立ち上がれ日本人

  前回ご紹介した「マハティールの履歴書」を書いたマハティール・モハマドさんが本書「立ち上がれ日本人」の著者です。マレーシア首相として、20年以上におよぶ重責期間を過ごしてきた人物からするととても意外ですが、実際に会うと、マハティールさんはそんなに背が高くない物静かな人で、会話もソフトで英語の発音は決して流暢ではなく、訥々とした話し方をするそうです。おそらくは、一つ一つの言葉を慎重に選びながら話をする人なのでしょう。

 

       大の親日派として知られていたマハティールさん。彼は、日本人にイスラムの本当の姿を理解して欲しいと語っています。そのためか本書にでも「日本人こそイスラム世界を理解できる」という章を設けて、イスラム教について説明しています。「イスラム教はかつて世界を文明化した宗教でした。欧州大陸が暗黒の時代であった中世の時期、イスラム世界こそが一筋の光だったのです。哲学、芸術、詩、文学、数学、科学、技術、、あらゆる分野で世界をリードしたのはイスラム教でした。」 


   イスラム教の開祖は、預言者ムハンマド(マホメット)。彼は7世紀初めのアラビア半島のメッカで神の啓示を受けます。「当時アラブ人は最も原始的な人々で、いくつかの部族に分かれ、激しん戦い繰り広げていました。彼らは野蛮な宗教を信じ、今から考えれば酷い宗教的慣習を実践していました。ムハンマドはこの人たちに平和と兄弟愛を説き、イスラム教に改宗させ、人生は神聖であること、そして互いに寛容でなければならないこと、女性を尊重せねばならない。。など教えました。(中略)挨拶の言葉には人々の願いが込められているものですが、イスラム教徒は非イスラム教徒に対して『あなたに平和が訪れますように(アッサラーム・アライクム)』と挨拶します。なぜなら砂漠地帯に平和はほとんど訪れたことがなかったからです。創世期から今に至るまで、イスラム教徒が切望してきたのは平和でした。『平和』こそイスラムの福音そのものだったのです。」


  このようにかつて文明の学術をリードし、人々に平和を促す教えを広めていったのがイスラム教である、と訴えるマハティールさん。確かに伝える処によれば、アラビア数字をつくったのも、複式簿記をつくったのもアラブ人です。ですが例えば、「ローマ人の物語」の作者、塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界」(以前、このブログで紹介済)なんかを読むと、5世紀頃の地中海を支配したサラセン人(イスラム教徒)の海賊は「右手に剣、左手にコーラン」を唱え、ヨーロッパの人々を拉致し、海岸都市からは略奪を繰り返しと、その蛮行にキリスト教諸国が震え上がった、という記述があります。このような掠奪行為を聖戦とするイスラムの人々が希求するものが「平和」である、と語るマハティールさんの言葉を、実は最初は素直に受け入れることができませんでしたが、よくよく考えると、キリスト教徒も自らが中東へ出向いて聖地エルサレムを奪還する目的でイスラム教徒と戦う十字軍運動を行ったわけですから、どっちもどっちということなのかもしれません。よく言われるように「人々の無知、無関心こそ誤解、偏見、そして恐怖、敵意、憎しみを生む原因となる。」つまりは、イスラム教を理解したければもっとよく知る必要がある、ということなのでしょう。。


  日本は明治維新以前に仏教、神道が栄え、明治維新以降からキリスト教を基礎にした西洋文明を受け入れて経済発展・成長を遂げた国です。しかし、西洋諸国追随主義のためか、日本ではイスラム教やその文化が日本で広められる素地はなかったと思います。日本のような資源の乏しい、領土の小さい国にあって、貿易や観光は大切な産業です。こういったビジネスにおいて、日本の(からの)サービスを受ける人、モノを購入する人も海外の人々である以上、世界で13億もの信者をもつイスラム教については、マハティールさんの言うように日本人はもっと理解する必要があるかも知れません。


  このように世界に多数の信者を持つイスラム教ですが、しかし、マハティールさんに言わせると現在イスラム教は、非イスラム教徒だけでなくイスラム教徒自身からもその本質を間違って理解され、イスラム教徒同士の間にさえ深刻な対立が起こっているといいます。 うーん。。このように世界でも多数の信者をかかえる一方、信者同士でも基本的な理解でもいろいろ齟齬が起こっているイスラム教。。 やはりテレビやネットを通して簡単に得られる手短な2次的情報を鵜呑みにするのではなく、見識者が書いたしっかりした情報から理解することの必要性を感じます。ちなみに、本書ではマハティールさんが「パレスチナ問題」について言及していますが、「イスラエルとパレスチナの対立は本質は領土問題であり、宗教問題ではない」と、この問題を宗教問題と一緒に論じるマスコミの論調に釘を刺しています。


  また、マハティールさんは、近隣諸国、つまり東南アジア重視の政策を推進した政治家です。「マレーシアは、近隣諸国を豊かにすることが、自国にとっても大事なことであると確信しています。けっして、貧しい国を置いてきぼりにしてはなりません。近隣諸国が貧しければ、多くの問題が自分の国にふりかかってきます。貧しい国から難民がどっと入ってくれば一大事ですが、近隣諸国が豊かになれば自国製品を輸出することもできる。だからマレーシアは近隣諸国を富ます政策を積極的に取り入れているのです。」


