水底の歌(上)(下)

  ふだんは、国文学とか和歌といったジャンルには興味がないのですが、この「水底の歌 柿本人磨論」の著者・梅原 猛さんは以前、「京セラ」創業者、稲盛和夫さんと対談した時に、「真理は常に発信されているが、それを受け取る人が常識ばかりにとらわれていると、真理に到達することはできない。」と有名なソクラテスの洞窟の比喩を使って「真理」に到達することの難しさを語っていたことがずっと引っかかっていて、今回この梅原さんの本に挑戦しました。


  ところで、みなさんは本書のタイトルにもなっている柿本人磨(かきのもと の ひとまろ)という人を御存じでしょうか。。? 


  日本最古の勅撰和歌集(*1)である「古今和歌集」の仮名序(かなじょ)(*2)に柿本人麻呂についての記述があります。「いにしへより、かくつたはるうちにも、ならの御時よりぞ、ひろまりにける。かのおほむ世や、歌のこころをしろしめしたりけむ。かのおほん時に、おほきみつのくらゐ、かきのもとの人まろなむ、歌のひじりなりける。」これは現代語訳では、「ならの帝(みかど)の時から歌は広まった。その時代に、人磨という人があって、帝と共に歌を詠んだ。」という意味になり、それに続く文では、「また、山部赤人(やまべあかひと)という人があり、この人も、人磨と匹敵する歌の達人であった。この人々以外にも、多く歌の上手な人があり、これより先の歌を集めて、万葉集(*3)と名づけたという。」と続きます。ここでは、人麿が山部赤人と同レベルであるように書かれていますが、実は二人の間には大きな隔たりがあります。人磨は「歌のひじり(聖)」であり、赤人は単なる人なのです。


  柿本人磨は、松尾芭蕉とともに日本最高といわれている詩人(歌人)の一人といわれています。松尾芭蕉なら「古池や蛙飛びこむ水の音」といった俳句や、「奥の細道」という作品などで、読んだことがなくてもそのタイトルでらいは耳にしたことがあると思います。一方、柿本人磨は、「万葉集」において数多くの歌を残した歌人ですが、彼については現存する資料が少なく、出自についても不明、その後の生い立ち、宮廷での生活、役人としての出仕、晩年や死地についてもよくわかっていないのです。


  私もこの歌人についてはほとんど知識がありませんでしたので、今回ここで紹介するためにネット記事を検索したところ、だいたい以下のような感じにまとめられます。

1.人磨は、飛鳥時代末から奈良時代初頭に宮廷と深く関わって活動し、長歌と挽歌の分野で卓越した表現を確立。とりわけ、その雄大で荘重な語りと、神話的イメージや歴史意識を織り込む構成は、日本の和歌史において独自の地位を占める。

2.万葉集の中核的歌人であり、作品の量と質の双方で際立っている。編者層からの高い評価を受け、後代には「歌の聖(ひじり)」とも称されるなど、万葉歌人の頂点の一人としての位置づけが確立されている。

3.人磨は、後代の勅撰集や歌論において規範的存在として仰がれ、山部赤人らと並ぶ理想的歌人像として受容され、彼の長歌の構成法や比喩の運びは、中古・中世の和歌観に強い影響を与え、やがて歌仙・三十六歌仙の一人として神格化される評価へとつながる。

4.結果として、人麻呂は日本文学史の基盤を形づくった「万葉の天才歌人」として、学術的にも文化的にも継承され続けている。


  要するに、人磨は、日本の歌人として一定の評価がなされている一方、出生や経歴において不明点が多い人物なのです。この謎が多い歌人・柿木人磨の人間像に迫ったのが本書です。著者、梅本さんはまず、これまで、契沖(けいちゅう*4)や賀茂馬淵(かものまぶち*5)がつくってきた柿本人麿の人間像について疑問を持ちます。彼らが作ってきた人磨像というのは、(人磨は多くの旅の歌をつくっていた実績から)彼の役職は「朝集使」(*6)という下級官吏であり、ゆえに筑紫、讃岐、石見など地方を転々と旅をし(その途中で数々の歌を詠みながら最後は)石見国で地方官吏として死んだ、とするものでした。さらに近代においては、斎藤茂吉(*7)が、上記2人のつくった人磨像の延長上で「人磨の死は、おそらくは、痢疫によるものであり、砂鉄事業の監督にいった人麿は激務に疲れ果て、伝染病にかかって死んだ。」とするもので、彼の死地を石見国邑智(おうち)郡鴨山である、としたのです。


  しかし、本書の作者、梅原さんはこれまでの人磨像に疑問を呈します。「こういう人磨像が、どうして聖(ひじり)という名と結びつくのか? 人磨の歌には、天皇および皇族の扈従(こじゅう)の歌や挽歌が多い。つまり身分の高い人々のお供をして、彼らに代わり多くの歌をつくったのある。」 このような人磨の人物像は、彼らの主張する一介の地方役人として死んだ人磨像とは大きくかけ離れているのです。本書の上巻では、この人磨の死地について梅原さん独自の論を展開します。彼は史料を渉猟し、またフィールドワークを重ね、推論していった過程を丁寧に語っていき、従来の斎藤茂吉等が示した、「石見国邑智(おうち)郡鴨山説」を退けます。そして史料において人麿の晩年の歌に、“水底” や “死” に関するイメージが多いことを中核にし、状況証拠を挙げ、人麿は何らかの理由で流罪となって(現在は水没し海中に沈む)島根県のある小島が死地である、と結論付けます。


