イリアス(上)

        ギリシア神話の一つトロイア戦争を題材にした世界最古の叙事詩です。もともとは口承によって語り継がれてきた韻文形式の物語を、現在のようなトロイア戦争の最後の50日のギリシア軍とトロイ軍の戦闘を軸に、ギリシア(アカイア)側の最強戦士アキレウス、知将オデュッセウス、ミュケーナイの王で最高指揮官アガメムノーン、アガメムノーンの弟でスパルタ王メネラーオス、アキレウスの親友パトロクロス、そして、トロイア側のトロイア王プリアモス、彼の息子で勇猛なへクトール、その弟パリス、、彼らの活躍を中心に構成したのが、紀元前8世紀半ばの楽人(吟遊詩人)ホメロス(といわれている)です。


  この「イリアス」の題材、トロイア戦争の物語の発端は、ギリシアの小国の王プティーアの王ペーレウスと海の女神テティスとの結婚です。(後に、この二人の間に生まれるのがアキレウス。彼は自分の運命が、短命だが永久に栄光に包まれるものであることを悟っていて、読者にはトロイア戦争で彼が戦死することが暗示されます。)この二人の結婚式には、すべての神々や女神たちが招待されますが、ただ一人、仲たがいと争いの女神エリスだけは招かれませんでした。ところが、この祝宴が最高潮に達した時、エリスが会場に現れ、「これを一番美しい人に」と言って、黄金のリンゴを場内に投げ入れます。この祝宴に参加していた女神たちは、このリンゴを手に入れようとして互いに争いを始めます。

  

  人間の世界では、数年がたち、スパルタ国王テュンダレースが娘ヘレネ―の結婚について頭を痛めていました。娘が絶世の美女として有名になり、求婚者たち(後に、トロイア戦争に従軍するギリシアの諸将メネラーオス、オデュッセウス、アイアーネス、イードメネウス等もいます。)が自分の屋敷に居座り続け、ヘレネ―が婿を選ぶまで帰ろうとしなかったからです。そこでオデュッセウスは、テュンダレース王にヘレネ―自身に自分の夫を選ばせることを提案。テュンダレース王はその提案に賛成し(彼はその名案の報酬として、テュンダレース王の弟の娘のペーネロペイアを妻としてもらいうけます。) 、求婚者たちに、「ヘレネ―の決定にはすべての求婚者が従うこと、その選ばれた夫が難事に陥り、助けが必要な時には皆がその人を助ける」ことを誓わせ、ヘレネ―に夫を選ばせます。ヘレネ―が夫として選んだのは、ミュケーナイの王アガメムノーンの弟、メネラーオスでした。


  一方、神々の住まいであるオリュンポスの山では、黄金のリンゴをめぐって3人の女神が奪い合いを続けています。主神ゼウスの妻で、あらゆる神々の女王であるヘーラー、知恵と技術の女神アテーナ―、愛と美の女神アプロディテー。この三人は、自分達でこの争いを解決できず、一人の人間に、三人の中から一番美しい女神を選んでもらうことにします。その人間とは、トロイア王プリアモスの息子パリスです。パリスは黄金のリンゴをアプロディテーに渡します。アプロディテーはそのお礼に、パリスに世界で一番美しい女性と結婚させてあげる、と約束します。(その世界で一番美しい女性とは、メネラーオスと結婚したスパルタ王の娘ヘレネ―だったのです。)


  メネラーオスとヘレネ―との結婚から3年後、トロイアのパリスがスパルタを訪れます。スパルタ国王になっているメネラーオスはパリスを客人として、あたたかくもてなしますが、その間、パリスはヘレネ―の心をしっかりと射止めてしまいます。ついには、パリスのトロイア帰国の時、ヘレネ―は彼のあとについてトロイアへ行ってしまいます。メネラーオスの兄、ミュケーナイの王アガメムノーンは、パリスへの復讐とヘレネ―奪還のため、かつて、テュンダレース王に「ヘレネ―求婚の誓い」(ヘレネ―の夫が助けを必要にする時に助力すること)を立てたギリシア諸国の諸将に、トロイアへの遠征軍の参加を要求。アガメムノーンの要請を受けたギリシア諸国は、援軍を送ることを決定します。アガメムノーンは、総勢10万人とも伝えられる大軍の大船団を率い、トロイア沿岸へ上陸。遂にトロイア戦争の戦端の幕が切って落とされます。(長くなりましたが、ここまでがトロイア戦争の発端です。)


