ローマ亡き後の地中海世界 (上)、(下)
本書「ローマ亡き後の地中海世界」の作者は塩野七生さん。このブログでも紹介した「ローマ人の物語」の著者でもあります。塩野さんが「ローマ人の物語」(全16巻/文庫本全47巻)において物語ったローマ帝国。カエサル登場の後は、その後継者、アウグストゥスが初代皇帝となり(紀元前27)発展・隆盛していきますが、その後周辺国からの蛮族侵攻、経済の疲弊、キリスト教の国教化、目まぐるしく変わる軍人皇帝の支配交代などで徐々に衰退し、やがて東と西に分かれた分割統治が始まります。そしてついに紀元476年、衰退し切った西ローマで実権を握っていたゲルマン人の武将が、西ローマ帝国の皇帝位を東ローマ皇帝に返上。これにより西ローマ帝国は終焉の時を迎えます。(ただし、東ローマ帝国は、ビザンツ帝国と名前を変え、1453年オスマン帝国による首都コンスタンティノープル攻撃により最後の皇帝コンスタンティノスが死ぬまで存続。)
そして、この「ローマ亡き後の。。」の舞台となる時代は、その統一ローマ帝国が消滅した後の地中海世界です。それまで地中海世界の主人はローマ人でしたが、(統一)ローマ帝国が滅んだ後、地中海世界の覇者となったのは、誰でしょうか。。。世界史初心者の私は、その後、新世界を発見するスペイン人やポルトガル人などのヨーロッパ人だと勝手に思い込んでいたのですが、、実際、地中海の新しい主人になるのは、7世紀の頃サウジアラビア周辺で台頭したイスラム勢力なのです。
(統一)ローマ帝国亡き後のローマ半島では、半島全域を支配する国は生まれず、キリスト教を中心にした小国や、海洋貿易に活路を広げる貿易都市など、いくつかの狭い地域で都市が栄え、経済活動を行うようになります。(もう少し詳しく書くと、相次いだ周辺地域からの蛮族侵攻に対する戦いで、ローマ半島全体の経済規模が縮小し、同様に人口も減少の一途とたどります。このような状況では、ローマ帝国のような政治力、経済力や安全保障を維持する国をつくることはできなくっていたのです。そのため、西ローマ帝国時代から存続していたいくつかの地方都市が、減少した人口や経済力を吸収し、都市国家として存続していたのです。)
その一方、アラビア半島で隆盛したイスラム勢力は、ローマ半島の対岸、北アフリカの国でも勢いを増していきます。そういったイスラム勢力(サラセン人)の中には、「右手に剣、左手にコーラン」を標榜し、異教徒との聖戦(ジハード)を唱え、地中海を船で横断しローマ半島沿岸部へ侵入し略奪行為を行い、現地のキリスト教徒である市民を誘拐し、イスラム労働市場へ奴隷として売ってしまう、という海賊行為をする連中がでてきます。このように書くと野蛮で非業のようにも聞こえますが、異教徒との聖戦を唱える彼らにしてみれば、異教徒であるキリスト教徒の中小都市を攻撃し、物品を略奪、さらに彼らを拉致誘拐し、奴隷としてイスラム社会の労働力として役に立てること、また彼らを奴隷にする過程でイスラム教に改宗させることは、イスラム教徒にとっては立派な「聖戦」なのです。そのうえ、奴隷売買や奴隷を使った低賃金での労働力活用は、イスラムの労働市場を活性化させるビジネス(生業)にもなったのです。こうして年々、イスラムによる海賊行為は激化。キリスト教世界にとって大きな脅威となります。
このようなサラセン人の海賊行為は、紀元700年頃、彼らの勢力圏である北アフリカのチュニジアから近いキリスト教勢力圏のシラクサ(シチリア島)への襲撃から顕在化します。彼ら海賊は、系統的な組織で行動せず、比較的小規模な人数で船団を組み、イタリア南部を中心とするイタリア海岸線の集落、小中都市を襲うようになり、物資、食料、家畜を略奪、そして、抵抗しない少年や女性を誘拐、チュニジアなどで奴隷として売り払って生計を立てるようになります。一方、サラセン人の海賊襲撃に脅かされる日々が続くようになったイタリアの人々は、村落の近くに海賊船を見張る灯台を建設したり、居住地全体を海岸線全体を一望できる高台に移転するようになります。かつて、西ローマ帝国が存在し、帝国の安全保障が機能していた時代には全く考えられなかったことが、日常的になったローマ半島社会。沿岸部の人々は自分達のコミュニティーを、自らの手で守らなければならなくなったのです。