  このようにアジア重視のマハティールさん。当然ですが、中国に対しても独自の考えを持っています。そして、日本に対しては「もっと中国と親しくしなければいけない」と話します。最近、海洋進出も目立ち、近隣諸国と海洋資源争ったり、チベット論争などが話題になる中国ですが、彼に言わせると、「中国は歴史的に見て領土を拡大したことはありません。世界の中心にあるという衒(てら)いこそあれ、他国を植民地化したことはないのです。いまさら、これまでのやり方を変えるとも思えません。」と話します。

  確かに日本の論調では、例えば西洋先進国の報道と同調し、香港や台湾の併合化に批判的・神経質になっているようですが、中国の人々からすれば、この2つの問題は、かつて外国勢力の植民地化の煽りを受けた同じ民族の問題です。中国の人々から見れば統一は民族の悲願です。またそれを実際に実行に移すにしても、中国政府は他国への影響、香港台湾人を含めた自国民への負担はできるだけ避けながら移行してくことが予想されます。アメリカの大統領選挙がアメリカ人の問題であるように、台湾、香港についての問題に対しても同様に、中国への理解も大切だと思います。


  また、中国が強国となり、政治的・経済的にも脅威となるからといって、我々、日本人はどこかへ引っ越しすることも、逃げることもできなせん。そうであるならばもっと胸襟を開いて対話を続け、アメリカの対中国政策ばかりに追従することなく、アジア・東南アジアの枠組みの中で共存共栄の方向を探るべき、というマハティールさんの意見にもっと耳を傾けて良いのかも知れません。


  本書で「ルック・イースト政策」を述懐するマハティールさん。尊敬する日本人は盛田昭夫氏と松下幸之助氏だと語ります。そのマハティールさんが「ルック・イースト政策」において日本から学びたかったことは「職業倫理感」「職場規律の正しさ」「品櫃の高い製品をつくる姿勢」でした。「マレーシアは、日本が成功した要因をひとつひとつ発見していきました。それは愛国心、規律正しさ、勤勉さであり、能力管理システムでした。政府と民間企業の密接な協力も見逃せません(中略)そして自他共に認めるように、マレーシアは他のどの発展途上国より大きく発展したのです。」


  日本を敬愛する彼はまた日本へのアドバイスも語っています。「日本経済を回復させるためには、現在のような2年ごとの政権交代は望ましくありません。新しい政府が問題点を真に理解するまでには長い時間がかかり、計画を練り政策を実行するにはさらに多くの時間を必要とするものです。どれほど優秀な政治家でも、わずか2年では政策の立案はおろか、間違いを是正することすら望めません。日本の政治システムと行動様式が強いリーダーの出現を阻止しているとしか考えられません。」 


  更に、これまでマハティールの書籍を読んでわかる彼の外交哲学は、国の大小は関係なく一国の為政者は、強国の意見に惑わされることなく、独自性を模索し、近隣諸国と一緒に発展することが大切、という視点です。実は、当初マハティールさんの言葉と自分の間にある距離感、というか違和感が存在しているように感じたのですが、マハティールさんの言葉を反芻しながら分かったことは、自分の中にも日本の政治家と同様に、西洋先進諸国への追従主義がしみ込んでるのではないか、、という疑問というか、一種の自覚でした。この考えが自分の根底にあるからこそ、彼の言葉と自分の間にどこか距離感が存在しているように感じたのだと思います。日本は、戦後、地政学的な利点から極東における資本主義の最前基地となり、アメリカの資本主義の傘に守られ、西欧圏の枠組みに入って経済成長してこられました。貧しかった国土再建のため、安全保障の面ではアメリカ同盟依存を許容し、アメリカ文化を受け入れ、繁栄を享受してきました。これは戦後日本の自主防衛、本来の意味の独立精神をわきに置き、経済成長を優先事項とした当時の政府の成長戦略でもあったと思いますが、近年の日本の低成長、まわりの国際状況は、そいうった枠組みからの脱却を日本に要求しているように感じます。


  こういった意味で考えると、日本人はもっと海外のいろいろな国の考えを吸収し、学ぶ必要があるように感じてなりません。。マハティールさんは、日本のここ数十年の低成長を見てこんなアドバイスを本書の中で日本に送っています。「日本人は今こそ目覚め、自らが直面する苦難は、自らが生み出したことを自覚すべきです。日本は、前の世代が戦後の回復を自分たちの手でやり遂げたように、独自の方法で今の状況も切り抜けることができるはずなのですから。」 この言葉の他、本書には、マハティールさんの日本への熱いメッセージがあふれています。彼の言葉にはいろいろ考えさせられることがありますが、本書の最後にある彼のメッセージを下に記します。。

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「今日本が挑戦すべきこと、それは、東アジアにおけるリーダーの役割を果たすことです。日本には経済的な規模があり、富があり、世界水準の技術力がある。(中略)東アジアだけでなく世界が日本を必要としています。自由貿易システムの濫用、投機家の底なしの貪欲さ、そしてテロリズム。日本のダイナミズムとひたむきな献身がまさに必要とされているのです。日本人は、日本固有の文化にもっと誇りをもつべきです。もし当事者であるあなた方がそう思っていないとしたら、私の口からお伝えしたい。あなた方の文化は、本当に優れているのです。日本の力を忘れていませんか。」