  ここから、この「イリアス」の物語が始まります。10年目に入ったトロイア戦争の疲れで、ギリシア軍、トロイア軍の両軍に厭戦気分がだたよっている状況下、ギリシア軍を率いる最高指揮官アガメムノーンが、トロイア近郊の都市テーベとの小戦に勝った捕虜として美しい娘、クリューセーイスを自陣へ連れ帰ります。神官であるクリューセーイスの父親クリューセースが身代金を持ってアガメムノーンに娘の引き渡しを嘆願しますが、アガメムノーンは彼をバカにし、この申し出を拒否します。これに対し、クリューセースは、神アポローンにギリシア軍が彼を侮辱した報いが起こるよう祈ります。この祈りを聞きとどけたアポローンは、ギリシア軍の陣地に疫病の矢を放ち、悪疫がギリシア軍を襲います。ギリシア軍諸将は、「この悪疫はクリューセースの願いを侮辱したことで、怒ったアポローンがおこしたものだ。娘を返すべき。」とアガメムノーンへ訴えます。ギリシア軍の最高指揮官アガメムノーンは嫌々ながらもこの訴えを聞き入れ、クリューセーイスをクリューセースへ返すことに同意しますが、アガメムノーンは、ギリシア軍諸将の中から、アキレウスに「先のリュルネーソスの小戦で捕虜として連れ帰った娘、ブリーセーイスをよこせ。」とクリューセーイスを失った代償を求めます。アキレウスはこのアガメムノーンの仕打ちに怒り、母テティス(海の女神)に、ゼウスがトロイア軍の味方をすることでギリシア軍を追い詰めさせることを願い、テティスはこれを請け負います。この後、アガメムノーンの仕打ちに怒ったアキレウスとその部下を除くギリシア軍兵士とトロイア軍兵士との一進一退の攻防が始まりますが、アキレウスの母テティウスへの願いを聞き入れた、ゼウスによる神アポロンとポセイドンの後押しもあり、勢いに乗じたトロイア勢がギリシア勢の陣内へ突入するところで、この上巻は終わります。


  私的に興味深かったのは、当時の人々が考えていた「人生観」についてです。例えば、「イリアス」の主人公のアキレウスですが、彼は人間と女神の間に生まれた子で、彼は、「長命を保ち一生平穏な生活を送るか、又は、短命でも栄光に満ちた生涯を送りその名を後世に讃えられるか、」どちらかを選択しなければならない運命にあり、彼は後者を選びます。この時から、彼は栄光を獲得した後、死が訪れる運命にあることを読者は予期しながら、「イリアス」を読むことになります。ここから読者の興味の一つは、「アキレウスがどのようにトロイア側を倒し、最後はどのように死を迎えるのか、」ということになるのですが、昔のギリシア人もこのアキレウスの運命のように、自分の人生を重ね合わせた考えていたのでしょう。。自分の運命は生まれた時からすでに神々によって定められ、そのようにいつか人生を終えるのだ、、と。


  もちろん「イリアス」においてアキレウスは、自分で決定し、自分の意志で行動しますが、神々は、自分の肩入れする人間が苦難に陥っているときは、彼の友人や知人などに化け、そっと「こうしなさい、ああしなさい。」と忠告するのです。そうやって、彼の日々の行いや、戦場にあっては、どのタイミングで戦いに勝ったり、負けたりするのか、、という日々の行動の細部が決められていきます。このように、当時のギリシア人は、人の運命は、彼(彼女)に肩入れする神、或いは、彼(彼女)と対立する人物を肩入れする神の差配のバランスにより少しずつ決められながら、最終的には生まれ持った運命に向かって進んでいく、と考えていたのでしょう。おそらく日々の出来事や苦楽を、今日の幸運は神様が与えてくれたのだ、とか、昨日の失敗は、神様が私の態度を反省させるためにさせたのだろう、、などど思いながら生活していたのだろう、と想像されます。


  また、よく言われることですが、ギリシアの神々はとても人間的で、とにかく男神でも女神でも浮気や嫉妬などの人間臭いエピソードがギリシア神話にはでてきます。昔の神々というのは、超自然的な能力を持つ存在でありながらも、一方では人間くさく、現代においては、我々普通の人間から見て、憧れや願望の対象となるような、(ニュースのゴシップ欄を賑わせるような) いわゆるセレブのような存在だったのかも知れません。


  この「イリアス」においては、当時の戦場における戦いの様子も描かれます。当時の戦場においては、兵士たちはお互い、鎧をきて武装しています。相手を倒すために、まず、槍を構え、相手に狙いを定め投げ合います。それで決着がつかないと、接近戦になりますが、体中武装してるので、武具と武具の隙間の生身がわずかに露呈されている箇所を狙い、相手を弱らせてから相手の鎧を外し、その後は一気に刀を振り下ろす、、という感じで戦ったらしいことがわかります。そして、戦いが終わった夜ともなると、勝どきを挙げた軍の兵士は、戦場に横たわる敗者の武具を体から剥がし、自分の戦利品として持ち帰るのです。特にその武具が格上の戦士のものなら、その武具を持っていることは名誉とされました。さらに最終的に戦いの最終決着がついた後、敗戦側の、女、子供は、勝った側の軍の戦利品(捕虜)となり、勝者側諸将に分配されます。そして戦勝国の富裕層に買われ、家政婦、家庭教師、掃除や雑用のお手伝い、家畜番などとして生涯を送ったようです。


  何かの本で読みましたが、アメリカの投資家ウォーレン・バフェットと、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが何かの機会に話をしていた時、バフェットがゲイツにこう話したそうです。「現代に生まれてよかったね、(体力のない我々は)古代の戦場では武勇をあげるどころか、生きることさえできなかっただろうからね。」 古代ギリシアでは、市民の義務は兵役につくことであった、といいますから、なんともすさまじい世界です。今の日本では、市民に兵役義務はなく、また、お隣の国、韓国にはありますが、その義務は数年に留まります。私的にも、バフェット氏の意見に賛成。古代ギリシアや日本の戦国時代に生まれなかったことに感謝します。