中国を変えた男 江沢民
江沢民(こう たくみん)さんは、鄧小平の後を継いで中華人民共和国の国家主席となった第3代最高指導者(任期は1989年11月9日 – 2002年11月15日、他中央軍事委員会等兼務)です。本書は、江 さんの生まれから、上海交通大学(*1)への入学、そして、社会人となってから機械技術者として工場長を歴任し、上海市長、ついには 中国共産党指導部から最高指導者へ推挙され、いくつかの試練を乗り越え職責を果たし主席の地位を退任するまでの軌跡を、数々の資料や彼を知る人々の語るエピソードを交え描いたものです。著者は、米テレビ局PBSの番組「Closer to the Truth」のホストを務めた経験を持つ、国際的投資銀行家/企業戦略立案家のロバート・ローレンス・クーン氏です。
著者がアメリカ人であることも多少影響しているせいかも知れませんが、本書を通して感じた中国最高指導者/江沢民像は、これまでの最高指導者とは異質で西洋的なものです。まず、江 さんは、中国屈指の名門、上海交通大学の理系学部で機械工学の学位を取得しています。(P56)中国共産党系の大学ではありますが、理工学部出身の指導者というのは、それまでの最高指導者の経歴から考えるととても異色です。(以前の中国の指導者というのは、だいたいが、中国が匪賊(ひぞく)、軍属保守勢力や外国勢力の利権拡大争いの舞台になっていた時代に青年期を送り、その社会改革を目指してマルクス・レーニン主義を学んだ人々なので、とにかく、暴力も辞さないプロレタリアート独裁と、全体主義を標榜し、柔軟で独自的な発想のを大切にする考え方とは全くと言っていいほど相いれないところがありました。)
江 さんがテクノクラート(技術官僚)出身であったことは、その後の中国の科学技術開発に大いに貢献します。一例が1992年の政治局で行われた「中国における科学技術開発」に関する会合です。この協議において、朱鎔基副首相と国家科学技術委員会主任の宋健博士の「科学技術の育成」に対する考え方で意見対立がありました。「科学技術は中国の大規模国有企業で育成されるべき。」とする朱鎔基に対し、宋健博士は「国有企業のような官僚主義的で活力の乏しく、閉鎖的で制約を受ける組織には、創造性が必要な科学技術育成はなじまない。改革の担い手である若手科学者に、活力に満ちた新規事業の創造を任せるべき。」と主張します。この意見対立をしばらく黙って聞いていた江さんは、宋健博士の提案に同意します。独自な考え方、自由な発想が大切な「科学技術」に対する彼の本質的な理解は、最近稀に見る発展を遂げる中国の宇宙開発やIT技術の躍進と無関係ではないと思います。
江沢民さんが「独自で自由な発想」をする指導者であることを示す印象的なエピソードを紹介します。江さんが上海市長だった1985年頃、中国に自由化の波が訪れます。改革があまりにも急激に進んだせいか、中国の現状に対し市民の不満が膨れ上がります。「一部の人だけが裕福になり他の多くは生活苦にあえぎ、汚職は蔓延し、働く人の賃金は能力に関係なく設定されたままで、『医師と理髪師の収入は五十歩百歩』」だと。そして、北京大学や江沢民の母校、上海交通大学でも学生たちの抗議デモが活発になります。
上海交通大学では学生たちが上海市長との対話を要求します。江沢民さんは母校へ行くことに決めます。対話集会の席上、勢いづき挑発的になっていた学生たちは自分達の要求を熱く語ります。それまで静かに学生の言葉を聞きていた江さんは演壇へ上がり、学生たちに語り掛けます。「私がここへ来て最初に目にしたのは、キャンパス中に張られた『人民の、人民による、人民のための』政府を求める大字報だった。。」 ここで一人の学生が「誰の言葉か知っていますか?」と彼の言葉を遮ります。
江沢民さんは、「もちろん知らないわけがない。アメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンが1863年11月19日に行った有名なゲティスバーグ演説の一節だ。。では今度は私に質問させて欲しい」と強い口調で話します。「君たちの中に、この演説の全文を暗唱できる者はいるか?」 驚くことに、江さんは聴衆の答えを待たずして、リンカーンの演説を英語で諳(そら)んじたのです。暗唱し終えた彼は学生たちに、リンカーンが演説に込めた思いを理解する必要がある。君たちは単に彼の言葉を知っているだけで、その歴史的背景を理解していない。」と語り、米国と中国は文化、価値観、伝統、抱えてる問題が異なる。(学生たちの国を憂うひたむきな思いは認めながらも)だからもう少し長い目で物を見る必要がある、と諭したのです。この出来事が契機となり、江沢民さんは自らの人間的強さと柔軟な政治性を証明し、中国指導者を感心させたのです。そして、「国際言語の英語でリンカーンのゲティスバーグ演説を暗唱できる新しいタイプの指導者」として知られることになったのです。(P160-164) いくら近代的になってとはいえ、抗議デモの学生たちの前で、かつての敵国アメリカのかつての指導者の言葉を諳んじるなどとは、とても大胆かつ勇気のいることだと思います。このことだけ見ても、これまとは全く異なる共産主義指導者であることがわかります。
