パレスチナ【新版】

        爆弾テロや難民といったネガティブなイメージがつきまとう中近東(実際このブログを書いている 2023年10月9日 も【イスラエルとハマス(*1)の対立で1,000人以上の死者】というネットニュースの見出しが躍っています)。日本では報道はされるけど、あまり内情がよくわからない中近東ニュースの一つが「パレスチナ問題」だと思います。この「パレスチナ問題」、Wikipediaでは、「イスラエルとパレスチナの紛争」という呼び方がされ、英語ではそのまま ”Israeli–Palestinian conflict” となっています。そして「イスラエル人とパレスチナ人の間で続いている暴力的な闘争である。」あるいは「イスラエルとパレスチナの和平プロセスの一環として、この紛争を解決するためにさまざまな試みが行われてきた。」とかよくわからない、あいまいな記述になっています。


  まず、パレスチナという場所、皆さんご存知でしょうか。。。地中海の一番東端に中近東の海岸線が北はトルコから南はエジプトあたりまで走っています。その海岸線の内陸部に、かつて大シリアの一地方として「パレスチナ地方」と呼ばれていました。(下の図を掲載)。パレスチナとその周辺には、歴史的にローマ帝国、エジプト、オスマントルコ、イラン、イラクなどがあり、かつては、アレクサンドロス大王やローマ帝国軍、十字軍などが遠征、文明の交流も紀元前から絶えることなくおこなわれていた要衝でもあります。また、御存知のように世界三大宗教であるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教が勃興した地域でもあります。


  1948年にイスラエルが建国されるまでは、このパレスチナにはアラブ人を多数派とするパレスチナ人が住んでいましたが、第一次世界大戦も終わりの頃、ユダヤ人がパレスチナにおいてホームランドを建設するのを目標にしたシオニズム運動が活発化、戦後ヨーロッパ、特に東欧ではユダヤ人難民も多かったこともあり、ヨーロッパではユダヤ人の(イスラエルへの)移民政策を後押しします。もちろんナチスドイツのユダヤ人迫害の事実も追い風となり、イギリスを始めとする国連加盟国の承認を背景にパレスチナの地にイスラエルが建国されます。


  漸進的なユダヤ人の流入によりイスラエルでは人口が増加。イスラエルはやむなく、国境線を曖昧にしたまま、パレスチナ人が住んでいる近隣周辺の土地を強引に侵食拡大し、自国領として実効支配していきます。(一方、イスラエル側は、「その周辺の土地には誰も住んでいなかった」とか「その土地は無人で合法的に取得した」と主張。)このようにイスラエルがパレスチナを実質的に「イスラエル化」する過程でパレスチナに住んでいた人々が難民化している問題が「パレスチナ問題」です。( ↓ 下図は、パレスチナの位置と、イスラエルが強硬政策でパレスチナの地を領土化している拡大図)

  本書「パレスチナ【新版】」は、このパレスチナ周辺地を1960後半の学生時代から訪れている広河隆一さんによる現地取材で、イスラエルによる強引な領土拡大政策を詳しく解説しています。広河さんは23歳の時、日本共同体協会という団体が組織したイスラエルのキブツ研修に参加します。キブツというのは、当時一種の理想的な共同体としてイスラエルが宣伝していたコミュニティーで、実際現地は最も美しい季節で緑豊かな土地でした。ところが広河さんがキブツ滞在中に第三次中東戦争が勃発します。この戦争は、わずか6日間でイスラエル側の勝利で終結します。この戦争をイスラエル人は「正義の戦争」と呼びます。この時、「戦争に正義なんてあるんだろうか。。?」と広河さんは考えます。イスラエル側の一方的な主張に疑問を持った広河さんは後年パレスチナを訪れますが、取材を続けて行くうちに、イスラエル側の非合法とも思える強引なやり方で、パレスチナ人から土地を奪い実効支配して行くイスラエル政府の非情な領地占有政策を目の当たりにします。


