人生をいじくり回してはいけない

  「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家、水木しげるさんのエッセイです。水木さんというとNHKでも連続テレビ小説なんかで取り上げられていて、国民的人気がある方だと思ってはいましたが、なんとなく第二次大戦で苦労されたイメージと、彼の描く妖怪世界のイメージが重なっていて、漠然と「暗い」印象があったのですが(水木さんゴメンなさい!)、今回このエッセイを読んでイメージが全く変わりました。


  水木さんは戦時中の青年時代、赤紙を受け取り兵士として東南アジアの戦地ラバウルへ赴くことになります。しかし、途中のパラオ島で彼を待っていた船は、なんと信濃丸という日露戦争で使われていたオンボロの老朽船。舷側の金具もちょっと触った程度でポロっとれるような代物でした。しかもラバウルまでの航路には、敵軍機や潜水艦がウヨウヨして日本の補給船を餌食にしようと待ち構えています。「自分もこれまで。。」と己の運命のはかなさを感じた水木さん。しかし意外にも信濃丸はアメリカ機の空爆や潜水艦からの魚雷を受けることもなく無事にラバウルに到着。しかし、ラバウル配属先の小部隊では、後方から襲ってきた敵の早朝の不意の攻撃に遭い、水木さんの部隊は全滅。水木さんはたまたま、歩哨で見張り番だったので助かります。敵から逃れるため必死で単独で海を泳ぎ、ジャングルを彷徨いながら日本軍の別隊への合流を試みます。底が抜けた軍隊靴のまま何日も命がけで走る水木さん。なんとか別部隊との合流を果した水木さんは、しかし、この部隊の上司から「どうして他の者と一緒に死ななかったんだ。」と怒鳴られ殴られます。


  いよいよアメリカ軍の攻撃が盛んになってきた東南アジア方面。水木さん所属部隊の宿営所も度重なる敵機の爆撃に遭い、水木さんも重症を負い野戦病院へ送られ、左腕を失いながらもなんとか一命をとりとめます。自分の不遇を嘆く水木さん。しかし野戦病院のスタッフから「(水木さんが野戦病院へ搬送られた直後)水木さんの部隊がアメリカ兵の攻撃に遭い全滅した。」ことを告げられます。こうして戦場で生活していくうちに、運命の差配の不思議を感じる水木さん。(実は、水木さんをラバウルへ運んできたオンボロ船もラバウルからの帰路、敵艦の攻撃に遭い撃沈されていたことを知ります。さらにラバウルへの海上補給路は敵艦の攻撃により絶たれ、若い補充兵は水木さん〈と一緒にオンボロ船に乗ってきた補充兵〉を最後として、その後一人もラバウルへは来られなかったことを知ります。)このような出来事で、水木さんは、己が何か大きな運命の力によって生かされていることを一層感じるようになります。


  そして、日本軍の敗戦が濃厚になってきて、戦地でも日本軍の勢力が衰え食料不足が深刻になる中、水木さんは日本軍部隊から離れ現地人(ネイティブ)と親しくなり、食料などをもらうようになります。ここで、水木さんは、毎日毎日をあくせくせず、のんびりと自給自足し、しかし共同体を大切にする現地の人々の生活に深い共感と尊敬の念を覚えるようになります。現地の女性とも親しくなり、いったんは、軍を離脱しこの現地でネイティブの人々を生活を共にすることも考えた水木さんですが、部隊の上司に諭され帰国します。


  無事帰国後は、子供の頃から好きだった絵描きで生計をたてようと、はじめは紙芝居づくりの仕事を引き受けますが、やがて貸本屋の漫画書きで生計をたてるようになります。絵だけは得意だった水木さんですが、漫画に必要なストーリー作りには苦心します。しかし、なんとか要領を得て数をこなしていきます。そして子供時代の田舎(鳥取、島根地方)に伝わる妖怪話をもとに妖怪漫画を描くようになった水木さんは、少年・少女雑誌時代の到来と共に漫画界の第一線へ躍り出るのです。


  子ども時代を過ごした島根、鳥取地方を始め日本の各地に伝わる妖怪・幽霊にまつわる民話や伝承を渉猟する一方、水木さんは戦時中に命を助けてくれ一緒に生活したアジアのネイティブの土着的な、素朴で力強い生活感、生命力、のびのびとした明るさ、そういった現代社会にはなくなった(なくなっていく)価値観を水木さんはとても大切にするようになります。


  このように、多くの軍人仲間が戦死した戦場体験やラバウルの密林に住むネイティブの人々との生活を振り返る水木さんは、どんな過酷な状況でも生き延びられ、また絵を描くのに必要な右手と命だけは失わなかったことで、水木さんは、妖怪を描くために御先祖や妖怪たちに生かされている、と語ります。


  このような、運命の境目を行ったり来たりしながら人生を送ってきた水木さん。「自分は年と共に幸せになっていった。」と話します。一方、子供の頃から幸せな状態にいるはずの現代の若者がすぐ「自分は不幸だとか、幸せになりたい」、と不満をこぼすのはおかしい、と言います。「幸せになりたいのならもっと努力をしなけれないけない。人生にはいろんなことが起こって当たり前。それらに一喜一憂するのではなく放っておきなさい」と。おそらく水木さんが言いのは、「ちょっとしたアイデアとか、思い付きで行動し運が開けるとか、最短距離・最小努力で運が開けることはない、あっても実力が伴わないから、また振り出しに戻ってしまう。それよりも人生いろんな好きなことを見つけ一生懸命努力しなさい、人生という大きな大河に身を任せなさい。」ということだと感じました。


  自分も毎日バタバタしている生活の中で、無意識のうちに何をやるにも「短時間、効率化、省エネ」で行動しようとして細かいこと、つまらないことで変に「人生をいじくりまわしていた」ように感じました。ストレスを感じることなく、もっとおおらかに。。「人生をいじくりまわしてはいけない。」。。とっても心に残る素敵な言葉だと思いました。