  さらに下巻では、先の古今和歌集の仮名序において歌の聖(ひじり)として評価された人磨について「どうして柿本人磨に関する歴史的資料が少なく、また彼に関する記述が極端に少ないのか?」という疑問に対し、梅原さんは「人磨はなんらかの理由かにより時の権力者から疎まれ、その結果、その地位をはく奪され、歴史的に抹殺されたのだ。」と推論します。


  歴史的な資料・文献が少ない中で梅原さんは、人磨にいての記述があるあらゆる歴史書を渉猟し、これまでの国学者や歌人たちが残した人磨像について検討に検討を重ね、梅原さん独自の人磨像をつくり上げていきます。本書において梅原さんが書いていますが、まず、文献を検討するにあたり、まず大事なことは、「人麿がつくった歌の一つ一つの感動を尊重し、その歌がどのような状況で読まれたのか? その時、人磨はどんな想いでその歌をつくたのか?」 を思い描くことこそが、人磨の人物像に迫る出発点であり、そこから論考を重ねないことには、その推論は一人歩きしてしまう、と話します。


  この作品の読了後の感想ですが、まずとても面白い。人磨についての大小の疑問をいろいろな文献を読み比べながら提示していき、その一つ一つを丁寧に考察し、さらに人磨がその歌をつくった意味を考えながら論じていくのですが、その記述が極上のミステリー小説を読んでいるようで、梅原さんが我々読者をどこへ連れて行こうとしているのかページをめくるごとにワクワク・ドキドキするのです。こいうったワクワク感は読書では久しぶりでした。また、梅原さんの文体の特徴ですが、とても明晰な文体で読みやすい。 明晰さと簡潔さを一緒に表現するのは、やはりその人の主題に対する知識と深い理解、そして何より物事の本質を見抜く能力に長けているからだと思います。


  また、梅原さんんは己の主張を書くのにも、いきなりその主張を書き出すのではなく、その前の段階から少しずつほのめかしながら、いよいよという(適切な)個所においてはっきりと提示する、という書き方をしているのですが、読者としては、書き手の論点が把握・理解しやすくなり、説得力も増します。そして何よりも、梅原さんの文章からは、梅原さんの詩歌や歌人への愛情、そして、その歌が詠まれた時の作者の想いを作者と共有したい、という強い想いが感じられます。


  梅原さんjの論考は、明晰かつ、曖昧さがないのですが、あまり高圧的な印象を持ちません。おそらくそれは、彼自身が、歌に対する愛情・愛着を持って、いろいろな文献にあたっていること、また、歴史書や歌人の歌にとても精通し、作品の特徴理解や、研究家たちのそれぞれの論点の要点を理解する能力に秀でているからだと思いました。こういう人がほんとに知性のある人なんだと感じました。


(*1)勅撰和歌集:天皇や上皇の命により編纂された和歌集

(*2)「古今和歌集」: 仮名序:「古今和歌集」は平安時代の905年頃成立。「仮名序」の執筆者は、平安時代の歌人・紀貫之。「古今集」 仮名序は、和歌の本質について解説し、和歌を6つの分類に分けてそれぞれの特徴を説明している。『仮名序』は、冒頭で和歌の本質とは何かを解き明かした後、和歌の成り立ちについて述べ、次いで和歌を6分類し、各分類について説明する。そして和歌のあるべき姿を論じ、その理想像として2人の歌聖(柿本人麻呂と山部赤人)を挙げ、次に新世代の高名な6人の歌人(六歌仙)を挙げる。最後に『古今集』の撰集過程について触れた後、和歌の将来像を述べて終わる。(Wikipediaより)

(*3)万葉集:7世紀後半から8世紀後半にかけて成立したとされる、日本に現存する最古の和歌集。全20巻に約4500首の和歌が収められており、天皇や貴族から下級官人、防人、農民、地方民謡の歌まで、幅広い身分の人々の歌が含まれている。

(*4)契沖(1640年 - 1701年):江戸時代中期の真言宗の僧侶であり、国学者・歌人としても著名な人物。

(*5)賀茂真淵(1697年~1769年):江戸時代中期の国学者・歌人で、古典研究を通じて日本人の精神性を探求し、国学の基礎を築いた人物。

(*6)朝集使(ちょうしゅうし):律令制の日本において、大宰府や諸国より考課に必要な資料などの行政文書の提出や行政報告のために毎年中央に派遣された使者

(*7)斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年〈明治15年〉5月14日- 1953年〈昭和28年〉2月25日):日本の歌人・精神科医。大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物。

Hisanari Bunko

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