そして、不幸にも北アフリカに強制的に連れてこられたキリスト教徒には、男子の場合次のような運命が待ってました。1,海賊船などのイスラム船の漕ぎ手になる。2,イスラム教へ改宗させられ聖戦を戦うイスラム軍への参加。3,奴隷市場で売られ主人の下で奴隷として生涯を終える。4,労働力を安く斡旋するための強制収容所に入れられ、低賃金労働者として重労働に耐える。もし、奴隷が女性の場合は、イスラム教へ改宗させられ主人の持つハーレムへ送られる。。。
にわかには信じがたいのですが、こうした人身売買を行う海賊連中が地中海から姿を消したのは、なんと1830年フランスが北アフリカのアルジェリアを植民地化してから、ということです。ということは紀元7,8世紀頃から19世紀までの、なんと10世紀にもわたりこうした海賊行為が続けられていた、ということになります。(ちょっと信じれらない。。。)更に、このような海賊行為による拉致被害は、16世紀~19世紀の3世紀間に限っただけでも80万人から125万人にも及んだのです。
もちろん、キリスト教世界でもこの被害を手をこまねいてみてたわけではありませんが、ヨーロッパのキリスト教国もそれぞれの利害が対立し、また、イスラム勢力の国が台頭してきたり、、とキリスト教世界が一枚岩になってイスラム勢力に対峙する、ということは十字軍遠征まで待たねばなりませんでした。しかし、そのような状況にあっても、拉致され北アフリカで奴隷となっているキリスト教徒の救出を目的にした団体が二つ結成されます。一つは修道士による組織で1197年設立の「救出修道会」(正式名:三位一体修道会【英語: Order of the Most Holy Trinity for the Redemption of the Captives】)。もう一つはスペイン人の騎士によって組織された1218年設立の「救出騎士団」(メルセス修道会)です。(この二つのキリスト教徒救出団の活動の詳細については、「ローマ亡き後の。。」[上巻] をご覧ください。)
余談ですが、このような拉致被害にあった人々は、社会的地位の高くない人たちが多かったのですが、そういった中にあって、唯一の例外は、『ドン・キホーテ』の作者ミゲル・デ・セルバンテスです。西暦1571年のレパントの海戦から故郷、スペインへ帰る途中、海賊に捕まり、「強制収容所」で数年間の奴隷生活を送り脱走も試みますが成功せず、結局家族に身請けされ自由の身になることができました。
尚、下巻では、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅亡に追いやったオスマン帝国が、地中海を荒らしていた海賊「赤ひげ」を自国の海軍司令官に据え、対するキリスト教国は、総司令官アンドレア・ドーリアを中心としたスペイン海軍で対抗するという地中海世界におけるキリスト教勢力とイスラム勢力の戦いが描かれます。
「拉致」といえば、日本でも北朝鮮による拉致事件があります。現代と昔とは時代が違い、同じような比較はできないのかもしれませんが、価値観の異なる社会にある人々の信義や信条の違いからこのような出来事が繰り返されている。。。安易に言うつもりもありませんが、このような歴史を知ると、現代という時代も、「歴史」という過去の延長線上にあり、同じようなことを繰り返しているような実感を持ちます。
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