燃える闘魂

  京セラ創業者、稲盛 和夫さんの書著です。本書は日本のバブル景気が崩壊し「失われた二十年」を経た2013年の出版です。本書出版の意図としては、稲盛さんが「元気のない日本に活を入れたい」というようなことで、タイトルも「燃える闘魂」にしたのだと思います。

  稲盛さんは、写真を見ると一見穏やかなで、「利他の精神」とか、「心の在り方」を大切にする方ですが、同時にその内面においては、格闘技家にも負けない燃え滾る闘魂を持っています。( 実際ご自身も大学生の頃、空手をやっていたそうですし、また、他の書に出ていたエピソードなんかでも、京セラで社長だった時分、外へから手ぶらで帰社した営業社員を捕まえて、戦場における戦闘の比喩を用いて「貴様が、敵に向かっていかないのなら俺が、後ろから撃ってやる。だから安心して敵に向かって行け!(そのくらいの気持ちで営業しろ)」とか言う激を飛ばしたそうです。) 本書は、出版当時の元気のなかった日本企業に活を入れる意味合いで、いつもの稲盛哲学を披露しながらも、どちかというと「闘志」を表に出すような経営を勧める内容になっています。

  この中で、稲盛さんがこれからの日本が進むべき道を提言している箇所があります。(第六章/日本再生)「戦後の日本は、量的拡大を図ることで経済復興を成し遂げ、豊かな生活を築いてきた。(中略)しかし、今後、日本が存続していくためには、根本的な発想の転換が求められる。」(P181) 「その新しい考え方とは、量的な価値から、質的な価値の追求への転換である。換言すれば、高品質の製品・サービスを提供することによる『高い付加価値』の獲得を目指した経済の在り方である。この先、日本は少子高齢化、人口減少の社会へと進まざるをえない。質的向上を基軸に考え、ほかのどの国もまねができないような付加価値の高いものをつくり、サービスを行い、国内でも海外でも売る。」そういった日本人のものづくりの姿勢、暮らしぶりを見て、質的に高い生活レベルに外国人が共感する、そのような社会を目指すべき、としています。(P182)

  稲盛さんは、日本人が得意とする「ものづくり」のルーツは、日本の伝統工芸における精緻、精密、優雅な質の高い「ものづくり」精神にある、と考え、そして、その根底には「物質と精神を分けて考える西洋的な二元論的発想でなく、ものと心はひとつであるという『物心一如』(ぶっしんいちにょ)という日本固有の世界観(物質と精神を不可分の存在として、つくるものそのものになりきる。あるいは、つくるための道具そのものになりきる)がある。」といいます。「たとえば、伝統工芸の世界では、匠たちは仕事の前に身を浄め、ときに刀匠のように白装束に身を固める。これは『ものづくり』が神聖な行為であるから、ものをつくる前には、みずから身を浄め、魂を浄化する必要があり、そうした行為によりつくるものに魂を入れなければならない、と考えてきたからである。」(P184)

  たとえば、日本の製造業のほとんどの現場において、いまでも一日の最初に朝礼から始まるところが多いと思いますが、「これは、(物心一如の精神から派生した)ものづくりの前に行う、つくり手の心をつくっている行為」なのだと稲盛さんは解釈しています。

  ところで、以前、本ブログで紹介した「イギリス人アナリストだからわかった日本の『強み』『弱み』」の中でD.アトキンソンさんもやはり日本の「ものづくり」に関して称賛している箇所があります。「バブル時代に日本の強みとは、細部にこだわる真面目さ、手先の器用さによって裏打ちされた『高い技術力』や、怠けず高いモラルをもって仕事にとりくむ『勤勉さ』である、とよく言われました。(中略)日本の労働者に技術力や勤勉さという特徴があることは紛れもない事実でしょう。この原動力にはやはり、日本人特有の『職人魂』と言いますか、『極める美学』があると思います。」(P30) 「海外に比べて感じるのは、日本人は仕事の中身、内容に対して、あまり優劣をつけない印象を受けます。日本人の心に根ざす仏教の影響なのか、仕事をやり遂げた先にある結果というよりは、仕事の中身、仕事をするという行為自体にプライドをもって取り組んでおられます。ごみ収集などの、社会としては必要ですが、多くに人はあまりやりたがらない仕事、(中略)スポットライトを浴びるような華やかなポジションではなくて、地味な単純作業なのにもかかわらず、花形部門の仕事同様、真面目にこつこつと職務をこなしている姿には、いつも感銘を覚えます。」(P32) 

  このアトキンソンさんが指摘する「日本人の心に根ざす部仏教の影響」とはまさに、稲盛さんが指摘する「物心一如」なのでしょうね。しかし、アトキンソンさんは同書において日本の銀行での業務を例にとり、「銀行では、勘定が終わった段階で、一円でも計算がずれていれば、その一円の行き先を見つけるまで、どんな代価を払っても探す、だれかが一円を自分のポケットから出して、それで良しとするわけでもなく、見つかるまでとことん探す。たしかに、その正義感というのか、責任感がすごいと思いますし、その気持ちも素晴らしいです。ただ、その正義の実現にはどのくらいのコストがかかっているのか。コンサルタントをやっている時代に、研修で、商品を90%まで仕上げるには10のコストがかかるとしたら、100%にもっていくには、そこからは1%上げるたびに、さらに9ずつのコストがかかるのが鉄則だ、と教わりました。仕事にはキリがない、完璧を追求すればするほどコストがかかる。」 そして、「日本人の一部は仕事を美徳と見なしたり、修行と見なしたり本来は別な場所で求める夢を仕事に持ち込みすぎている感じがあり、それが一人当たりのGDPの数字の伸び悩みとして表面化しているのではないか。」(P77)とアトキンソンさんは危惧しています。