仕事と心の流儀

   以前、総務プレゼンで紹介した「死ぬほど読書」の著者、丹羽 宇一郎さんの新しい本が最近二冊発売されました。(「仕事と心の流儀」、そして「人間の本性」いずれも新書版)今回 御紹介するのは「仕事と心の流儀」です。( 丹羽さんは、1962年、伊藤忠商事株式会社へ入社し、その後、同社社長、会長に就任後、同社退、その後中華人民共和国特命全権大使などを歴任されました。) 

         本書「仕事と心の流儀」は、前書きに書いてある通り、丹羽さんが伊藤忠商事に在職中に培った仕事における心の在り方についての思いを、今、社会で働いているすべての人たちに送るエールとして書き綴ったものです。丹羽さんの本を読むといつも思うのですが、(このブログでも前回紹介した)稲盛和夫さんと、丹羽さんは生き方や考え方がよく似ているな、と思うところがけっこうあります。(「利他の心」とか、「心」の持ちよう、倫理観を大切にされているところ、多読家であるところなど。。丹羽さんは、サラリーマンとして伊藤忠商事に入社され退職まで同社一筋であったのに対し、稲盛さんは、一度会社に入社した後、自ら起業されたというところは違うのですが。)

   丹羽さんは、これからリーダーになろうという人にとって、大事なことは三つあると言います。一つ目は、人間の残虐性(自己保身、ひがみ、妬み、やっかみ、、丹羽さんはこれを 人間の内側にある ” 動物の血 ” と表現しています。) も含めて、人間とはどういう動物なのかをよく知り、それを頭に置いて行動すること。二つ目は、「自分は何も知らない」ということを知ること。( まだまだ自分の知らないことが山ほどあると自覚すれば、誰に対しても謙虚になれます。)「俺は何でも知っているぞ」と言う人は、自分のことすら何も知っちゃいないと自ら表明しているのと同じです。三つめは、自分の利益を中心に考えないこと。(P132)

   また、リーダーにとって部下の「心」の教育も最も重要な務めの一つです。「インドの宗教家で政治指導者でもあったマハトマ・ガンジーは、人間の成長には肉体の鍛錬、知識の鍛錬、心の鍛錬が必要だと述べています。この三つの中でいちばん難しいのは、心の鍛錬です。人間は、ちょっと油断をすると邪心が芽生え、倫理を外れてしまいます。それは、昨今の企業の不祥事を見ても明らかです。だからこそ、リーダーが部下の『心』の教育をしっかりしていかねばなりません。それだけでなく、自分自身も深く広い教養を求めて学び続け、『心』をさらに成長させていってほしいと思います。(P 4) 後を絶たない会社の不祥事について、そうならないために大切なことは日頃から「清く、正しく、美しく」を実行することが大切だ、と訴えています。(P157)( そういえば、稲盛さんの新著のタイトルは「心」ですね。そして、その新著において稲盛さんは「真・善・美」を強調されています。)「清く(Clean)は、高い倫理観や良識ある行動を示します。ひとことで言えば、法律違反をしないことです。正しく(Honest)は、透明度、情報開示、あるいは社会正義に反しない行動を意味します。端的に言えば、嘘をつかないことです。美しく(Beautiful)は他者に対する思いやりがあり、心と行動が人間として美しいことを意味します。卑近な例で言えば、挨拶をきちんとすることです。」 そして、丹羽さんは、その倫理観の源流を日本の「武士道精神」に求めています。(P159)

   丹羽さんは、また、「いままでの日本ではあり得なかったことが、これからは当たり前のように起こる。だからこそ、何歳になっても努力を怠ってはいけない。」(P185)と言います。(丹羽さんは、以前「日本の未来の大問題」という本も書いていて、その前書きにおいて「人間が変わり、世界が変わる、その最先端を切るのが最も切実なかたちで危機に直面しているのは日本である。と訴えています。」 日本は今後、世界からの優れた人材を受け入れ、交流をより活性化させることが予想されますが、)「(日本人は)自分より能力が勝る人たちが外国から次から次へと現れて、自分がいまやっている仕事をいつ奪われるかもしれない、という危機感がまったくありません。日本人同士でぬるま湯に浸かりながら適当に競争をして、『その中で勝てばいいでしょ』と、呑気に考えている。これは、移民が少ないことと、年功序列が長く続いてきたために根付いた、日本の悪しき文化と言えるでしょう。(一方、移民が多い欧米では、うかうかしているとよその国から来た人たちに仕事や起業の機会を奪われてしまいます。)(中略)俺たちは日本でやっているんだから関係ない、と思うかもしれませんが、それは大間違いです。近い将来、日本でも外国人との競争が激しくなるでしょう。(中略)いずれにせよ、日本企業にこれからどんどん外国人が増えてくることは確かです。もはや、日本人同士で仲良くのんびり仕事をしていればいいという時代ではありません。(中略)若者だけではありません。四〇代、五〇代の管理職も、よほど考え直さなければいけません。たとえば、いまあなたが部長としてやっている仕事を、課長が奪い取るかもしれません。いままでの日本ではあり得なかったことが、これからは当たり前のように起こります。(P185)

