つの時間を調和させることができないときには、少なくとも両者をバランスさせる必要がある。当面の利益のために将来に及ぼす犠牲や、明日のための措置によって今日に与える犠牲について計算しなければならない。もちろん、いずれの犠牲も可能な限り最小にする。そして可能なかぎり早く、それらの犠牲を補う。経営管理者たる者は、企業全体と自らの部門の仕事ぶりに責任を持つとともに、二つの時間を生き、二つの時間において活動しなければならない。」(P212)として基本的な活動五つ(*1)を挙げています。

  経営管理者をオーケストラの指揮者に例えているのはとても興味深いと思いました。ビジネスとは違う芸術の分野でも、例えば映画監督の(確か)黒沢 明氏か山田 洋二氏が「映画監督とはどのような仕事か?」と尋ねられてやはり「オーケストラの指揮者に近い存在である。」と語っていたことがあるからです。そして、ドラッカーは、「個人の弱さを意味のないものにし、その強さを引き出すことが、『部分の総計を超える総体をつくりだす唯一の方法』と語っていますが、この言葉は、本書に限らず、ドラッカー氏が他の本でも人の能力を引き出す方法について言及する場合、頻繁に使っている言葉です。「強さを引き出し、弱みをないものとする。弱さにフォーカスした組織づくりでは明日の経営はできない。」というような表現を使っています。うーん。。「強さを引き出し、弱みをないものにしてしまう。」含蓄のある言葉ですね。。単純なように聞こえますが、日本だと、人でもモノでも、長所、短所の凸凹はとにかく均一化したり、いいところだけで満足せずやたら短所の部分にも付加価値をのせようとあまり使わない機能もつけたし多機能にたり、、、。ドラッカーは高度経済成長を成し遂げた日本(人)にはとても好意を寄せていた親日家であったので、日本の会社の人事における、「強さを引き出し、弱みをないものとする」起用方法についてもっと詳しく記述して欲しかった気もしました。

  実はドラッカー氏の著書の魅力の一つはこのような、端的に本質を表現する言葉を多用するところにもあります。ズバッと本質を突き、細かいところは個々に考えさせる。。(まさに、ドラッカー氏が「経営哲学者」と呼ばれる所以ですね。)ドラッカー氏はまた、別の本で「変化はコントロールできない。できることは、その先頭に立つことだけである。」という表現(カッコイイですね。)で、イノベーションとそのイノベーションを起こす起業家精神を持つことの必要性を語っています。

  では、経営管理者が部下から(働く人から)最高の仕事を引き出すにはどうしたらいいでしょうか? 部下にはいかなる動機づけが必要でしょうか? 働く人の満足でしょうか? 金銭? (ここにもドラッカー氏の崇高な哲学があると感じるのですが)「つまるところ、満足は動機づけとして間違っている。満足とは受け身の気持ちである。(中略)要するに、企業は働く人に対し、進んで何かを行うことを要求しなければならない。企業が要求しなければならないことは仕事であり、受け身の気持ちなどではない。(中略)ここにおいて意味のあるものは満足ではなく『責任』である。(中略)自らが行うことについては常に不満がなければならず、常によりよく行おうとする欲求がなければならない。責任はお金で買うことができない。もちろん金銭的な報奨についての満足は、積極的な動機づけとしては十分ではない。金銭的な報奨が動機づけとなるのは、他の要因によって、働く人が責任を持つ用意ができているときだけである。(中略)実は、そもそも働く人が責任を欲しようと欲しまいと関係はない。働く人に対しては責任を要求しなければならない。企業は仕事が立派に行われることを必要とする。企業は働く人に対し、責任をもつよう励まし、誘い、必要ならば強く求めることによって、仕事が立派に行われるようにする必要がある。」(P161,162) 

  社員の「動機づけ」として、社員の単なる満足とか金銭という、「目先の甘いキャンディー」(語弊はありますが)ではなく、もっと高い次元の「動機」を求めているところにも、「経営哲学者」ドラッカー氏が持つ「高い理念」が感じれらます。

      そして、第29章「明日の経営管理者」の「明日の経営管理者の育成」では、明日の経営管理者には二つの準備が必要である、としています。一つは、経営管理者になる前に身につけることができることができるもの、つまり「一般教養」。二つ目が、経営管理者としての経験があって初めて学ぶことができるもの、例えば、目標よるマネジメント、事業の分析、目標の設定とそのバランス、目前のニーズと遠い将来のニーズの調和についてなどの「マネジメント教育」です。そして、彼らは明日の会社経営を担うために、七つの新しい仕事に取り組む必要があると言います。(P255)(*2) しかし、「知識や概念の教育だけでは、経営管理者は明日の課題を果たすことができない。(中略)実に新しい課題は、明日の経営管理者に対し、哲学をもってあらゆる行動と意思決定を行い、知識、能力、スキルだけでなく、ビジョン、勇気、責任、真摯さをもって人を導くことを要求する。つまるところ、いかなる一般教養を有し、マネジメントについていかなる専門教育を受けていようとも、経営管理者にとって決定的に重要なものは、教育やスキルだけではない。それは真摯さである。」(P262)と、「明日の経営管理者」になるための、一番大切な要件として「真摯さ」を挙げています。(「現代の経営」(上)においても優れた組織文化をつくる行動規範の一つに、「真摯さ」を挙げていましたね。)

(*1):経営管理者の基本的な活動五つ。1、目標の設定。2、組織をつくり、会社の作業をマネジメントすべき人を選び、それらの仕事を行うべき人を選ぶ。3、社員の動機づけを行い、コミュニケ―ションを行う。4、評価測定を行う。5、部下の育成。

(*2):1、目標によってマネジメントすること。2、長期の大きなリスクを取ること。3、戦略的な意思決定を行う。4、共通の目標のもとに自らの成果を評価するメンバーからなるチームを構成する。明日のための経営管理者の育成。5、情報を迅速かつ明確に伝え、他の人を動機づける。すなわち責任ある参画を得る。6、一つあるいはいくつかの機能に通じているだけでなく、事業全体を把握する。7、いくつかの製品あるいは一つの産業に通じているだけでなく、それらのものを社会全体に関連づけ、そこにおいて重要なことが何であるかを知り、自らの意思決定と行動に反映させる。市場の外と国の外の動きに注意する。世界的な規模における経済、政治、社会の動きを把握し意思決定に反映させる。