日本企業の勝算

  元ゴールドマン・サックスのアナリスト、デービット・アトキンソンさんの最新作です。前々作の「日本人の勝算」において人口減少というこれから日本が直面する(している)問題に焦点をあて、解決策を論じていましたが、今回は、人口減少時代に合った生産性をあげるために、何が会社にとって重要か、を論じています。まずは「はじめに」からアトキンソンさんの言葉を抜粋します。

  「残念なことに、私が来日してからの31年間で、世界一輝いていた日本は先進国の中で第二位の貧困大国になってしまいました。生産性にいたっては第28位まで下がり、大手先進国中最下位になってしまいました。しかも、このままでは少子・高齢化にともない、日本の貧困はさらに進み、国家存続の危機を迎える事態になることすら予想される状態が続いています。(中略)日本で現役世代の給料を増やすための方法は、たった一つしか残されていません。日本企業が強くなること、それだけです。」そのためにアトキンソンさんが強く主張するのは「日本企業の生産性」を上げることです。(この「日本企業の生産性の向上」というテーマは、「日本人の勝算」「国運の分岐点」なんかでも扱っていたテーマですね。)

  アトキンソンさんによれば、生産性を決める要素としては、次の5つがあります。①総人口に占める生産年齢人口の比率、②生産年齢人口の就業率(労働参加率)、③企業の平均規模、④輸出率、⑤イノベーション。

  まず、①の総人口に占める生産年齢人口の比率ですが、日本ではすでに1992年にそのピークを向かえ現在は減少傾向にあります。②これも現在までに、女性の労働参加率が上昇したことで減少気味だった生産年齢人口の減少を抑えていましたが、今後この労働参加率を維持するのは難しくなりつつあります。このような状況において今後に残された手段は「労働生産性」(労働に従事している人たちの生産性)を高めること、なのです。

  アトキンソンさんによれば、その労働生産性を決めるもっとものに最も重要な要素となるのは、「企業の平均社員数(を多くすること)」です。「なぜなら企業の規模が大きくなればなるほど、労働生産性が向上するからです。」(以上P96)しかしながら、現在の日本では、大企業の数が少なく、中小企業の数が圧倒的に多いという「産業構造の非効率性」という問題があります。これは過去の日本政府の方針として、1964年に日本がOECDに加盟するのを機に経済成長により重きを置く政策を掲げ、企業数を増やす政策をとったことに発端があると言います。 それ以来、日本は「生産性を上げる」政策ではなく、「経済の総体を大きくし、その経済規模を増やすため会社の設立をしやすくし、税制等で中小企業を保護する」という政策をとってきたのです。そうしていつの間にか「中手企業は日本の宝である。」と言われるようになってきました。後者の政策は確かに、人口が増えていく時代には、その規模はともかく、労働力を吸収し、社会保障費を払ってくれる企業が増えるので理にかなっていたのです。しかし、現在の人口減少時代には、これまで増やしすぎた小企業数、小規模な中企業数(とくに社員数が1桁の小規模企業)を減らし、中規模企業、大規模企業を増やし、その規模を大きくし、生産性を上げ、企業の設備、研究や社員教育の投資を活発にし、外国企業との競争力をつけるべきなのです。

  アトキンソンさん自身、今回の日本における「産業構造の非効率性」というのは目から鱗(うろこ)が落ちるような発見だったと語ります。「産業構造が非効率であることが、日本を低迷させているさまざまな問題の根幹にある。この仮説を唱えている人を、私は寡聞にして知りません。私のオリジナルの仮説だと考えています。イノベーションが進まない理由、働き方改革が進まない理由も、この産業構造の非効率性に原因があると思っています。『産業構造の非効率性』が諸悪の根源であるという結論は、長年の研究の結果、最近発見したものです。政府委員会などでも議論された形跡はありませんし、ネットを検索しても出てきません。研究者も一般の議論好きな人も気が付いていなかった、一種の盲点だったのでしょう。」(P90)

  また、著者は「日本人は "monopsony" をもっと勉強すべき」と語っています。もともと経済学において「monopsony」というのは、「一つの買い手が供給者に対して独占的な支配力を持つこと」と定義されてきたのですが、最近は「雇用者が労働者に対して、相対的に強い交渉力を行使し、割安で労働力を調達することができる。」という定義に代わったのです。(P216)  詳しい解説は本書に譲りますが、この「monopsony」という状態を放置すると生産性は下がり次のような経済的な現象が見られるようになります。①企業の規模が縮小する、②輸出比率が低下する、③格差が拡大する、④労働市場の流動性が低くなる、⑤サービス業の生産性が低下する、⑥女性活躍が進まない、⑦有効求人倍率の高止まり。

「海外の論文に示されている特徴を見ると、あまりにも(日本に)あてはまるものが多すぎます。(中略)日本では「monopsony」の力が極めて強く働いていると考えるのが妥当だと思います。」(P242)  この「monospony」の影響を緩和するのは、「最低賃金」を段階的に引き上げていくことが有効で、最低賃金を適切に引き上げることで、生産性を高めることが可能ある、とアトキンソンさんは話します。(P246)

  最後に、アトキンソンさんは「私は、新しい動きをつくるべきだと言っているわけではなく、すでに起き始めている現象を戦略的にとらえ、効率よく、かつ賢く利用して、増えすぎてしまった企業の数を減らすべきだと言っているにすぎないのです。企業の数だけが減って労働人口が集約されるのは、正しい方向です。それをさらに推し進めていく道こそ、日本という国と企業の『勝算』なのです。」と結んでいます。

  前述しましたが、「日本企業の生産性向上」とか「最低賃金の引上げ」という論点は確かに前々作や前作でも取り上げていましたが、今回は「産業構造の非効率性」とか「monospony」といった概念について解説を加え、さらにヨーロッパやアメリカの資料、論文、数字で検証し、自らの「日本企業の生産性向上」という研究に更に深化を加えているという印象を強く受けました。最近よく稲盛和夫さんの本を読みますが、稲盛さんは、勉強会(盛和会)を主宰して日本の中小企業の経営者を応援していました。そんなエピソードを読むと正直、高度経済成長期に育った人間としては、寂しい限りの提言ですが、でも外国人だからこそ、日本企業に対する「愛情」というバイアスがかからず適格、かつ、客観的に導き出した(日本人には決して導き出せなかった)提言ではないかと思いました。