超訳 自省録 - よりよく生きる

  「自省録」というのは、紀元2世紀に実在した第16代ローマ皇帝、マルクス・アウレリウス・アントニウスが自らに書き綴った(とされる)書簡/散文集で、原題は『タ・エイス・ヘアウトンΤὰ εἰς ἑαυτόν』(意味は「彼自身へのもの」。日本では以前、『瞑想録』というタイトルで出版されたこともあります。)おそらくは、ローマ皇帝としての自らの仕事の隙間時間や、一日の終わりの就寝前に、日記のような感じで毎日少しづつ書き溜めていったのだと思います。繰り返しますが、マルクス・アウレリウスは、誰のためでもなく自分自身へ書いたものなので、全体としてみると同じようなテーマを扱っていたり、前後関係の意味がはっきりしないところがあったり、同じような文章が繰り返しでてきたりと、きっちりした構成になっていません。


  しかし、本書の一番の特徴は、「実在した、ローマ皇帝自身が書き綴った書簡」ということで、当時のローマ帝国のトップがどのような考え方や人生哲学をもっていたか、などがうかがい知れるだけでも一読の価値があると思います。一例を挙げると、「もうたくさんだ。最高責任者の皇帝という、このみじめで不平だらけの猿真似人生。。。」などといった自らが背負うローマ皇帝としての責任の重さや孤独と闘うマルクスの姿も垣間見えたりしています。マルクス・アウレリウスは、皇帝でもありますが、思索にふける賢人でもあり、「ストア派の哲学者」としても名を残しています。


  彼が治めていた頃のローマ帝国の人口は、6,000万人強、首都ローマは、100万人程度の人口を擁していた大都市でした。但し、ローマ帝国史全体を俯瞰すると、彼の時代のローマ帝国は、全盛期を過ぎやや下り坂にあった時期に相当し、洪水、震災などの自然災害、国境周辺では絶え間ない蛮族の侵攻などで国力衰退の兆しが見えていた時代でした。


  こういった国難という事情もあり、マルクスは50歳を過ぎてから、現在のドイツあたりからローマ領土へ侵攻する蛮族との戦いのため人生の最後の約10年間を戦地で、陣頭指揮することを決意します。「陣頭指揮」と書きましたが、実際に戦場で戦うことはなかったようですが、やはり、国のトップが戦場に来て自分達の近くで見守ってくれるだけで、兵隊たちは思う存分戦うことができます。ローマ市民の娯楽であった「剣闘士試合」の観戦中にも未決済の書類を読んでいて市民から笑われた、というくらいの生真面目なマルクスのことです。自分の人生の最後を戦場でまっとうすることも厭わなかったのでしょう。

  

  しかし、一口に「戦場」とはいっても、そこで過ごすにはやはり精神的な負担は相当なものがあったと推測します。この「自省録」の中に次のような記述があります。「手足や首が胴体から切り離されて、バラバラになった状態で地面に散乱しているのを見たことがあるだろうか?」 ー 戦いの終わった戦場には、おそらく敵か味方かもわからないバラバラ死体が散乱していたのでしょう。そいった普通では想像できない光景も戦場においては、日常の一部であったと想像します。 


  このような環境で、兵士を励ましながら、一方ではローマ帝国の政治についても決裁事項を毎日片づけていた皇帝マルクス。一日の激務が終った後で、自身が学んだ教訓や、反省、自身への戒め、励まし、慰め、諭し、、また、兵士の死を通して、人間の「生」や「死」についてもいろいろな想いを馳せていたのでしょう。そのせいかこの「自省録」の中には、「死」に対しての書き綴りも多いように思えました。そういった過酷な状況にいる皇帝を想像しながら読むと、彼の書いた文章がより一層意味のある、重い言葉としてのしかかってくるような気がしました。


  また、「運命がもたらすものを愛情をもって歓迎せよ、」という運命観や、「変化することなく一体なにが起こるのか、、」「とぎれのない時間の進行が、無限に続く時代を更新し続けるように、動きと変化は、たえることなく世界を更新し続けている。」という物事の変化の受入れを肯定する無常観、「宇宙に存在するものはすべて関連しあい共感しあい、お互い友好関係にある。」と考える宇宙観、こういった考え方は、東洋の仏教観、もっと身近なところでは、稲盛和夫さんの人生観にも似ていて、我々日本人にとってもわかりやすいと思いました。


  蛇足ですが、2000年製作のローマの剣闘士の活躍を描いたハリウッド映画『グラディエーター』(原題:Gladiator/監督、リドリー・スコット、主演、ラッセル・クロウ)の冒頭、ラッセル・クロウ扮するローマの指揮官が蛮族との戦いが終わった夜、マルクスの兵舎を訪れるシーンがありますが、その時のマリウスは自省録を執筆中でした。(マルクスを演じているのはリチャード・ハリス。)


  人生の晩年にさしかかった歳でありながら、ローマ皇帝という自らの職務をこなすためローマ軍隊と共に辺境へ赴く決意(辺境の地で一生を終えることも辞さない覚悟)、戦場を住まいとして、ローマ政治の実務もこなしたその意志の強さ。。しかし、その精神的な強さの一方で、この「自省録」を書く綴っていくことで、マルクスは精神的な安定を維持していた、換言すれば、己の精神を鎮めるセラピー的な行為であったとも受け取れます。そいうったマルクス・アウレリアスに共感できるのでしょう。マンデラ元南アフリカ大統領や、クリントン元アメリカ大統領、トランプ政権の国防長官、マティス海兵隊退役大将など、国のリーダーにも愛読者が多いようです。尚、今回取り上げた「自省録」は「超訳版」(*)ですが、本書は各出版社よりでているので、好みにあった訳者のものを読むことができます。


*訳者が意訳をより洗練した表現に直したもの。