江さんは(自らが尊敬するリンカーンの演説を諳んじるだけあって)英語にも堪能で、2009年9月、ニューヨークの国連本部で開催されるミレニアム・サミット出席のため、訪米した際、当時のアメリカCBSの人気番組「60ミニッツ」(*2)に出演します。この番組は名物記者マイク・ウォレスの容赦ない質問にゲストが答える、というもので、ウォレスは、リンカーンの政治を引き合いに出し、「なぜ中国では自由選挙で国家指導者を選ばないのか?」とか、当時の米中間の微妙な問題(米国のベオグラード中国大使館爆撃)に対し、「米国が故意にやったと思うか?」などにも突っ込んできましたが、彼は巧みにそのインタビューをこなしたのです。(この番組の収録中、テレビ局に同行した顧問団は神経をとがらせていた、と伝えられます。) 中国最高指導者が、中国が古い共産主義の考え、体質から脱皮し、近代的になっていることを「英語で話す」ことでアメリカ国民へ直接語り掛け、アピールする、ということを江さんは意図したのでしょう。
しかし、一国の最高指導者が、外国の民放の人気番組で自由に質問に答える、というのはすごいことだと思います。換言すると、自らの一挙手一投足、表情、声のトーンに至る表現の全てをアメリカの視聴者がじっと観察しているわけです。しかも、やり手で微妙な問題に関しても容赦なく質問をしてくるインタビュアーというのは、よほど事前準備をしていたのか、機転とウイットで巧みにかわす才能があるのか、どちらかだと思いますが、本書を読む限りでは、江 さんは、会話好きで、相手の緊張をほぐし、相手を楽しませることが好きで、よくジョークも話すようなので、おそらくは、後者に属する人なのだと推測します。また、江さんの卒業した上海交通大学の授業は、教科書、実験レポート、講義、テストにいたるすべてが英語で、教授もアメリカ、マサチューセッツ工科大学出身の英語を流ちょうに話す人だったということで、これも彼の語学の習得に大きく貢献したようです。
最後になりますが、江沢民さんは、経済市場主義を導入する中国において「共産主義の考え方は、中国の現状に則し柔軟に解釈すべきである。」と主張し、当時、新しい中国経済の新しい担い手となりつつあった企業家、技術者、経営者、フリー・ランスの専門家、自営業者といった人々を「新しい社会階層」と明言し、彼らも中国の特色ある社会主義の建設のため汗を流している、と擁護しました。一般的に、共産主義とは、資本家階級(ブルジョワジー)を排除しプロレタリアート(労働者階級)が権力を奪取するプロレタリアート独裁が教義で、それまでの社会主義建設の主役は、無産階級と呼ばれた一般労働者や農民でした。江沢民さんは、「マルクス・レーニン主義というのは、時代が20世紀に変わる頃に誕生したので、当然今の時代に則していない部分がある。本質的考えは維持しながらも、時代にそぐわないところは新しいものにしていくのが当たり前」と考えたのです。(P446)
毛沢東のようにカリスマ性もなく、鄧小平のように大胆でもないと揶揄される江沢民さん。しかし、自らの威厳、権力で相手を説き伏せるのではなく、芸術や科学の分野における深い教養や、機知、機転とユーモアに富む会話力と、論理的に相手を納得させるコミュニケーション能力で指導力を発揮し、例えばアメリカの長所で中国が取り入れられるもの、取り入れられないものを明確に区別し、取り入れられるものは柔軟に、積極的に取っていく姿勢。主義や主張の異なる人たちとも積極的に対話するオープンな姿勢。こういったものすべてにおいて、これまでの指導者とは違う、新しいタイプの中国指導者だと感じました。
(*1)上海交通大学:中国で最も長い歴史を持つ大学の1つ。特に理工学、医学及び社会科学が強い国家重点大学。また、大学名に「交通」とありますが、これはかつて、この大学の前身校が交通部(省)所属の大学であったため、伝統によりその名称を引き継いでいるので、特に交通(transporttion) 関係の技術校というわけではありません。
(*2)60ミニッツ:放送50年を超える長寿番組。アメリカでもっとも人気のあるテレビニュースショー。
0コメント