戦争の大問題
「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない。」本書「戦争の大問題」(著者/丹羽 宇一郎氏)は、この 田中 角栄元首相 の言葉から始まります。「戦争を知らない世代は、戦争というものを具体的にイメージできない。戦争を知らずに、気に入らない国はやっつけてしまえ、懲らしめろ、という勢いだけがよい意見にはリアリティがない。彼らはどこまで戦争を知っているのだろうか? 我々はもう一度戦争を学びなおすべきだ。これが本書を執筆した理由だ。」(P6)と、丹羽さんはいいます。
旧日本軍の満州国での戦線拡大(そして、その後のアメリカとの開戦)について丹羽さんは「満州の権益に固執することで、中国との戦争、さらに第二次大戦と戦禍を広げていった戦前の日本政府の行動は、企業経営でいえば不採算事業に多額の投資をし、その事業を延命させるために企業本体の経営を危うくしていった状態といえる。」(P36)そして、「戦前の陸海軍において、戦争の指導をするのは軍のエリートなので、優秀な人材である高級参謀や上級将校達を失うことは軍という組織にとって、痛手であるので、彼らは失敗しても責任を問われなかった。結果として、見通しの立たないような作戦でも平気で立案した。」(P39)と責任の所在について言及しています。
さらに、「あえて遺言のつもりで書いておきたい。」(P41)と、次のような懸念を述べています。「企業が経営危機に陥った時、なおも経営者が無謀な投資を続けようとすれば、取引銀行、株主、取引先からブレーキがかかる。戦時中の日本政府のように、破滅が眼前に迫ってくるまで終戦に動き出さないということはあり得ないように思える。戦前の日本政府は、いわば海外プロジェクトを優先して会社本体を倒産の危機に追い込み、社員を犠牲にするようなあり得ない選択を採っていた。企業経営では、もっと合理的な判断をするはずだと、我々は考えると思うが、実はそうとも言えない。」「(近年の)企業倒産事例を見ていると経営者は必ずしも合理的な行動をとってはいない。倒産した多くの企業では経営危機に陥っても、なお悪あがきのような行動をとる現象がみられる。しかも、こうした現象は珍しくない。このような傾向はマリアナ沖海戦後、勝つ見込みのない戦争を続け、終戦までの一年間に約200万人以上もの犠牲を出した間に旧日本軍の行動とよく似ている。今日でも、経営の危機に瀕した経営者が無理に無理を重ねて借金を増やすケースは多い。」(P43) 丹羽さんは「今日の経営者がこうした行動を繰り返すということは、今日の国家を経営する為政者も同様に危機に瀕したら、やはり戦前と同様な絶望的な選択をする可能性はあるだろう。国を無謀な戦争へ突入させた国の経営者が、やめ時を見極められずに徒(いたずら)に被害を大きくさせる。現代の日本であっても、こうしたとんでもないリスクは消滅していない。」(P44)
また、丹羽さんは、旧日本軍の満州進出についても強く批判しています。旧日本軍の満州進出については、半藤一利さんの「昭和史」でも書かれてありました。「満州国は日本にとっての生命線であった。」と。(確かに旧日本軍の満州国への進出の大きな理由の一つとして、ロシアの南下の脅威があったと考えられますが、)丹羽さんは、しかし、旧日本軍の満州国への「領土や権益の拡大」を求めた戦争に対しては、歴史的な結果からみると、精神的な満足以外は(具体的な実利があったかというと)、むしろ重荷になることの方が多かった。」と主張します。「例えば、日本は戦時中に確保した領土(満州、台湾、朝鮮、南樺太、南方の島嶼(とうしょ)など80%もの面積を失い、同じ敗戦国のドイツも東西に分かれた結果、戦前の面積の42%にあたる西ドイツになった。しかし、西ドイツはヨーロッパの戦勝国をしのぎ、1961年にヨーロッパで第一位、世界で第二位の経済大国にのし上がり、日本も戦前は、世界の5~6位の経済力だったが、戦後1968年には世界第二位の経済大国となった。」(そして、現在でも両国はその経済力で世界における確固たる地位を築いています。)丹羽さんはこれを、「長年業績不振にあえいでいた企業(日本、ドイツ)が不良資産をオフバランスした結果、身軽になってV字回復し、かたや昔勝ち組だった企業(ヨーロッパの戦勝国)が戦争によって勝ち取った領土という資産(しかし現在は、不良債権化してしまった)を抱えたまま、にっちもさっちもいかず苦しんでいるようなものだ。」と言います。(P130)「このことから『植民地』は投資や経費ばかりかかって、リターンの少ない国家経営の『お荷物』だったのである。日本の『赤字プロジェクト』のそもそもの発端は満州経営にあった。満州に権益を求めなければ、日中戦争もなかったし、アメリカとの間に深刻な対立を招くこともなかった。アメリカから石油を止められなければ、日本軍が南方へ向かう必要もない。南方への進出がなければアメリカと戦うことはなかったのである。」(P131)
