物語イギリスの歴史 (上)、(下)
学生時代はあまり歴史というものに興味がわかなかったのですが、いまさらながら、出口治明さんなんかが言っている、歴史の勉強は社会人にとっても必須です、なんていう言葉を聞くと、自分も世界や日本の歴史ともう一度、ちゃんと向き合う必要があると痛感します。
最近、いろいろな国の「歴史」、特に、ヨーロッパ方面の国々の歴史をなんとなく読書したい、、と思っているのですが、どの国から手を付けようか、、どんな本がいいのか、、なんとなく考えていたのですが、新書あたりから手を付けるのもいいかと思い、思い切ってこの「物語イギリスの歴史」(上)(下)(著者/君塚 直隆さん)を一気に読みました。 読後の感想は、「面白い」の一言に尽きます。もちろんイギリス自体の歴史もいろいろ紆余曲折があって興味深いのだと思いますが、君塚さんの「王権と議会」をキー・ワードにした切り口が良いのだと思います。 イギリスは、ヨーロッパ大陸の北西の隅っこに位置する、(しかも)小さな島国ということで、ヨーロッパの東側に位置する諸国や、東南部の国々の政治的影響力を直接に受けながら発展していった、ということがよくわかりました。また、17世紀頃までは、イギリスで話されるマジョリティー言語が(英語でなく)フランス語であった、というのも今回初めて知り、びっくりました。さらに日本人が言う「イギリス」と言う NJ言葉も正確には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)といい、(おそらく日本では、イングランド地方を指して「イギリス」と呼んだのでしょう。。)実は、グレートブリテン島のイングランドの他、北側のスコットランド、西側のウェールズ、グレートブリテン島の西側に位置するアイルランド(アイルランド島)から成る連合国であることも今更ながら認識しました。そういった近隣地方や島であるイングラント、ウェールズ、スコットランド、そして、アイルランドがそれぞれ影響し合って、政治的な結びつきを取りながら互いに影響し合って現在に至っていることも実感できました。
古くは、ローマ帝国のカエサルもこの地を征服するためにやってきましたが、本書では、11世紀(今のフランスに勢力を維持していた)ノルマンディー公・ウィリアム征服王がイギリス国王になった頃からイギリス史を語り始めます。このノルマンディー公・ウィリアム征服王が、イギリスを治めるようになってから、イギリスは長い間、フランスに勢力基盤を置く家系によって支配されるという歴史が続きます。そのせいか、イギリスで話される第一言語はずっとフランス語でした。一方の英語は、(どちらかというと教養のない人が) 地方で話すような言語だったのだと推測します。(ですので、イギリスを治める国王はイギリスとフランスの領地を行ったり来たりしながら両方の地域を統治することが必要だったのです。また、いったん、フランスへ帰ってしまったらその後、何年もイギリスを不在にする、ということも頻繁にあったようです。)また、言語に関して言えば、この頃、教養ある人々が学ぶべきものはラテン語でした。人々が教会や議会などの要職に就きたい場合、正式記録として残す文書はすべてラテン語だったのです。
そういった、ヨーロッパ大陸からの支配や、影響を強く受けたイギリスですが、古くから国王と国王が対峙するイギリス議会(いわゆる「王権と議会」)の制度が歴史的に維持、拡大されて行きます。もともとは、国を治める国王と、土地を管理する貴族との間の税に関する取り決めが議題の中心であったようです。そして、国の発展・発達につれて、国王は、自らの権能を議会に委任する形で、議会の権力が次第に増していき、議会を構成する階級や、その構成員も拡大し、議会の機能が強化され、選挙も行われるようになり今のような民主的で、世界に冠たる議会政治がイギリスで発展したのです。また、今回、エリザベス女王や、ヴィクトリア女王のエピソードも読みましたが、イギリスは女王在位時の方が、国として元気があった、ということもわかりました。
ところで、少し前にギリシアの歴史を読んだのですが、イギリスにしてもギリシアの都市国家にしても、共通しているのは、領土も小さく、資源もなく、人口も少ない小国家ということです。
しかし、イギリスは海軍でイギリス帝国として、世界規模で植民地政策を進め一代強国になりました。また、ギリシアのアテネは、特に海運国として、スパルタなんかの都市国家連合と紀元前5、6世紀頃の東の強大帝国、ペルシアとの戦いで、量で圧倒するペルシアを相手に、少ない兵士と武力で撃退。その後「デロス同盟」を主導し、海運国として、エーゲ海に君臨する都市国家となりました。翻って考えてみれば我が国、日本も資源のない小国家です。では、日本はイギリスやアテネなどのギリシアの古代都市国家から何か学べることはあるのでしょうか。。
おそらく、どちらの国にも共通しているのは、「民主的な話し合い」だと思います。イギリスでは「議会」がその中枢になっていましたし、ギリシアでは、昔から民主政が始まり、アテネでは、「ストラテゴス」「トリブス」と呼ばれる民主的な選出、選挙が行われ、また、ペルシア戦役が始まる前には、周辺のライバル国同士で戦力拠出の話し合いを行い、一致団結してペルシアに対して戦いを挑んだのです。
イギリスにおいて、世界に誇るべきものは、実はこの「イギリス議会」ではないかと思います。 イギリスでは、自分の国の「議院内閣制」を「ウェストミンスター・モデル」と呼ぶそうですが、この議会モデルは、世界の様々な国の議会の原型になっています。実際、イギリス帝国時代、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどが自治権を獲得すると、そいうった国々の議会で採用されました。また、アメリカも独立の過程で祖国を範としてこのモデルを各地の議会で採用しました。 実は我々がイギリスから見習うべきものは「民主的な話し合い」を国の制度として機能させる「議会制度(の本質)」なのかも知れません。
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