欧州のエネルギーシフト

       ヨーロッパのエネルギー事情をコンパクトに知るにはいい本だと思います。

      最近のSGDsもそうですが、最近の未来への潮流のキー・ワードは ”Sustainable”、または ”Sustainablity” だと思います。この「持続可能な」「持続可能性」という意味の単語が、現在のような、特に「環境的なエコシステムにおける、多様性と生産性を(期限なく)継続できる能力」という意味を持ち始めたのは、1987年、当時のノルウェー首相、ブルントラントが委員長としてとりまとめた 最終報告書 “Our Common Future”(邦題『地球の未来を守るために』、通称「ブルントラント報告」)の中心理念として提唱されてからです。そして、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランドなどの北欧諸国が加盟するEC共同体の最初の前身組織は1951年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)。この機関は、はもともとは、フランスとドイツ間のエネルギー資源(石炭、鉄鉱石)を巡る対立を回避し、併せて隣接する諸国と共同管理することにより(軍事的対立を回避し)地域諸国の経済基盤を安定・強化することが目的でした。この共同体が拡大・発展したのが現在のEU(ヨーロッパ連合)です。

  ですから、ヨーロッパの国々にとって、資源問題、エネルギー問題というのは、古くから最重要問題の一つで、自国の存続のために、周辺国と共存・共栄していく協調主義を選びました。現在、世界中で論議されている、持続可能なエネルギー政策という問題を考える時、やはり、ヨーロッパ諸国の動きを学ぶことは必要だと思います。

       エナルギーシフト、というと従来の主要なエネルギー源である化石燃料(石炭、石油)や原子力から、再生可能エネルギーへエナルギー政策の重心を移していくこと、だと思いますが、一口に「欧州のエネルギーシフト」といっても、それぞれの国によってエネルギー事情はさまざまです。例えば原子力でいうと、原発推進派は、イギリス、ポーランド。脱原発派は、ドイツ、イタリア、デンマーク、オーストリア。そして、「原発大国」と言われたフランスも減原発の流れに向かいつつあるようです。一方で少し意外なのは、フィンランドとスウェーデン。フィンランドは起伏の無い大地に森林がおおうような国土で、どうしても原子力を含むクリーンエネルギーに依存せざるを得ない事情があります。スウェーデンは以前は原発を容認していましたが、1980年の国民投票により原発の段階的廃棄が決まり、その後の紆余曲折を経ながらも、徐々に脱原発へ舵を切っているようです。

   ではそういったヨーロッパの中で、なぜドイツでは脱原発が特に進んでいるのでしょうか? 本書を読む限りでは、やはり市民の脱原発意識が相当高いということが言えます。また、市民のイニシアチブで供給エネルギーを選択できやすい、という行政指導も大きいと思います。実は、ヨーロッパの再生可能エネルギーへのシフトチェンジには、福島原発事故も相当影響しています。ヨーロッパでは、従来から日本の原発技術の評価はとても高かったのですが、その原発事故発生は、(原子力発電技術の高い日本でさえ、)自然災害に対する原発管理ができなかったことをいみじくも証明した形になったのです。(福島事故の前にはチェルノブイリ事故もありました。)

  では、一方、我々の国、日本はどうでしょうか。。明治時代からの官僚主導によるエネルギー政策がそのまま存続しているせいか、「市民によるエネルギーシフト」という概念は広まっていないと感じます。日本では、国土も小さく資源もないので、国策として原発政策を推進してきた歴史もあり、政界、財界、産業界問わず、原発推進者は数多くいます。(政界だけでも、歴史的に見ると、中曽根康弘氏、田中角栄氏、竹下昇氏ら首相経験者を始め数多く存在します。)また、(丹羽宇一郎さんの著書(*)に書いてありましたが)実は国内に50基以上ある原発の多くは減価償却が全て終わっていなにので、廃炉するにもその未償却残高(少なくとも数兆円規模)をどうするのか。という問題もあります。そいうった事情などがあるので、今すぐ原発をやめる、ということにはならないと思います。

  また、官僚主導で、やってきた電力行政にもその一端はありそうです。現在の電力料金というのは基本的には、電力をつくった費用に利潤を上乗せした価格になっているようです。(競争がある市場では、常に削減努力をした費用に適正利潤をたしたものが適正価格になります。)つまり、費用削減努力をしていないで、料金を消費者に転嫁する、そいうった一種の親方日の丸的な体質がやはりネックになっている感じもします。日本は官僚が基本政策を作成するとそれに向かって一斉に行い、融通がきかなくなってしまう。これからのエネルギー政策というものは、それぞれの地域の地元経済界、市民を巻き込んだ、取り込んだきめ細かい、柔軟なものが必要だと感じました。

(*)「中国で考えた2050年の日本と中国」