ソクラテス以前以後

  先に紹介したホーキング博士の「ホーキング、宇宙を語る ビックバンからブラックホールまで」や、ジェイムズ・P・ホーガンさんの SF小説「宇宙を継ぐもの」。どちらも過去からの宇宙・物理などの科学研究の業績を考察し、自らの世界観に反映させた結果生まれた作品だと思いますが、そういった科学研究や学問において、過去から実績を上げ続け、現在でもその分野で最先端を走り続けている場所は、やはりヨーロッパ(や、そこから派生したアメリカ)だと感じます。実際、ホーキング博士は、自書「宇宙を語る」で、ヨーロッパの科学発展におけるコペルニクス、ガリレオ、ニュートンといった当時の先駆者の苦労話や、イギリスにおいては、物理・宇宙などを含めた自然科学研究の国立支援機関が  17世気紀にすでに誕生していたことを説明しています。 


  では、この科学発展の流れが歴史的にヨーロッパにあったとして、そのもともとのオリジン(起源)はどこなのでしょう。。この点からヨーロッパの歴史を概観していくと、それは「万物の原理(アルケー)」を探究した、古代ギリシャ哲学に行き着くと思います。もう少し補足説明すると、古代にはエジプトやメソポタミアなどにも優れた文明は存在しましたが、そのような優れた文明の知恵の伝承を、学問という形式につくりかえ後世に伝え発展させていく素地をつくったという意味で、「万物の原理(アルケー)」の探究者である古代ギリシアの哲学者なのだと思います。


  彼らはまわりの自然の根源的な原理を理解しようとしただけでなく、人間の生き方も探究しようとしました。古代ギリシア哲学においては、ソクラテス、プラトン、そしてアリストテレスの3人がその基礎をつくり発展・拡大させいきました。しかし、何もその3人がいきなり古代ギリシアで哲学を始めたわけでは全くなく、またその3人だけが哲学者だったわけでもありません。ソクラテスやプラトン以前にも諸派のギリシア哲学は存在していて、そういった哲学者たちの研究成果が 3人の哲学の成果として結実していったのです。では、具体的に古代ギリシア哲学において、ソクラテス以前とソクラテス以後ではギリシア哲学の扱う主題がどう変わり、どのように発展していったのでしょうか。。また、ソクラテスの以前と以後では、どのような哲学者が出て、何を語ったのでしょうか。。。換言すれば、「万物の原理」を探究する古代ギリシア哲学の歴史において、どのあたりから自然科学的思考が発生し、どこから人間哲学と分岐していったのか、、? そいうった古代ギリシア哲学の萌芽からソクラテス出現以前と以後の発展を簡潔に要領よく解説してあるのが、本書「ソクラテス以前以後」です。著者は、イギリスの古典学者フランシス・マクドナルド・コーンフォードさん。実は、この「ソクラテス以前以後」は、彼がケンブリッジ大学のローレンス記念古代哲学教授に就任(1931年)した翌年の932年8月、同大学において行った夏季公開講座「現代生活に対する古代ギリシアの寄与」の内容が基礎になっています。


  彼は本書において古代ギリシア哲学の始まりを、前6世紀頃、小アジア(現在のトルコ近辺)の地、イオニアのミレトスで創始された「イオニア自然学」と考え、その創始者であるタレスを次のように賞賛します。「アリストテレスの時代から今日に至るまで、あらゆるギリシア哲学史の叙述はミレトスのタレスから始まる。広く認められているように、我々が西洋科学と呼ぶあるものがこの世界に姿を現したのである。」 タレスという哲学者はミレトスにおいて自然学派をつくる以前、東方のエジプトを旅したのですが、そこでエジプト人が土地測量のため、いくつかの大雑把な規則的計算手順を使っていることを知ります。当時、エジプトでは、ナイル川が毎年氾濫を起こし、そのたびに畑地の境界線を消し去っていたのですが、彼らエジプト人は長方形の面積を計算する方法を知っていて、その計算方法から洪水が消した畑地の境界線の書き直しを行なっていたのです。タレスは、この方法をいろいろな形の面積計算へと一般化し、これがのちの「幾何学」へと発展します。


