クアトロ・ラガッツイ(上・下)

       美術史学者で、元千葉大名誉教授の若桑みどりさん(2007年10月逝去)の大作です。タイトルにある「天正少年使節」というのは、1582年(天正10年)、当時日本イエスズ会の巡察師ヴァリニャーノが発案した日本人信徒をヨーロッパへ派遣した計画で、実際に九州のキリシタン大名の名代として4人の少年(主席正使/伊東マンショ、正使/千々石ミゲル、副使/中浦ジュリアン、副使/原マルティノ)がローマへ派遣されました。(「天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)」Wikipediaより) 当時、13~14歳の彼ら4人がヨーロッパに向けて日本を出帆したのは、戦国日本にとって微妙な政権移行期で、天下統一をほぼ手中に収めた織田信長が数か月後に明智光秀に討たれ、後継者/豊臣秀吉が天下を取ろうとする時期にあたります。(つまり、今でいうなら政権交代が間近に迫り、今後宗教政策が変わるかもしれない、という時期だったのです。)

  この使節団派遣は大成功を納めます。4人の日本人少年団は中国、インド、ポルトガルを経てスペインに渡りますが、当時のスペインは世界に領土拡張政策を展開し隆盛を極めていて「太陽が沈まない国」と言われていました。彼らはこのスペイン国王フェリペに謁見するのを始めとして、その後、それまでに見たこともないこの礼儀正しい日本人(それも少年たち)という物珍しさもあり、当時のヨーロッパはこの使節団を名士扱いし、至る所で歓迎されました。ルネッサンスの最後の栄光を輝かせていたイタリアに渡った少年たちは、フィレンツェの大公フランシス・デ・メディチの熱烈な接待を受け、芸術史上の大パトロン、ファルネーゼ枢機卿に迎えられてローマに入り、カトリック世界の帝王、グレゴリウス十三世と全枢機卿によって公式に応接され、つぎの教皇であり大都市建設者であったシクストゥス五世の即位式で先導役を務めたのです。換言すると、当時の日本人のなかで(おそらく)一番遠い距離の航海を果たし、また、当時の世界の最高峰の文化・芸術に触れた最初の日本人であったのでしょう。この日本と西洋の邂逅は、しかし、悲惨な結果を迎えます。日本からの出帆から8年後、彼らは日本への帰国を無事果たしますが、時の日本の統治者は、豊臣秀吉でした。秀吉は、天正15年に発した「伴天連(バテレン)追放令」やその後の禁教令などで、次第にキリスト教への弾圧を強めていき、宣教師や信者を次々に処刑して行きます。こういった日本におけるキリスト教受難の時期にあって、彼ら4人の運命も過酷なものでした。日本国内のキリスト教弾圧の中で惨めにその生涯を終える者、国を追われマカオへ逃亡する者、棄教する者、そういった中でも、中浦ジュリアンの最後は悲惨でした。彼は秀吉のキリスト教弾圧期にあっても、迫害に遭っている信者を助け、励ましていたのですが、1633年(寛永十年)10月、長崎で「穴掘り」という拷問により処刑されたのです。

       この「穴掘り」という拷問は「深さ二メートル直径一メートルの穴の上に吊り台を付け、キリシタンをこの吊り台に吊って穴の中に逆さに吊る拷問で、頭に血が充血してあまり早く死なないように、こめかみに小さい穴をあけて血が出るようにし、内臓が逆転しないように胴を縄で巻く。」(P444)  この暗黒の中で信者は自らが「転ぶ」(棄教すること)という合図をするまで放置されます。本書の記述では、この処刑を見ていた証人たちの証言によるとジュリアンはこの拷問に5日間耐え、暗黒の穴の中で、彼は心の中に自分が一番幸せだったころのことを考えながら殉教した、ということです。(ちなみにこの「穴掘り」という拷問は、遠藤周作さん原作の映画「沈黙」(原題:Silence、監督、マーティン・スコセッシ、2016年製作)の最後の方で再現されています。)

  ここまで、「天正少年使節」の話が長くなりましたが、実は本書でこの4人の少年団のエピソードが語られている箇所は意外と多くなく、むしろ、日本におけるキリスト教と日本文化という異文化間の衝突の歴史、そのエピソードや解説に多くのページが割かれいます。1552年のポルトガル人/ルイス・デ・アルメイダ(のちイエスズ会の神父になる)を始めとしたポルトガル人、スペイン人の宣教師の来日から、彼らの布教活動、キリシタン大名の勃興、織田信長から豊臣秀吉を経て徳川家康の日本統治に至る過程のキリシタン活動の隆盛から締め付け、未曾有の弾圧、日本古来の宗教(神道・仏教)とキリスト教の対立。また、著者が女性であるためか、当時の日本の宗教の男尊女卑などの話も詳細時代考証とともに丁寧に語られます。しかし、(ここは強調したいのですが)本作品の一番の魅力は、男性・女性に限らず、若桑みどりさんという一人の作家としての人間性の厚みというか、懐の大きさだと思います。また、本書で「自分はクリスチャンではない。」と著者御本人が、告白(?)していたり、「私の基本的な考えはなんにせよ体制と権力のあるところには全面的な全は期待できないということである。私の信用できるのはひとりひとりの正直な人間だけである。」(P384)と語っていますが、クリスチャンでない一人の作家がここまで深く宗教における人間の善意、尊厳、悪意、偽善性、弱さ、、、を語り尽くせる、というのはやはり、若桑さんの深い、達観した人間性によるものだと感じました。美術史家なので、当時の美術品や衣装、その色彩までも丁寧に解説しています。正に圧倒的というかストレートでヒューマンな感動を受けました。一読の価値ありです。