  イスラエルの近隣の土地の実効支配するやり方として本書では次のように紹介しています。ある日、安全のため、公共物建築のため、または、戦争の危険がある、、等の理由をつけイスラエル軍は、パレスチナ人村民に一時避難命令を発します。そして1950年につくられた「不在者財産没収法」(*2)という法律をたてに、彼らの家屋や財産を没収。このようにパレスチナ住民の追放と村の破壊をおこなって行くのです。住居地を取られた村民はもちろん帰る場所がなく、避難民キャンプ地へ行くしかありません。一方、このようにしてパレスチナ人を追い出した後にはユダヤ人入植地(多くの場合、キブツ)として利用されるのです。


  さらにちょっと信じられないのですが、(本書によると)イスラエル兵士は、パレスチナ人に村からの退去を命じる際、住民が少しでも立ち退き命令をサボタージュすると、子供や女性の例外なく暴力行為や銃を向け発砲し一度に数十人、百何十人という人々が死亡する事件が定期的に発生しているのです。(かつて、ナチスドイツがユダヤ人を迫害した状況が、今度は逆にユダヤ人がパレスチナ人を迫害することで再現されているかのよう。。正に「ミイラ取りがミイラになった」とでも言うのしょうか。。)


  一方、このようなパレスチナの土地の強引な占有方法についてはイスラエル国内の人々は極右派政府からは(前述の通り)「パレスチナ人が不法占有している土地はもともと人が住んでいない土地だった、」などともっともらしい説明をされているようです。また、国際社会もアメリカを始めとして石油政策のためイスラエルに肩入れしているため、イスラエルのパレスチナへの強硬姿勢を暗に黙認している状況が続いているのです。(今回のイスラエル・ハマスの件でも日本はアメリカよりの外交姿勢のようです。)


  このパレスチナにおける紛争や、現代の中東問題の発端は第一次世界大戦に遡ります。パレスチナは第一次世界大戦前は、オスマン帝国の領土だったのですが、石油産出の利権から、イギリス、フランス、アメリカなどが早くからこの地域に進出。第一次大戦中には、イギリス・フランスなど秘密にこの土地における戦後の占有を決めてしまう「サイクス・ピコ協定」を締結。その一方、イギリスは、アラブ人に対してはパレスチナでの居住を認める「フサイン=マクマホン協定」を締結。アラブ人のオスマン帝国からの独立の夢を利用し、彼らに武力を提供、イギリス人の T.H.ロレンスのもと、彼らアラブ人は一致団結し、オスマン帝国からの独立を勝ち取りますが、イギリスはアラブ人には狭い土地しか与えません。


  さらにイギリスは、第一次世界大戦も終わり近づいた1917年頃、ユダヤ人がパレスチナにおいて彼らのホームランド建設に賛同し支援する内容の「バルフォア宣言」を表明。これによりそれまでシオニズム運動が活発化します。このパレスチナは1920年から1948年まで大英帝国の委任統治領となります。そして前述した通り、東欧州を中心に、数多くいたユダヤ避難民のパレスチナ入植をイギリス、フランスが支援。そして、第二次世界大戦後はアメリカが自国の石油利権をからめ、このパレスチナの地にユダヤ人の国「イスラエル」の建国を承認するのです。当時世界の人々は、ナチのホロコースト問題が話題となっており、ユダヤ人に同情し、この風潮もユダヤ人のイスラエル建国の追い風となったのです。


  うーん。。パレスチナは第一次大戦後の戦勝国により開かれた現代版「パンドラの箱」の矛盾がそのまま現実となっているような場所にも感じます。我々日本人は、石油依存度が大きい割には、その産油国である中東にあまり関心がないようです。でもこの問題、日本人として目を背けてはいけない現実なのだと感じます。本書「パレスチナ」は【新版】とはいっても、2002年の出版から20年以上が経ちますが、この土地の問題をたいへんわかりやすく解説していると思います。特に日本では、報道にしてもイスラエル(アメリカ)寄りのものが目立つようですが、この点、本書の場合パレスチナ側の取材を丁寧に行っているところに好感が持てました。


(*1)ハマス:(パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織)(*2)不在者財産没収法:戦火が近づいたため近隣へ一時避難した者、イスラエル軍の命令で村を立ち退いた者、土地・家屋の所有権証明のない者、ある期間、村や町を出なかったと証明できない者は、この法律により家屋や財産を没収された。