大空のサムライ(上・下)
本書の著者、坂井三郎氏は日本海軍に所属していた軍人で、太平洋戦争におけるエースパイロットでした。自称では64機(実際は28機)の敵機を撃墜したといいます。本書はその坂田三郎氏の戦記物で、読書家のドリームインキュベータ 代表取締役会長/堀紘一さんの推薦書だったので読んでみました。
戦争物で当時のエースパイロットのお話し、ということで、どうしても、戦争当時の日本国の礼賛とか、軍国主義とかを連想して、読むのにちょっと抵抗もありましたが、読後は坂井さんのエースパイロットになるまでの修行や、その後、戦場へ赴いてからの活躍、苦難、そして戦闘で負傷し、目も見えない状態で傷ついた機体を操縦し、日本軍の基地へ生還を果たすなどのエピソードを知り、現代の我々にとって想像できないような人生を行く抜いてきた坂田さんの人間力に一種の畏怖・尊敬の念を覚えました。
戦争のない現代日本において、日々の糧を得る(生き抜く)ためにやることは、大人なら仕事、若者なら学業といった感じで、ある程度決まっていると思います。一方、太平洋戦争の頃の日本では、戦争のため、国の勝利に貢献すること(日本国軍に奉仕すること)が生活の糧を得ることでした。何が言いたいかというと、日々の生存のための手段として人は時代が変わろうとも、何かをしなければいけないわけで、そこには時代は関係ないわけですよね。つまり、現代人と全く異なることとはいえ、坂井さん達も今の我々と同様、日々の糧を得るために(生存の手段として)日々、戦争を通して生き抜いていたのです。そして、本書の主役である坂井さんの場合は優れたパイロットになり、一機でも多くの敵機を撃墜することがその手段であったのです。
そいうった、「人間の生存(日々の糧を得る)のために何をするか、どう頑張り抜くのか、」という時代を超えた共通の視点で本書を読んだ時に坂井さんの生き方(サバイバルする力)から学ぶべきことは、とても貴重な、生きた教訓のように思えるのです。私が言っているのは戦争がいいとか、悪いとかいうことではなく、また、現代が昔と比べいいとか悪いとかいう比較論ではありません。「自分がたまたま生まれた社会や時代において、己の人生を生き抜くために、その人は何をして、どう対処したのか?どう頑張り抜いたのか?」 ということなのです。そういう視点で本書を読むと現代人が忘れている「生存する(生き抜くための)ためヒント」が坂井さんの生き方にたくさん隠れているように感じられるのです。
今の時代は、社会の至る所に様々なセイフティネットがはりめぐらされ(例えば、それが社会的弱者を守る法律であったり、監視用カメラであったり、SNSであったり)、贅沢を言わなければ、日々の糧を得ること(言い換えれば、生き抜くこと、サバイバル)は難しくないように見えます。それでも、人生の節目節目で、時折、人生を生き抜く厳しさを実感することってあると思います。(最近では、大地震や津波などの自然災害とか、新型コロナの流行による生活様式の急激な変化とか、、)要するに現代人も社会という甘いオブラート、セイフティネットの中で生きているように見えますが、やはり人生を(単に生きるのではなく)生き抜くことは大変なことなのだと思います。その人生どう生き抜くか(サバイバルするか)という視点で見た時に本書は戦記物という枠を超えた、違った視点でとても面白く読めると思います。
私がとくに感激したのは坂田氏が敵機と戦闘した後、長時間をかけて命からがらラバウルの基地まで生還したエピソードです。昭和17年8月7日、坂田氏と仲間のパイロットはラバウル基地を出撃し、ガダルカナル島上空で敵機と交戦します。その戦闘の帰路、坂田さんの戦闘機は敵機の集中砲火を受けます。坂田氏は、右前頭部を挫傷して左半身が麻痺し、加えて右目も負傷。(左目の視力も大きく低下し)計器すら満足に見えないという重傷を負います。ここから約4時間かけ飛行を継続し、ラバウル基地まで帰還することに成功するのですが、この戦闘直後は(あまりに距離が離れているため、ラバウルまで生還できることはまったく頭の中になく)、坂田氏は(武士が自らの最期に自決の介錯を受けるように)敵機の攻撃を受けることを願います。
しかし、敵機はすでに飛び去った後でした。「こうなると、また考えが変わってきた。俺は今まで、幾度か危機一髪の死地に陥ったが、いつも難を逃れてきた。この大難もなんとか逃れられる運命にあるのかも知れない。これは死に急ぎをしてはいけない。最後の瞬間まで生きる努力を怠ってはいけない。敵機がこないということは、俺に生きろということなのかも知れない。そうだ、まずなにをおいても傷の手当てをしなくては。。。」(下、P192)そうして、彼は血だらけになった飛行帽を脱ぎ、自らの頭部の出血を止めますが、次に眠気が襲ってきます。そこで彼は再度考えを変え、ガダルカナルへ引き返しそこを自らの死に場所としようと決めます。しかし、その死を決意した時、急に眠気から覚め、「自爆する気持ちで引き返すと、今度は眠くない。心の奥の方に潜んでいる生命を守る本能が、必死になって最後の力を出して闘ってくれるのだ。それならばその気力をもって、自爆に引き返すときの気持ちで、これから何時間かかるかわからないけれども、ラバウルまで、それができなければせめてブカまででも、真剣になって、必死になって頑張ったなら、帰れないこともなさそうだ。」(下、P201) そうやって、彼は眠気と戦い、以前、飛行中に見かけた島の形や、太陽の位置を参考しながら海面すれすれで背面飛行(つまり、戦闘機の上下が逆さまでの飛行)を行い、ついにラバウルまでの生還を果たすことに成功するのです。(下絵参照)
このラバウル基地までの帰還中、坂田さんは何を考え、何を思ったのでしょうか。。この時の坂田さんのように、敵の攻撃を受け、気絶し生死の境を彷徨い、その意識の中で自ら、改めて「生きよう」と決心し、生還するために気力を振り絞って生き抜く、という体験はめったにはできませんが、我々のDNAの中にある、大昔から我々の御先祖が培ってきた「生きる本能」、「生命力の強さ」の素晴らしさを実感できるエピソードでした。また、坂田さんは自らの姿を日本の戦士「サムライ」と重ねていたのでしょう。この基地まで帰還の間、「以前読んだ坂本龍馬が暗殺され、頭を切られたシーンが頭に浮かんだ。」と書いています。
4時間にも及ぶ飛行で、最後の難関はラバウル基地への着陸です。坂田さんは「正常な着陸操作ができる状態ではなかったため、降下角と進入速度のみをコントロールし、椰子の木と同じ高さに来た時、エンジンを足で切って惰性で着陸するという方法を取った。周回をあと1回行っていたら、燃料切れで墜落していた。」と語るほど、際どい着陸を見事成功させ、奇跡的な生還を果たしたのです。(Wikipediaより)
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