ルルドへの旅 - ノーベル賞受賞医が見た「奇跡の泉」

  突然ですが、みなさんは「奇跡」を信じますか?

  この科学や IT テクノロジーが全盛の時代に「時代錯誤のような話をしている。。」と思う方もいるかも知れません。。実は先日、「人間この未知なるもの」というノーベル医学賞受賞者(1912年)でフランスの外科医/アレキシス・カレルさんの本を読みました。(これは、渡部昇一さん/元上智大学教授、古森重隆さん/元富士フィルム社長などが推薦している本で、いつか読んで見たいと思っていたものです。) カレル は本書において、いろいろな学問領域 から「人間」を考察しているのですが、私が特に興味深いと感じたのは、カレルが人間のもつ精神性(ある種のスピリチャアルな能力)にも言及して、それを決して否定していないところでした。医学者というのは、基本的には科学的根拠を基盤に物事を研究する人たちなので、「超能力」のような、未だ科学で解明されていないものは信じない人も多いと思います。 このカレル本人の生前は出版されず、死後になって出版されたのが、今回紹介する「ルルドへの旅」です。


  「ルルド」というのは、スペイン国境近くのフランス南西部にある田舎町です。このルルドで、1858年2月、当時14歳の少女、ベルナデット・スビルーは、姉妹達と薪取りに行く途中、近所の洞窟で「聖母マリア」に出会います。そして、聖母は、「毎週木曜日にここへ来るように。」とベルナデットに伝えます。このようにベルナデットが毎週ごとにルルドの洞窟へ行くたびに、この「聖母出現」の噂を聞いた近隣の人々は、ベルナデットの後をついて、洞窟を訪れるようになります。実は、その聖母はベルナデットにしか見えず、聖母とベルナデットとの対話も他の人には聞こえません。しかし、見えない聖母と対話するベルナデットが会話する様子がウソでないことは、周りの人が見てもはっきりわかるのでした。何回目かの「出会い」の時、聖母はベルナデットに「泉に往きて水を飲め且つ洗えよ。」と告げます。


  まわりに泉など水が湧くところはなく、ベルナデットな何のことかわからずに、それでも自分の座っている地面を両手で必死に掘り始めます。しばらくすると、そこから水が湧き始め、それはやがて泉となります。そして、その泉の水を飲んだり、または、病症の傷口にその水をつけると、持病をもつ病人が健康になったり、外傷が完治したり、、という奇跡のような治癒例が教会や病院に頻繁に報告されるようになるのです。ベルナデットは、やがてこの「聖母マリア出現」という体験を通して、ブルゴーニュ地方のヌヴェールの愛徳女子修道会の修道女となります。しかし、自身の持病である気管支喘息、肺結核や脊椎カリエスといった難病のため1879年4月に35歳で死去します。。。「その後もベルナデットによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、鉄道など交通路の整備とあいまって、ルルドはカトリック最大の巡礼地になり今日に至っている。」(Wikipediaより)


  このベルナデットの奇跡的な体験を本で知った、当時リヨン大学のメディカルスクールに在籍中のカレル(29歳)は、その信憑性を確かめるため、巡礼団付き添い医師として、ルルドを訪問します。(ただし、この作人の中では「レラック」という名前で登場。)その巡礼団の中で、マリ・フェランという末期の結核性腹膜炎の娘と出会います。彼女は瀕死の状況でいつ何時死んでもおかしくない状態ですが、信心深くルルドへ行く決意は固く、病院の主治医や家族は仕方なく彼女のルルド行きを認めます。レラックも彼女を診察しますが、症状は重く、もはや余命いくばくもない、という状況を認めざるを得ませんでした。


  ルルドの洞窟への巡礼の日、同行したボランティアに担架で運ばれてきたマリ・フェランは、ルルドの泉の水を浴びます。しばらくして、レラックはマリ・フェランを見ます。その瞬間、レラックは、「なにかが違う。」と感じます。彼女の黒ずんだ顔、そして、肌の色もうすらいでいるようでした。そして信じられないことに、その後数時間の間に、マリ・フェランの病状は奇跡的に改善していきます。「変わりようは圧倒的だった。マリ・フェランが白の短い上着姿でベットに座っている。顔色はまだ青白く、やつれているものの、生気がみなぎっていた。『先生、私はすっかりよくなりました。力は出ませんが、歩くことだってできると思います』と彼女は言った。レラックの内心は大混乱に陥っていた。(中略)激烈な刺激を伴う自己暗示の結果として生じた、通常の機能的改善を超えた何かか。あるいは、病変が現実に治癒したのか、さもなくて、とうてい受け入れかねる出来事 ー つまり奇跡というわけか?」(P83)


  私は、カトリックでもないし、ましてや、何か特定の信者でもないので、宗教的な考察を述べる立場には全くありません。また、読後、このお話、というか事実をどう考えたらいいのかわからなかったのですが、あくまで普通の一般人としてですが、今、私が考えているのは、人の「心」の持ち方についてです。たとえ死の間際にあっても、神を信じ、運命を恨むことなしに絶望せず、前向きになれる人には、時にはこういった我々人間の叡智を超えた出来事が起こり得る、そうあっても不思議ではない、そんな感じがしました。ITとか科学の進歩、AIの台頭、また、DNA解析とか人間の医学も目覚ましい進歩を遂げている現代ですが、やはり、人間の能力には、まだまだ未知な力が眠っている、と信じたいし、だからこそ、(特定の宗教の信者である、なしに関係なく)前向きな心の持ち方、精神的な修養というのを通して、人間の自己向上能力を高めていくことができる、と強く思います。

  尚、「ルルド」に関連して、もっとベルナデットさんのことや、ベルナデットさんと聖母マリアとの「出会い」、そして、ルルドの住民やカトリック教会の人々がそれを知ってどう対応したのか、など当時のルルドの状況を知りたい方には、映画(*)がありますので、是非ご覧ください。

*「聖処女」(The Song of Bernadette)1943年製作。監督/ヘンリー・キング、ベルナデット役/ジェニファー・ジョーンズ)