史上最大の決断 ー 「ノルマンディー上陸作戦」を成功に導いた賢慮のリーダーシップ

   本書「史上最大の決断」(著者:野中 郁次郎氏/荻野 進介氏)は、「ノルマンディー上陸作戦」が具体化していく過程における連合国軍最高司令官の人選、連合国派遣軍最高司令部(SHAEF)設置、作戦直前の現場指揮官の決断、覚悟、そして、上陸からパリ解放までの戦いを要旨よくまとめてあり、「ノルマンディー上陸作戦の戦略論」と「アイゼンハワーのリーダーシップ」を詳しく論じています。(前回紹介した「ノルマンディー上陸作戦 1944」(著者、アントニー・ビーヴァー)は、ノルマンディー上陸からパリ解放までを詳しく描いているのですが、(ノルマンディーの地理的知識に疎いと)戦闘経緯がわからなくなることろもあるので、本書と一緒に読むと要旨を押さえて理解ができると思います。)

   今回、本書で一番勉強になったのは、連合国軍のリーダー、「アイゼンハワー」という人物についてです。「ドワイド・D・アイゼンハワー。愛称はアイク。多くの人が彼を典型的なアメリカ人と見なしていた。あけっぴろげで、温かい態度を崩さず、ニヤッとする大きな笑いが特徴的だった。タバコはキャメルで、コカ・コーラを愛飲し、西部劇小説とポーカーが何より好きだった。そうした人間的素朴さの裏に、繊細な知性と厳しい倫理観を持っていた。」(本書105ページ)

  アイクはノルマンディー上陸作戦において「連合国派遣軍最高司令官」に任命され、戦争後はアメリカの大統領(第34代)にまで登りつめた人物です。しかし、彼は、カリスマ性のない軍人で、多くの武勲を打ち立てた前線指揮者でもなければ、特筆すべき知将でもない。脇の甘いところもある、ごく普通の人間だったのです。実際、自らも入隊した当初は「せめて大佐で退官できれば」と漏らすほどの凡庸だったのです。軍人を志した理由も、家が貧しく軍学校は学費不要だったことで、他には、特に明確なものがあったわけではないのです。

  では、なぜそのようなアイクが最高司令官にまで昇り詰めることができたのでしょうか? それは運命を変えるような人(上司)との出会いによるところが大きかったのです。最初は、第一次世界大戦でアメリカ欧州派遣軍に所属していた作戦幕僚、フォックス・コナー少将です。まだ30歳そこそこだったアイクが彼から叩き込まれたのは、ナポレオン、シーザー、タキトゥス、マキャベリ、南北戦争史からプラトン、ニーチェ、シェイクスピアまで、軍事や哲学、文学などあらゆる古典を絶え間なく読むことでした。特にクラウゼヴィッツの「戦争論」は3度も通読し、内容を暗記したほどでした。作戦研究も熱心にやり、コナーから問いを投げかけられ、それに答える毎日でした。

  その後、指揮参謀大学校への入学を命じられますが、アイクは怖気づきます。「自分はそんな学校で学ぶだけの専門知識も持ち合わせておらず、大した素質もない。すぐに落第し、恥をかくだけだ」と。その言葉を聞いたコナーはこう叱りつけたのです。「馬鹿を言うな。お前は2年半、毎日のように私の命令を筆記していたじゃないか。準備はそれで十分だ。」そして、気を取り直して入学してからは猛烈に勉強し、卒業時は275名中の首席になったのです。

  この後、アイクは時の陸軍参謀長ダグラス・マッカーサーの下で政軍関係の知識を吸収していきます。そして、1941年12月12日、陸軍参謀総長のジョージ・C・マーシャルからの電話を受け首都 ワシントンへ行きます。マーシャルはアイクを試します。マーシャルは、最近の日本軍のフィリピン攻撃の戦況を説明し、「戦争が太平洋全域に広がりそうな今、アメリカ軍はどう行動すべきか?」と質問します。軍事的天才、マーシャルには小細工や一般論は通用しないと腹を決めた後、再び相見え、アイクは正しいと信じる論を述べました。「わが軍は、十分な援軍をフィリピンに送るべきです。フィリピンの他、中国、オランダ領東インドなどが我々の行動を注視しているからです。そのためにはまずオーストラリアに基地を確保する必要があります。」

  これに対してマーシャルは「私も君の意見に賛成だ」と答えました。アイクは明らかに試験に合格したのです。(そしてこの後、マーシャルなどの推薦もあり、最高司令官という要職に就くことができたのです。)

  本書の著者、野中 郁次郎 氏が論じているアイゼンハワー(とチャーチル)に共通するキーワードとは「フロシネス」という概念です。「フロシネス」というのは、「共通善を志向し、個別具体のコンテクストや関係性の只中で、その都度、適時かつ適切な判断と行動がとれる、身体性を伴った実践的な知性」のことです。(本書344ページ)。

  「フロシネス、すなわち実践知は実践と知性を総合するバランス感覚を兼ね備えた賢人の知恵である。利益の極大化や敵の殲滅(せんめつ)という単純なものだけでなく、多くの人が共感できる善い目的を掲げ、個々の文脈や関係性の只中で、最適かつ最善の決断を下すことができ、目的に向かって自らも邁進する人物が備えた能力のことだ。予測が困難で、不確実なカオス状況でこそ真価を発揮し、新たな知や革新を持続的に生み出す未来創造型のリーダーシップに不可欠の能力でもある。」(そして、本書で野中氏は「フロシネス」には6つの要素があると詳しく論旨を展開していますがここでは割愛します。) 

  「歴史」を学ぶことは広い意味で経営を学ぶことです。「本書は広い意味の経営書である。。経営、すなわちマネジメントは、ピーター・F・ドラッカーが主張したように、幅広い教養の総合実践を目指す。そこに、他の諸学問にはないユニークさと、自由闊達で横断的な理論構築の面白さ(といい加減さ!)がある。」と、野中氏は「あとがき」で述べています。そして、「経営書といっても、明日からすぐに役立つハウツー本ではない。企業経営に資する教訓を引き出すことはもちろんできたが、今回あえて踏み込まなかった。史上最大の修羅場の物語から何が学べるか。問題意識に応じ、各自で思慮いただきたいと思う。」(383ページ)と、「歴史から何を学ぶか?教訓とするのか?」を、読者一人一人に考えるよう促しています。

  最後になりますが、著者、野中 郁次郎 氏は経済学者で、「ナレッジマネジメント(知識経営)」を提唱された方です。「ナレッジマネジメント」とは、個人のもつ「暗黙知」(経験や勘に基づく知識)を「形式知」(文章や図表、数式などによって説明・表現できる知識)に変換することにより、知識の共有化、明確化を図り、作業の効率化や新発見を容易にしようとする企業マネジメント上の手法で、この経営理論を基に英語で出版された「知識創造企業」(The Knowledge-Creating Company: How Japanese Companies Create the Dynamics of Innovation)は、海外でも称賛されました。野中氏はまた、防衛大学校教授に就任されていたこともあり、その時の研究から「失敗の本質/日本軍の組織論的研究」を著しています(共著)。