忘れられた日本人

  著者の宮本 常一さんという人は、民俗学者・柳田国男と渋沢栄一の孫・実業家の渋沢敬三の指導のもと、地元で働きながら郷土史家として日本各地を訪れ調査を行い、たくさんの記録を残し民俗学者として成功した人です。本書「忘れられた日本人」は、宮本さんの代表作の一つですが、アニメ監督の宮崎  駿さんが、この本を読んで感激し、同僚の高畑勲さん(「火垂るの墓」(1988年公開)の監督)(*1)に勧めたところ高畑さんも読んでいた。ということがどこかの本に書いてあり、ぜひ自分も読んでみたくなりました。

  

  まず、著者の宮本 常一さんについて、、Wikipedia より。「宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 1981年1月30日)は、日本の民俗学者・農村指導者・社会教育家。山口県屋代島(周防大島)生まれ。大阪府立天王寺師範学校(現大阪教育大学)専攻科卒業。学生時代に柳田國男の研究に関心を示し、その後渋沢敬三に見込まれて食客となり、本格的に民俗学の研究を行うようになった。1930年代から1981年に亡くなるまで、生涯に渡り日本各地をフィールドワークし続け(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)、膨大な記録を残した。宮本の民俗学は、非常に幅が広く後年は観光学研究のさきがけとしても活躍した。民俗学の分野では特に生活用具や技術に関心を寄せ、民具学という新たな領域を築いた。」


  民俗学というと、各地域に残る風俗・伝説・民話などを現地へ行って収集し、そこに住んでいる人々の歴史・生活を論じる(少し言い換えると、大学の研究室で自らが収集した資料を整理・分類し論文を書いていく)、というようなデスクワーク研究という印象が強かったのですが、この宮本さんの「忘れられた日本人」においては、フィールドワークを行った村の人々との会話、彼らの村での出来事や思い出などを掘り起こし、そこから現地や現地を取り巻く周辺の歴史を考察していく、というような方法をとっています。何よりそこに住む人々の実体験が根底にあるせいか、お話の中の出来事や当時の村人たちの生活が読者の目の前に生き生きと蘇ってくるようで、「民俗学」という範疇を越えた読み物としてとても楽しく読めました。


  宮本さんはもともとは山口県の農村の出身で家業である農業を継ぎましたが、何かの事情で(村の)郵便局に勤務。その後、小学校の先生となり、そこから地方の郷土・歴史に興味を持ち始めた人です。当時都市と地方の格差というのは、今ではちょっと想像できないぐらい経済的にも意識的にも相当の隔たりがあったようです。そういった都会と断絶された当時の村社会において郵便局員や小学校の先生となって勤務する、というのは、村社会において都会の動きを敏感に知ることができるような職業でもあり、換言すると村におけるエリート(教養)人のような感覚があったといいます。


  そのような職業・地位において、宮本さんは、おそらくは郷土のために自らが故郷の歴史編纂をやり遂げる、という一種の自負・気概みたいなものを抱き、他村の同じような立場にある歴史家・郷土史家と連絡を取り合いながら、自分の研究方法を確立していったようです。宮本さんの作品から感じられる郷土社会やそこに住む人々対する愛情や親しみ・敬意というのは、こういった経歴からくるものだと感じました。


  本書に掲載された各エピソードは、もともとは1958年から1960年までに月刊誌「民話」において発表された「年よりたち」というタイトルの連載ものからきています。いろいろな地方へ行って、その地の歴史を知る村人にインタビューを行い、その記録をまとめているのですが、その一つ、一つのエピソードが当時日本全国の村々において場所は違えど多かれ少なかれ村人たちが共有していたであろうと思われる意識や感覚が話し手の言葉から伝わってくるようで、とても懐かしい感じを憶えました。


  その当時その場所へいったわけでもない自分が本書のエピソードを読んである種の「懐かしさ」を憶える、というのも変な話ですが、この宮本さんが記録している村の生活・仕事・慣習というのは、我々日本人が共有している「ミーム(*2)」化した日本人の文化的情報として日本人のDNAの中に取り込まれているようなものだと思います。本書に収められている宮本さんが現地研究へ赴いた場所でとった村人、村の風景、田植えの様子、、などの写真も掲載されていますが、どれを見てもある種の「既視感」「懐かしさ」「親近感」を憶えるようなものばかりです。この作品(そこに掲載された居る写真も含めて)が何か宮本さん自身を体現しているような、そんな錯覚さえ覚えました。。では、宮本さんの何がそんなに読者をひきつけるのでしょうか。。。


  たぶんそれは宮本さんの研究対象への「愛着」「慈しみ」なのだと思います。(本書のタイトルが示すように)いつかは忘れられていく人々の生活風景、そしてそこに住む人々の笑い、悲しみ、苦しみ、、そいうったものを宮本さんは「研究対象」として冷めた目で見るのではなく、「共感」「敬い」をもって接しているのがひしひしと伝わってくるのですが、それがこの「忘れられた日本人」を単なる民俗学的書物ではなく、普遍化した日本人文化を伝承する作品にしているのでしょう。。そういえば、冒頭に紹介した宮崎駿さんや高畑勲さん。彼らもやはり、勇壮・壮大なヒーロー・ヒロインのお話をつくる、というより、庶民の生活を丁寧に、愛おしみをもって描く作家だと思います。そいうった感情の底辺では彼らと宮本さんとは相通ずるものがあるような気がします。(おそらく、このように学問ぶっていない民俗学が宮本民俗学の特色なのだと思います。)


