NEO HUMAN/ネオ・ヒューマン

  以前、このブログで「ポスト・ヒューマン誕生」(著者/レイ・カーツワイル)を紹介しました。 未来学者であるカーツワイル氏がこの「ポスト。。」で語ったのは「シンギュラリティ」(技術的特異点)という概念でした。これは、簡単に言うと、「機械(AI)の計算能力の総量が全人類の生物的な知能の容量(として見積もった値)に等しくなる時点」のことで、このシンギュラリティが訪れると、人間の想像力が及ばない優秀な機械的知性(スーパーインテリジェンス)が誕生するとし、人類も肉体を技術的に機械と融合し、次なる人類進化のステージに移行すると考えられています。この人類と機械が “ 融合 ”する「シンギュラリティ」が訪れるのは、2045年頃とカーツワイル氏は考えていました。しかし、そのシンギュラリティよりも早く自らを己の意志で機械(AI)と融合し、サイボーグになった人がいます。それが今回御紹介する「ネオ・ヒューマン」の著者であるピーター・スコット-モーガンさんです。


  ピーターさんは2017年に医師よりALS(筋萎縮性側索硬化症、ルー・ゲーリック病とも呼ばれる) と診断され、余命2年と告げられます。一般の人にはちょっとわかりにくいかも知れませんが、このALSというのは発症すると、「体を動かすのに必要な筋肉がやせていき、思うように体を動かせなくなります。筋肉を動かす脳や脊髄せきずいの神経(運動ニューロン)が損傷を受けることで発症する病気で、手足や喉、舌の筋肉や呼吸筋が徐々にやせていき、呼吸筋が弱まると呼吸困難に陥り人工呼吸器が必要になります。一般的に症状の進行は速く、人工呼吸器を使用しなければ発症から2~5年で死に至ることが多いといわれている。」(Medical Note解説より) 残念ですが、現在ではこの病気に対する有効な治療法はなく、病気の進行に伴い発症する症状に対して随時、適切な処置を行なう、という対処法しかないようです。


  ピーターさんも、当然ながらこの医師の診断結果に悩み、苦悩します。しかし、学生の頃、ロボット工学を学んだピーターさんは決意します。「体が機能しなくなる前に、機械と融合しよう」と。体の各部の機能が病で徐々に侵される前に先手を打って、機械を融合し、人生を生きようと決意したのです。もちろん、保守的な倫理観や社会通念をもった医師らからは反対を受けますが、それでも彼は協力者を見つけ、自分の体を実験台とし衰退していく体の機能を徐々に機械化して補って行きます。2018年、食物摂取と排泄の機能を手術により機械化。2019年、喉頭を切除して気管と食道を切り離し、気管に空気供給装置を取り付けます。この手術により自分の「声」を失うことから、AI  を使い目の動きによって文字を入力できるシステムと連動し、本人と同じようなしゃべり方で話す音声再生システムを創り上げます。さらに、顔の表情の変化が失われる前に、自分の顔を3Dスキャンし、AIの音声に顔の表情がシンクロして変化するGCアバターも創りあげます。さらに、ピーターさんとその協力者たちは、彼の活動を広い分野で紹介し、現在ALSに苦しむ人々や、今後の医療、ロボット工学のために彼の活動を役立てるための財団も設立。この動きにアメリカや中国のIT企業も協力します。そして、喉頭摘出手術の日、彼は配偶者フランシスに「I love you」と自ら発する最後の言葉を送り、喉頭手術に向かうところで本書は終わります。


  ピーターさんは、イギリスのエスタブリッシュメント(支配階級)の家庭出身ですが、自らがホモセクシャルだったことも原因し、学生時代に運動部の主将候補から外される、という苦い挫折を経験してます。当時のイギリスの保守的な世界で味わったこの挫折は、ピーターさんをロボット工学という、当時まだニッチな研究分野へ進むことを決意させます。それは同時に自らがエスタブリッシュメントという保守既得権社会を打破する改革者になることも意味していました。実際、ピーターさんは、ゲイでもあり、配偶者フランシスさんも男性です。ピーターさんと彼との関係を親や親類、社会がなかなか認めてくれない、といった状況を変革してく過程も本書で語られていますが、自らを社会の変革者、開拓者になるとしたその決意は、ALS発症後は、自らを機械と融合し人間の生命の概念を変革する「ネオ・ニューマンになる」という目標へと昇華するのです。


  本書においては、ゲイカップルであるピーターさんとフランシスさんとの恋愛関係も大きなウエイトを占めて語られていて、実際、本書の最後には、喉頭手術から21年後の未来世界におけるピーターさんとフランシスさんとの幻想的なやり取りが語られるエピソード(この部分は全くのフィクション)が挿入されていて、なんとなくゲイカップルの考え、感じ方、絆の強さが理解できましが、二人の関係を多少ロマンチックに語り過ぎている感じもしました。また、本書の帯に宣伝文句で「サイボーグで生きる科学者」として紹介しながら、現在のピーターさんの姿や病気の進行過程の写真が一切収録されていないので、ALSという難病を知らないに読者にとって、ALSに蝕まれていくピーターさんの姿がよくわからない、、という説明不足の印象も残ってしまいました。また、もう少し具体的な手術や術後の様子や、ALSが進行する過程でのピーターさんや周りの人々の心理的な葛藤についても書いて欲しかったり、、と、いくつか物足りなさもあるのですが、やはり、人類の歴史上、機械(AI)と自ら融合することを決意した一人の人間の物語として一読する価値はあると思います。また、アニメや映画でおなじみのサイボーグが、このような形で現実するという事実を目の当たりにするにつけ、現代は、人の想像を遥かに凌駕する勢いでいろいろなものごとが起きている、と思います。我々はいろいろな意味で変化が速く、その振幅も広い時代に生きているのだと痛感しますね。。


  実は、このピーターさんを特集したTV番組が昨年11月に、NHK(クローズアップ現代)で放送されています。もしその特集を知りたい方はこちら(*)をどうぞ。


(*) https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pxdEM57kvg/