そして、丹羽さんは、旧日本軍の満州進出に懐疑的だった当時のジャーナリストを紹介しています。当時「小日本主義」を唱えた石橋湛山(いしばし たんざん)です。湛山は、「東洋経済新報」(大正10年7月23日号)の社説において「日本は目先の中身のない、しかも形だけで何の利益にもなっていない権益に目を奪われて、その結果、大きな利益をみすみす失っている」という内容を述べています。そしてさらに、一週間後の同誌(同年7月30日号)の社説において「貿易上の数字で見る限り、米国は、朝鮮、台湾、関東州(満州国の一部)を合わせたよりも、我に対して、一層大なる経済的利益関係を有し(中略)米国こそ、インドこそ、英国こそ、我が経済的自立に欠くべからざる国と言わなければならない。」(「当時の朝鮮、台湾、関東州との貿易額は3地域を合わせて9億円弱である。一方、湛山によれば同年のアメリカとの貿易額は14憶3800万円、インドは5憶8700万円、イギリスは、3憶3000万円だったという。」)「この朝鮮、台湾、満州国の3地域に日本の将来を支えるような有力な資源があるなら、これらの地域が収支の立たない赤字経営であっても、その支配は必要といえよう。しかし、これら地域に有望な資源はない。あっても他所から買ってくれば済むような資源ばかりだ。」(P133)また、湛山は、「日本は、上記3地域に投資するよりも、まず日本国内の資本を豊かにするところから始めなければならない段階だった。」と語っています。「要は我にその資本ありや否やである。もしその資本がないならば、いかに世界が経済的に自由であっても、またいかに広大なる領土を我が有しても、我は、そこに事業を起こせない。ほとんど何に役にも立たぬのである。しからばすなわち我が国は、いずれにしてもその資本を豊富にすることが急務である。」「資本は牡丹餅で、土地は重箱だ。入れる牡丹餅がなくて、重箱だけ集むるは愚かであろう。牡丹餅さえ沢山できれば、重箱は、隣家から、喜んで貸してくれよう。金融資本や技術資本があれば、土地などは誰かが貸してくれる。」「しかしてその資本を豊富にする道は、ただ平和主義により、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩とに注ぐにある。」(P135)
「国を豊かにすることに貢献しない領土や権益の獲得なら放棄してもよさそうだが、こと領土に関しては『尖閣諸島問題』『竹島問題』のように国民の間でも思考がストップし、それ自体が重大な目的のようになってしまうことは本末転倒だ、」と丹羽さんは語ります。
「全地球規模にグローバル化した経済化では、戦争をして領土をとっても、産業と技術がなければ何も生まない。たしかに、他国の資源の採掘権や販売権を持つことには利益があるが、それは戦争しなくとも然るべき代価を払えば手に入る権利である。仮に権利を軍事的に取ったとしても結局、その権利を行使するのは民間企業である。それで国が儲かるとは限らない。特に、グローバル経済の進んだ先進国においては、戦争は何ら国益とならない。グローバル企業の場合、市場と生産拠点を特定しないので、日本の企業であっても、日本に本社や工場を置かない企業もある。(ここで言っているのは、企業が工場や本社など自国に生産活動や営業活動の拠点を置かない場合、所得税を徴収できない、ということです。)最適な場所でモノをつくり世界中に流通させ、最も大きな利益を上げるからだ。また、ビジネスで市場を広げる方法とは、何かを奪うことではなく、むしろ与えること、つくることだ。戦争には与える力もつくる力もない。あるのは破壊だけである。戦争で国益を確保すると主張する人は、具体的にどうすれば確保できると考えているのだろうか。」(P246)として、特に現代において、武力により、相手の領土を奪い、国益や権益の確保を行うことに強く反対しています。
このあと、丹羽さんは、「今の好戦的な日本の風潮に対する最大の抑止力は日本の政治家の質を上げることだ。」と語り「国の戦力を比較するときには、兵器の性能や数量を比較するが、最も問われなければならないのは、その国の家事を取っているトップの力量である。『孫子』でも、国の強さを測るとき、第一に挙げているのが、彼我の君主の器を比較することである。トップの器の大きさが最大の抑止力だったのである。」(P267)として、日本は、ステーツマン(政治家)とエリートの育成に日本は力を入れるべきだと主張しています。(丹羽さんの言う「エリート」とは、優れた教育はもちろん、高潔な人格やしっかりした価値観を備えた人物のことです。)
最後に、本書の「おわり」で丹羽さんが日本の若者に伝えているメッセージを紹介します。「2017年6月29日、朝日新聞の『ザ・コラム』に、東日本大震災で兄を失った釜石市の藤原マチ子さん(当時64歳)は、「千年後の孫(あなた)へ」という手紙を書いたという。『すべてを失い、地獄のような日々の中(中略)懸命に生き抜いた人たちのこと』『多くの人達の生きた証の上にあなたがいるということ』『どんな事がおころうと絶対命を守り、必ず生きて回りの人達を助けて下さい』『今日は、あなたに伝えることができて本当に良かった』 いまの私の心はまさに藤原さんのこの一文に尽きる。国民のために何の役にも立たない戦争の真実を知り、これからの日本を背負う若い君たちにもう一度言いたい。『父、母、先輩、多くの人達が生き抜いたその証の上に君たちがいる。その君たちの命を大切にし、回りの人達と助け合ってほしい。』そのためにも、絶対に戦争に近づいてはいけない、と心の中で叫びながら、願いながら筆を擱(お)きたい。」(P282)
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