JALの奇跡 (稲盛和夫の善き思いがもたらしたもの)

  2010年1月19日、経営不振と債務超過を理由として日本航空(JAL)は、東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請し、経営破綻しました。ご存知のように、JALは日本経済の国際化と共に成長を続け、機体に描かれた鶴丸マークは、国民に親しまれて、パイロットやCAは誰もが憧れる職種であり、大学生の就職企業人気ランキングでは常に上位にランクインする会社でもあったのですが、当時、総額 2兆 3,221億円という事業会社としては戦後最大の負債を抱え倒産したのです。倒産の背景としては 2008年のリーマンショックを発端とした厳しい世界同時不況がありました。日本も未曽有の不況に見舞われていた中で、それまでも低迷していたJALに対し、倒産の可能性ありとの報道がなされるようになりました。それまでだと国の支援も考えられたのですが、当時日本中の企業が不況で苦しんでいる時に、すでに純民間企業であるJALだけを優遇することはできなかったのです。(P16 )

  会社更生法の適用後は、裁判所管轄のもと再建することになるのですが、一番の問題は、「そのトップに誰を据えるか」でした。そして、政府は、最終的に 京セラ、第二電電を立ち上げ大企業に成長させた 稲盛 和夫さんに白羽の矢を立てたのです。「(稲盛さんの)周囲の人間は皆、その就任に反対します。まず、当時七十七歳という年齢の問題がありました。また、不可能と言われていたJAL再建を引き受けることで晩節を汚すことになる、と危惧する声や、御家族、京セラの人間からも反対意見が圧倒的でした。マスコミからも『稲盛さんは、航空業界については何も知らないし、経営者としてのピークを過ぎた高齢の稲盛さんをトップに据えて再建できるはずがない。二次破綻必至だ。』という批判が多かったのです。また、再建が困難な理由として、JALという会社の特殊性(親方日の丸で行政官庁の官僚以上に官僚的な体質や、いくつもの労働組合が存在する。)も盛んに報じらました。

  当初、稲盛氏は、自身が高齢で、航空業界に門外漢だったことを理由にその申し出を断っていましたが、関係者からの強い要請もあり、最終的にこの大仕事を引き受けることに決めます。稲盛氏は申し出があってから、この仕事を引き受ける大義を3つ考えました。「第一は、日本経済への影響です。JALの凋落は、当時のバブル崩壊後の日本の経済の象徴と見られていました。かつて世界一の航空会社だったJALが第二次破綻をすれば、日本はもうだめだと世界中から見られてしまう。これはなんとしても防がなくてはならない。第二は、社員の雇用を守るということです。第二次破綻すれば、それまで計画されていた人員整理の他、約 32,000人という全社員が職を失ってしまいます。第三は、JALの再建がなければ、日本の大手航空会社は一社だけになり、健全な資本主義における競争がなくなり、サービスや料金などにマイナスの影響がでることが考えられました。」(P21)

  結果から言いますと、そのJALは、稲盛さんの会長就任後、(わずか)「 一年後には過去最高の 1,800億円を、二年後には 2,000億円を超える営業利益を上げ、世界で最も高収益な航空会社の一つとなった。2012年 9月には、再上場を果たし、その結果、再建にあたり 3,500億円を出資した企業再生支援機構は 3,000億円を超えるキャピタルゲインを得ることになり、国家財政にも大きく貢献した」のです。(P1) そして、日本航空は現在も高収益経営を維持しています。では、稲盛さんはどのようにJALを再建したのでしょうか? これを解説しているのが本書です。 

  著者は、稲盛さんの経営方針、経営理念を熟知されている、大田嘉仁(おおたよしひと)氏。京セラ入社後、アメリカでビジネススクール終了(MBA取得)後、秘書室長、取締役執行役員常務などを経て、稲盛さんとJALへ乗り込み、会長補佐・専務執行役員に就任(平成25年3月退任)した(いわば稲盛さんの懐刀と言って差し支えない)方です。

  このJAL再建を可能にしたものについて著者は「それは稲盛さんに途方もなく大きな愛、利他の心、つまり善き思いがあったからだと私は確信している。世の中には、事業を成功させた経営者は数多くいる。倒産した企業を再生した経営者も多い。ただ、そのような経営者と稲盛さんとの決定的な違いは、その動機であろう。(中略)稲盛さんの心の中にあったのは、『JALの社員に幸せになってほしい』という一点だけであった。」(P242)と話しています。「私がJAL再建の中で学んだことは、全員参加の経営を実現するためには、幹部を含め、全社員の心の在り方、心の様相をまず変える必要があるということである。経営トップは、経営の意義、目的を明確にすると同時に、それを実現するには自分の力だけでは無理なので、社員を信じ、そこに集う全社員に『協力して欲しい。一緒になって経営理念の実現を目指そう』と謙虚になって訴える。(中略)そのような、経営トップと社員の心の在り方がベースにあって、初めて全員参加の経営が実現できるのであり、そこに少しでも不信感があれば、全員参加経営ができるはずはないのである。(中略)稲盛さんは、当初から経営の目的を明確にすると同時に、『社員を信じ、心をベースにした経営を進めたい』と言い、そのために必要な考え方や心の在り方を繰り返し教えていた。その結果、幹部を含めた全社員の間に強い絆が生まれ、アメーバ経営もスムーズに導入でき、真の全員参加の経営が実現できるようになったのである。」(P249)

  ここまでの紹介において、著者が「心の在り方」とか「心の様相」など「心」について言及しているのがわかるかと思いますが、正に稲盛さんは「心の経営」(利他の心)をとても重要視していて、その「利他の心」をバックボーンとして、独自の経営理念(いわいる「フィロソフィ」)を展開し、自らの経験で培った経理手法(アメーバ経営)を通して全社員の経営参加を目指したのです。(稲盛さんの「フィロソフィ」を知りたい方は、稲盛さんの著書「京セラフィロソフィ」を、経営手法については「アメーバ経営」をそれぞれ参照下さい。)

追記(2020/03/29):稲盛さんの著書「燃える闘魂」の中に稲盛さん本人がJAL再建のことに言及しているところがあるので、そこから以下抜粋します。

  「経験も、そして勝算もなく、まさに徒手空拳で日本航空にのりこんでいった。唯一つもっていったものは、『人間として正しいことを正しいままに貫く』という、徳にもとづく経営哲学だけである。その経営哲学の一端を、日本航空の社員に話をし、理解してもらうだけでも、社員の意識が劇的な変化を遂げ、その行動がすばらしいものになった。そして、さらには、その社員の意識改革に伴って、会社の業績も飛躍的に回復していったのである。」(P172)「唯一変わったのは、人の心である。しかし、その心が変わるだけで、かつてないほどのすばらしい企業再生が可能になったのである。」(P174)


 「京セラフィロソフィ」

「アメーバ経営」

「燃える闘魂」