教養としてのギリシャ・ローマ

  最近、古代ギリシャの本を読んでいますが、ギリシャ文化が、「現代にどのように影響を与えているか、」を知るのにとても良い一冊だと思います。と同時に古代ギリシャの文化の偉大さがよく実感できました。著者は、アメリカのコロンビア大学でリベラルアーツを学んだ中村聡一さん。経歴が多彩な感じで、Wikipedia では「日本のテニスプレイヤー、ファイナンシャル・アドバイザー、リベラルアーツ教育研究者。甲南大学マネジメント創造学部 マネジメント創造学科准教授。」と紹介されています。


  「リベラル・アーツ」というと、日本では、普通「一般教養」とも訳されますが、本書によると、本来の「リベラル・アーツ」(つまり、コロンビア大学を始めとするアメリカの大学で教えるリベラル・アーツ)とは、単なる一般教養ではなく、古代ギリシャ学問を祖とする《ヘレニズム》を起源とする教義領域を指し、自然学、天文学、修辞学、論理学、数学、幾何学、哲学、建築や造船、芸術といった分野にわたるものです。本書では、この《ヘレニズム》をキーワードに、ギリシャで起こった戦争から、ギリシャ文化、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの書いたもの、そこに書かれた考えや哲学を紹介し、そのヘレニズムが、その後ローマ、中東、ヨーロッパを経て現在の学問の中に継承されてきた概観を解説していきます。


  《ヘレニズム文化》というのは、元々は古代ギリシャ文化で発展し、その後、戦争やアレクサンドロスの東征などで東隣の大国、ペルシア帝国の文化と融合し、その後、ローマ文明が興り、ローマ文化に継承され、他の国の言葉に翻訳され、時間をかけながら、世界文明の普遍的学問に発展・深化していったことがわかります。それはあたかも学問におけるダーウィンの進化論の「適者生存」の考えが、そのまま「ヘレニズム」にもあてはまっているような感じがします。(実際、コロンビア大学のリベラル・アーツのプログラムにおいて、学生が最後に学習するのがこの「ダーウィンの進化論」である、というのもうなづけます。つまり、ヘレニズムを基礎としたリベラル・アーツの学問こそ、これまでのいろいろな学問の中で、いろいろな文明の[適者生存競争]で勝ち残ってきた学問である、学ぶ価値のある学問である、ということをダーウィンの進化論の授業をリベラル・アーツの最後のカリキュラムに持ってくることで、学生たちに示唆するのです。


  バチカン市国にカトリック教会の総本山・ローマ教皇庁があります。この教皇庁の「署名の間」と呼ばれる部屋があり、そこにはいくつかのフレスコ画があり、その一枚が「アテナイの学堂」と呼ばれる有名なフレスコ画です。(ルネサンス期のイタリア画家ラファエロ・サンティによるもので1509~1510年頃に描かれた。下「アテナイの学堂」)

   この絵画には、ギリシャ文化、ルネサンス文化を代表するような哲学者、宗教の教祖、音楽家、法律家が描かれているようですが、この絵の中央で会話をしながら歩いているのは、プラトン(左側)とアリストテレス(右側)です。プラトンが左手で抱えているのは「ティマイオス」、アリストテレスが左手でつかんでいるのが「二コマコス倫理学」です(どちらも「人間の善きプシュケー(魂)とは何か?」をテーマにした著作)。この絵がキリスト教カトリック総本山(ローマ教皇庁)に飾られてきたことからも、二人の哲学者を祖とするギリシャ哲学が、ルネサンスのキリスト教社会でいかに深く浸透してきたか、ヘレニズムと異文化の融合の深さを知ることができます。

  

  本書では、ギリシャ哲学者の中から、プラトンの「国家」、アリストテレスの「二コマコス倫理学」「政治学」を紹介しています。プラトンは、紀元前427年に生まれ、ソクラテスの弟子にあたる哲学者で、その思想の中心は「イデア論」です。「イデア」という天上界に存在する我々の目では見ることにできない絶対的な善、絶対的な美の世界です。一方、我々万物は、それぞれ知性的な[魂(プシュケー)]を持ち、実はイデアの存在も知っているし、それを求める心もある。現実世界ではそれを忘れがちになる。そのイデアに近づく手段が問答、芸術、数学、幾何学などの学問である、と説きます。本書で取り上げられている「国家」では、まず、幸福な人生とは。。正義とは何か。。理想的な国家とは。。その国家に近づくためにはどのような政治体制を構築すべきか。。が語られていきます。そして人の「魂」に言及し、人間の持つ「徳」も「悪徳」も、突き詰めれば魂の働きであるとし、「善い魂の働き」をいかに国家運営に取り入れるべきか、が大きなテーマとして展開され、その善き魂を育てるための教育論も語られます。プラトンの説明では、天上界のイデアからは善のイデアが太陽の光のように発信されているのですが、人間社会は一種の洞窟の奥のようなところでイデアの光が差し込まないので、不正がはびこりがちになるのです。しかし、人は本来、真理を知るための器官をもっています。しかし、イデアの光が差し込まない世界にいるので、人は、イデアの光を浴びたいのなら、その「器官」の方向をイデアの光が差し込む方向へと向きを正す必要があります。この器官の方向を正しくし、見える方向へ直すよう工夫する技術が「教育」なのです。そして、この教育の本質は[真理の探究]にあります。この考えこそが現代のリベラルアーツ教育の原点である、と中村さんは指摘します。

  

  一方、アリストテレスは、紀元前384年生まれで、プラトンの弟子。ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされます。人間がなし得る最高の善は、人々の魂をより善く働かせるべく、政治の力、法律の力をもって倫理的な習慣づけをすることだ、とします。そして、人の魂を「よい状態」に保つことこそが幸福であり、その幸福の獲得には、長い期間の習慣化が必要で、それを可能にするのが「政治」である、と考え、立法や行政のあり方にこだわりました。「人間的な善」についても、アリストテレスは深い論考を行っていますが、その中で、「倫理」や「徳」という考えにも触れ、特に「徳」については9種類に分類し、その有名な「中庸の徳」という哲学は、西洋における騎士道とかジェントルマンの源流となりました。


  実際のプラトンの「国家」とかアリストテレスの「二コマコス倫理学」「政治学」などは全8巻とか、10巻にもなる大作で、また、当時の人々の生活や国家の在り方に対する考えも現代とは違う2500年以上前の考えですが、当時は、ペロポネソス戦争や、ポリュリズムの台頭でアネテを始めとする都市国家に住む人々の心も傷付き、荒れ果てていたからこそ、プラトンは「悪しき魂は争いを呼ぶが、善き魂は友愛を呼ぶ。」、アリストテレスは「人間の魂を善くすることが、教育や政治の本来の目的である。」と、「人間の幸福」「良い国家をつくる」ことのキー・ポイントに「人間の魂を善くする」ことを挙げたのだと思います。一方、現代社会では、ロシアのウクライナ侵攻、新型コロナ禍、日本では、少子高齢化、国の長期債務、格差の問題が叫ばれる中、経済は、バブルの後遺症から立ち直れないでいます。国や時代が違えど「人が毎日、充実した生活を送れるような生き方とは何か。」という問題は、いつの時代でも人間にとっての普遍的な「命題」なのかも知れません。だからこそ、その「生き方」の問題を突き詰めたギリシャ哲学や、そこを源泉として出発したヘレニズムというのは、今でも学ぶ価値があるのでしょうね。。。