  本書は、宮本さんがフィールドワークで行った対馬の伊奈村の「寄りあい」に参加したエピソードから始まります。「寄りあい/寄合」というのは、「人がある目的のために集まること」ですが、日本の村における「寄りあい」というのは、その村で運営されている協議機関のことです。その村で、村人共通の問題・課題について解決のため協議する場のことです。この伊奈村を訪れた宮本さん、この村の老人から伊奈村で古くから伝わるという帳箱の存在を知ります。その中には、きっとこの村の歴史に係わる古文書や村人が協議したときに作成した貴重な資料があるはずです。そこで、その帳箱の中に保管されている古文書をしばらく拝借したい、とその老人にお願いするのですが、ここから時間をかけながら、立場や意見の異なる村人、一人ひとりが意見を言うなり、帳箱に関するお話を皆が納得するまで何日でも話し合い、最後にやっと村長のところに行きお伺いを立て、やっと結論を出すのですが、とにかくすぐには決まりません。そのうち古文書を貸し出す議題から話がそれ、いろいろな世間話へ話題が移っていき、しばらくすると古文書の話題に帰っていく、、このような一見、のんき・のんびりしている過程を経てようやく宮本さんは、借用書を書いてそこを立ち去ったのですが(この時、当の老人たちは、そのまま後に残り別の協議を続けていたそうです。)宮本さんはこの時の寄りあいの情景がその後もづっと目の底にしみついていた、と書いています。


  私は、村の寄り合いというのは見たこともないし参加したこともありませんが、その村人たちの姿が目の前に浮かんでくるようです。この村の申し合わせ記録の古いものは二百年近くも前のものですが、おそらく寄りあい(のこのような話し合い)はもっと前からあったはずです。とにかく数日ぐらい時間がかかっても、みんなが納得のいくまで話し合い、結論を出し、その後はしっかりとその約束を守っていく。そういった協議がおそらくは日本中の村々の中でしっかり機能していたのでしょう。今の日本の会社の会議とは違って効率を追うのではなく、のんびりと、時には議題からそれて、その時々の村の田植えとか、畑仕事などに話題がそれて、それで盛り上がって冗談を言いながら、時間を気にすることなく、でも納得のいくまで話し合ったのでしょう。今と違って娯楽のない時代です。そいうった皆で話し合ったり、冗談をいったりしする時間が彼らにとっても生活の大切な一部であったに違いありません。宮本さんはこのような村での「会議」の大切さをしみじみ知らされた、といいますが、でも何かとても心の豊かさを感じられるエピソードだと思います。


  その他、若者(男性)が夜中に好きな女性のところへ通う「よばい(*3)」の習慣について村の翁が語るエピソード「名倉談義」。家に帰ってこない子供や迷子になった子供を探すときにいかに当時の村落共同体的な協力体制が維持され機能していたか宮本さんが感心したという「子供をさがす」。村人の生活の紐帯をなす女性たちの田植え作業の様子やその作業を通して彼女らが村の若い男女の色艶ごとを明るく語る「女の世間」。みなしご子を漁船に乗せ、船上での共同作業を通して彼らを一人前の大人に成長させるお話や、対馬豆酘村(つつむら)の開拓から村へ発展するまでを語る老人のエピソード「梶田富五郎翁」。。などなどその一つ一つが今では忘れられた、でも(戦前・戦後の頃は共通の認識であった物事の常識、日本人庶民の思い、、など日本人としてのDNAに訴えるものがあるせいか)とても懐かしいような、微笑ましいような引き込まれる感覚を持ちました。


  あと、宮本さんが各地の老人たちから村の生活などの話を収集していて気が付いたことにで興味深かったところがあります。それは、宮本さんが同じ村の人から話を聞くにしてもその話す人が「文字を理解する人」か「文字を理解できない人」か、では口承、伝承の方法が異なっている、と指摘している箇所です。「文字に縁のうすい人たちは、皆自分を守り自分のしなければならない事は誠実に果たす。また隣人を愛すし、底抜けに明るいところも持っていた。しかし彼らは共通して時間の観念に乏しかった。一緒に話をしていても、何かをしていても区切りのつくということが少なかった。」一方、文字を知っている者は、「よく時計を見る。二十四時間を意識し、それにそって生活するため、どこか時間に縛られた生活を始める。また、広い世間と自分の村を対比して物を見ようとする。同時に外部から得た知識を村へ入れようとするとき皆深い責任感を持ち、それがもたらす効果の前に悪い影響について考えていた。」 ふだん何気なく読んだり書いたりすることの大切さを理解しているつもりですが、このような宮本さんの体験を通して語られる言葉からの方がまさに「腑に落ちる」というような感覚で、「読み書き(教養)の大切さ」を理解できた感じです。

(*1)『火垂るの墓』:1988年〈昭和63年〉4月16日に公開されたスタジオジブリ制作の日本のアニメーション映画。高畑勲監督の長編アニメーション映画第6作。

(*2)ミーム: 脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報であり、例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報。

(*3)よばい:夜、恋人のもとへ忍んで通うこと。特に、男が女の寝所に忍び入って情を通じること。