   ですから、「これからの日本の若者は、世界の若者に伍して闘うくらいの気力がないといけない。」と語ります。「世界には気力のある優秀な人材がゴロゴロいます。そうした人と研鑽(けんさん)し合ってこそ、自分の成長につながるのです。私自身、それを痛感したのは、アメリカに駐在して間もない頃でした。(P186)日本で六年ほど仕事の経験を積み、望んでいたニューヨークの駐在員に選ばれた私は御多分に漏れず、自信過剰に陥りました。自分は、担当する仕事についてなんでも知っていると自惚れ、『アメリカのサラリーマンも俺たちとそんなに差がないな』と思っていました。しかし、私より少し歳が上の青年に出会って、鼻っ柱をへし折られることになったんです。彼は一流大学出身で一流企業に勤めているというだけでなく、『私』よりも『公』を大事にする、人のため社会のために尽くそうという気概を持った、本物のエリートでした。あるとき、彼の自宅に招かれました。(中略)彼の書斎に入ると、大きなデスクの上に、仕事に関する書類や読みかけの本が山積みになっている。それでも収まり切れなくて、周りの絨毯の上にまで書類と本が積んであるんです。それを見た私は、『本当のエリートとはこういうものなのか』とショックを受けました。もともと優秀なうえに、自宅に帰ってからこんなに勉強しているとは。。。今まで自分が会っていたのは本当のエリートではなく、中ぐらいにできる人たちだったんだと悟りました。しかも彼は、大学に入る前にどういう本を読んだか私が訊くと、ウィンストン・チャーチルが書いた「A History of the English-Speaking Peoples(英語圏の人々の歴史)」だと言うんです。全四巻からなるこの本には、カエサルのブリタニア侵攻からチャーチルが第二次ボーア戦争に起つまでが描かれており、その中で、英語というのはどのように始まり、どんな言語の影響を受けたのか、英語圏の国民の性質や国際的な地位はどう変化してきたのか、といったことがいろいろ書かれています。私は二重にショックを受け、『これはあかん。このままじゃ彼らに負けてしまう。』と、目が覚めました。」

   「これをきっかけに、私は仕事に関係する世界の農業について勉強を始めました。そして帰国する前には、世界の穀物業界について日本経済新聞から原稿を頼まれるようになりました。帰国後も、どんなに飲んで帰っても必ず勉強の時間を取り、学者の集まる討論会にも参加しました。そのうちに、日本の業界誌に『アメリカ農業小史』や『アメリカ農業風土記』などの連載記事を執筆するようになり、歴史を調べるためにアメリカの図書館に手紙を書いて、日本では手に入らない本のコピーを取り寄せたりしました。私が目指したのは、日本の学者に負けないレベルです。だから学者以上に勉強しました。(中略)(また、この頃、丹羽さんは当時のニューヨークの銀相場の内幕を描いたアメリカ人の知人の本の翻訳も手掛けました。)こうした機会を手に入れることができたのは、アメリカで本物のエリートの勉強ぶりに刺激され、彼を意識して猛烈に勉強したからです。」(P189)

   また、丹羽さんは、「誰にでもチャンスはあるが、勉強しないとチャンスはつかめない」と語ります。「私は、チャンスはあちらこちらにある、誰にでも平等にあると思う。ただし、目の前に流れている情報をただ『ボーッ』と眺めているだけでは駄目。日頃から関心ある情報を頭の中に入れ、気になることがあれば調べておくという姿勢でなくてはいけないと思います。同じ新聞記事を読んでも、そういう人は『あっ、これは先々参考になりそうだ!』と『パッ』と気が付きますが、日頃から勉強してない人は見過ごしてしまいます。興味のあることを幅広く勉強していれば、他人が気付かないところで先々の仕事の種を見つけられる、これは確かなことです。私たちが本、新聞、雑誌、インターネッットなどから得た情報は、単なる断片的な情報にすぎません。そういったものをいくらたくさん持っていても、それだけでは知識とは呼べません。なぜなら、情報は『考える』という作業を経ないと知識にならないからです。考えながら読むことによって、さまざまな情報が有機的に結合したとき、はじめて知識になるのです。」(P202)

   丹羽さんは、商社の人々に「利益の源泉はどこにあるのかを常に考えよ。商社がただモノを右から左に動かして利ざやを稼ぐ時代は終わった。利益の源泉はどこにあるのかを常に考え、新たな収益源を積極的に求めていかなくてはいけない。これこそが商社機能の本道だと、いまでも確信しています。」と語ります。(P208) その例として、丹羽さんは、伊藤忠商事の事業本部長の頃に新しいビジネスチャンスを生み出すため導入した、「SIS (Strategic Integrated System) = 戦略的統合システム」のエピソードを紹介しています。これは、「原料確保から始まり、商品の生産から消費まで、全部の流れに投資し、関与していくということです。例えば、小麦粉であれば、原料である小麦の種の植え付け、収穫、運搬、そして一次加工で粉になり、二次加工でパンやうどんといった食品になって、小売店で買った消費者の口に入る。『商品の流れ』を川にたとえた場合、このすべて(川上、川中、川下)に関与し、川上、川中、川下のそれぞれの利益を平準化し、トータルで考えプラスにする、というビジネスモデルでした。SISは収益構造の変革です。今すぐ大きな収益を上げることはなくても、将来を考えれば、絶対に必要だと私は考えていました。川下の分野で顧客と接点を持てば、消費者のニーズを川上や川中に反映させ、そこからさらに、新たなビジネスチャンスを自ら開発していくこともできます。そういう姿勢を持たなければ勝ち残ることはできません。」(P207)