現代中国の父 鄧小平(上)

  「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者、エズラ・F・ヴォーゲルさんが「ジャパン・アズ。。」の後、10年以上の月日を費やして完成したのがこの「現代中国の父 鄧小平」です。最近、丹羽宇一郎さんが書いた中国関係の著書とか、中国共産党革命100周年に当たる2049年までに達成するという中国の野望を解説した「China2049」(著者/マイケル・ピルズベリー氏)など読んで中国の最高指導者についてもっと知りたいと思い、いくつか探したら本書にあったのですが、はじめの「日本語版への序文」を読んで一気に引き込まれました。ヴォーゲル氏はハーバード大学で博士号を取得した社会学者で、日本へ来て日本の家族研究をしたり、中国研究にも熱心な研究者です。本書を一読すればわかりますが、彼の文体や表現には常に日本や中国へのリスペクトが感じられ、また、明晰な分析力と、鋭い観察力がある非常な知性派だと思います。そういった書き手だからこそ中国という特殊な社会性を持った国の中における指導者の話を西洋人、東洋人を問わず共感できる物語として描き切れたのだと思います。本書は中国でも出版され60万部以上の売上を記録したベストセラーとなり、また、本書においては中国においてはセンシティブな題材である「天安門事件」の発生から経過まで詳述されていますが、中国の検閲後も全体的には9割以上の内容は削除されず出版されたそうです。

  中国の最高指導者は、毛沢東が最初で、約27年間その地位にいます。その後は華国鋒さんが2年間その地位に在籍し、その後に続くのが、鄧 小平氏です(在籍期間は、約11年間)。 鄧小平氏は1904年8月22日生まれ。若い頃にフランスへ留学し、「勤工倹学」という制度で働きながらの苦学生として、中学校へ行きました。1926年にソ連に渡り共産主義を学び、翌年帰国。その後は共産主義者としてゲリラ活動など行っていたようですが、1935年に周恩来と知り合い、これが彼の共産党員としてのその後の飛躍のきっかけとなりました。その後、中国共産党内で徐々に力をつけ、毛沢東の信任も得るようになり、一時は、毛沢東後の最高指導者の後継者と認知されるようになります。しかし、自らの権力保持に固執する毛沢東の嫉妬を買い左遷され、その座を華国鋒に一旦は譲りますが、毛沢東の死後、周りの同僚からの信頼を勝ち得ていた、また、指導者として実力では勝っていた鄧小平が平和的に少しずつ、華国鋒を政権から遠ざけ、国の指導体制を敷くようになります。

  会社でいえば、現代の中国の創業者が毛沢東で、その後を継いだ鄧小平さんはいわゆる「中興の祖」と呼べると思います。「大躍進」や「文化大革命」の後の、中国の疲弊しきった経済を立て直すことが自らの命題であった鄧小平さんにとって、その苦労は並大抵ではありませんでした。権力崇拝者で独裁者でもあった毛沢東が推進した「文化大革命」の時代では、毛沢東から批判を買い、工場労働に追いやられ、子供たちは紅衛兵(文化大革命を狂信的に支持する学生)からいじめ、虐待を受け、長男の鄧樸方(とうぼくほう)氏は学校の上階から転落し、下半身不随になってしまいます。 どこの組織でもそうですが、その組織のトップが毛沢東のような、自分の権力維持のためには人民の犠牲をなんとも思わない人物の傍で、中国人民の利益や自分の実務上の理想を追い求め、しかし、その独裁者のとの間で自分なりに妥協しながら行動する苦悩は想像以上のものだったと思います。自分の子供が、毛沢東の指導下の運動「文化大革命」で下半身不随にされたその恨みというか無念というか、そういったものは当然ですが、常に胸の奥にしまい込んでいた鄧小平ですが、アメリカに招かれた晩餐会の席上、隣に座ったアメリカの女優から文化大革命についてあまりに無知な意見を述べられ、普段は感情を表さない鄧小平が珍しく怒りをあらわにしたそうです。

  3度の失脚を経験しながら、中国最高指導者に上り詰め、経済成長を最優先に掲げ、科学技術を振興し、人民公社を解体。香港返還と一国二制度の導入といった経済的な実験を導入しながら、しかし政権の最後には1989年の悲劇的な天安門事件を経験した鄧小平氏。鄧小平氏のお話は確かに中国の共産党という特殊な組織の中でのお話ですが、組織体制の中の本音と建て前、義理と人情、、といった要素も多分にあり、これは世界の(そして日本の)どこの会社にでも多かれ少なかれあてはまるものだと思います。一種の立身出世物語として読んでもとても面白いと思います。

(本書は外交関係書に贈られるライオネル・ゲルバー賞、全米出版社協会PROSE賞特別賞を受賞したほか、エコノミスト誌、フィナンシャル・タイムズ紙、ウォール・ストリート・ジャーナル紙、ワシントン・ポスト紙などの年間ベストブックに選ばれ、全米批評家協会賞ファイナリストにも選出された。中国大陸版は、天安門事件に関する記述の刊行が認められ、2013年1月の出版からわずか半年で60万部の売り上げを記録/出版社のPRより)