  また、当時、多くの人は、天上の星々の事象が人間界を支配していると信じていました。そのため、バビロニアの神官は何世紀にもわたり諸惑星の運動を記録し、それを占星術として利用していました。この現代でいえば迷信に結びつくような一種の占い術ですが、タレスは、神官達の持つ記録から、惑星の天体運動の観察結果のみを借用し、それを自らの天体観測に活用することに成功。ついには紀元前585年に起こった日食を予言したのです。このようにイオニア自然学は、占星術から天文学という科学を創出していったのです。


  一方、自然哲学者、レウキッポスとデモクリトスの一派は、「原子論」を創始します。(以下Wikipediaより)彼らは、自然を構成する分割不可能な最小単位として「アトム(不可分なもの・原子)」が存在すると考え、さらにその原子が運動し、相互に衝突する空間が「ケノン(空なるもの・空虚)」である、と考えます。そして、生成消滅しない無数の原子と無辺の空虚が真に存在し、その空虚における原子の結合•分離の運動によりさまざまな感覚的対象やその生成変化などが生じる、とします。さらに、彼らは人の「魂」に関しても原子で構成されていると考え次のように説明します。「魂の原子は形が球状で、身体を構成する角ばった原子の隙間に潜り込む。その魂の原子と外界の原子がぶつかることで、人の感覚が生じる。そして、人の知覚に多様性があるのは、原子の形が多様であることによる」。。このような、自然を構成する不可分な最小単位「原子」という概念は、その後、化学や物理的発見へと結実していきます。


  この「魂」という人間の精神について自然学がひきだした結論は、そんなものは初めから存在しない、原子から構成される可触的物体以外はなにひとつ真実に在るのではない、というもので、以後、哲学者たちはこのような考えを『唯物論』と呼び、一方、宗教家たちは『無神』と説教するようになります。(無神論)


  そして「魂」についての探求は、その後、ソクラテスを始めとする哲学者が人間の道徳観念や思考を探究する「人間中心の哲学」(今日でいうところの「哲学」)を、創出・発展させて行くのですが、その「人間哲学」の中でさらに深く考察されるのです。このように古代ギリシア哲学は、以後大まかに言って「人間哲学」「自然科学」「数学」など現代でもお馴染みの学問の形式へ発展して行きます。


  このようにイオニア自然学から展開していった自然科学と人間哲学への「真理の枝分かれ」について、著者は、次のような言い方で表現します。「理性は二等辺三角形の二底角が常に等しいのを知り、そしてそれらが等しくなければならないのはなぜか、を知ることに生き生きとした悦びを見出した。測量技師(科学者)は今でも地図を制作するにあたって、そのことの真実性を利用する。そして、他方哲学者はそれが真実であるがゆえに、それを悦んで享受する。」


  西洋哲学、それも古代哲学というのは、私のような日本人にはとっつきにくく思ってしまうのですが、本書は、初心者にもわかりやすくまとめられていて、とても好感がもてました。本書の序文にも、コンフォードさんの謙虚で控えめな言葉が並んでいますが、決して上から目線で説明するのではなく、また難しい概念を、別の平易な言葉に置き換えるなり、比喩を使って説明するなりして古代ギリシア哲学を誰にでも理解できるように努めるコンフォードさん、、本書カバーに書いてある通り本書は「明快で面白く、見事な統一性をそなえた思想史の物語であり、西洋古典学、ギリシア思想史の入門書」だと思いますが、コーンフォードさんのような決して自らの権威をひけらかさない謙虚さと探究心を持つきらりと光る知性に、そのような学者を擁立するイギリスの底力を感じました。