オデュッセイア(下)

  オデュッセウスが、故郷イタケーを目指し苦難の航海を続けている間、イタケ―のオデュッセウス邸では、遺産目当ての求婚者が、オデュッセウスの妻ペーネロペイアのもとを訪れ、彼女から求婚の返事をもらおうと居座り続けています。彼らを追い返す力のないペーネロペイアは、一日中部屋に閉じこもって機織りを続ける日々を送っています。この窮状を打開すべく、オデュセウスの息子テーレマコスは、イタケーの市民集会で母の求婚者達の無礼な振る舞いを非難しますが、多勢に無勢、彼の訴えは、その集会に参加していたペーネロペイアの求婚者の無礼な声にかき消されてしまいます。彼は父を探す旅に出ることを決意します。


  テーレマコスはまず、ピュロスのネストール王に会います。ネストール王はトロイア戦争が9年の長きに及び、多くの戦死者をだしたこと、トロイア戦争の膠着状態を打開したのが、彼の父オデュッセウスの木馬作戦であったことなどを話しますが、一番大切なオデュッセウスの行方についてはネストールも知りません。そこで、彼は、スパルタのメネラーオス王にオデュッセウスの消息を尋ねるよう提案します。翌日、テーレマコスは、案内役でありるネストールの息子ペイシストラトスと共にスパルタに向け出発。スパルタのメネラーオス王とその妻のヘレネーに会います。客人がオデュッセウスの息子であると知ると彼らは感激し、トロイア戦争でのオデュッセウスの活躍を語り、さらに、オデュッセウスがカリュプソーの島で捕らわれている、という話を聞いたことがある、と伝えます。


  一方、パイアーケスの船乗りたちによって、故郷イタケ―への帰還を果したオデュッセウスは、羊飼いに変装した女神アテーナ―に出会います。アテーナ―は、今までずっと彼を見守り続けていたこと、これからも同様に彼を見守り続けることを伝えます。そして、今、オデュセウスの館では、死んだ(と思われている)夫オデュッセウスを待ち続ける妻ペーネロペイアを、自分の妻にしようと大勢の求婚者が館に居座り続け、オデュッセウスの財産を食いつぶそうとしていること、ペーネロペイアは、オデュッセウスの生存を信じ今でも夫の帰りを待ち続け、求婚者への返事を一日一日延ばし続けていること、オデュッセウスの息子テーレマコスは、消息のない父オデュッセウスを探しに旅に出ている途中で、ペーネロペイアの求婚者たちが彼を殺そうとしていることなどを話します。この後、アテーナ―は、オデュッセウスを年寄り乞食の姿にかえ、今でもオデュッセウスに忠実な召使い、豚飼いのエウマイオスの元へ行くよう告げます。


  エウマイオスは、どこのものともわからないこの年寄り乞食を親切にもてなし、自分を大切にしてくれ、今は戦争に行って死んでいるかもしれない主人オデュッセウスのこと、主人の館では、王妃の求婚者たちが、主人の財産である上等な牛や豚などの家畜を食いつぶし、わがもの顔で暮らしているずる賢い連中であること、王妃と息子は彼らを追い出す力がないこと、などを話します。そこへオデュセウスの息子テーレマコスが無事に帰郷し、エイマイオスの小屋を訪れます。女神アテーナーの計らいにより元の姿に戻ったオデュッセウスは息子と再会を果たします。息子は、アテーナーの助言により、求婚者たちの殺害計画から逃れ無事帰国を果たしたこと、また、オデュセウス邸には現在百人以上の求婚者がいて、我々少数では、とても太刀打ちできないことなどを話します。しかし、オデュッセウスは女神アテーナーの御加護で、最後は求婚者たちを追い出すことができる、と息子を力づけます。テーレマコスは、一足先にオデュッセウスの館に帰り、母ペーネロペイアに自分の無事を報告し、悲嘆に暮れる母に、我々には神の御加護があり、もうすぐ父が無事に帰還し、求婚者が立ち去ることを信じるよう力強く話します。


  翌日、年老いた乞食の姿に戻ったオデュッセウスと豚飼いのエイマイオスは、オデュッセウス邸へ行きます。求婚者たちは、この乞食を見るとすぐに軽蔑し、すぐにこの屋敷から立ち退くよう言いますが、身寄りのない旅人を無下にするものではない、とエイマイオスやペーネロペイアは反論。この屋敷に客人として滞在することを許された乞食姿のオデュッセウスは、求婚者たちを注意深く観察、彼らをどう始末するか考えます。


  数日後、ペーネロペイアは、この客人を自分の部屋に呼び名前や出身国を尋ねます。自分はオデュッセウスと会ったことがある、と言うこの乞食に、オデュッセウスはどんな服装をしていたかを尋ねるペーネロペイア。彼女は、この老人が夫がトロイアへ出征した時の服装を見事言い当てたことでこの客人を信用します。そこでペーネロペイアは彼に、自分の運命を決める時がきたこと。愛する夫が、生前得意としていた離れ業をできた人を、自分の次の夫としたいこと、などを話します。その離れ業とは、はすかいに組みあわせた斧を一列に並べ、斧の先端と柄の間にできた隙間を矢で射抜くことでした。この案に乞食姿のオデュッセウスは賛成します。


  翌日、ペーネロペイアは、求婚者たちに夫オデュッセウスが生前得意としていた「矢の射抜き」を提案。その射抜きができた男へ嫁ぐと告げます。エイマイオスが斧を並べ射抜きの準備をします。しかし、求婚者たちは、この射抜きに次々と失敗してゆきます。残った求婚者たちは、この射抜きの延期を提案します。ここで、乞食に姿を変えているオデュッセウスは自分が若い頃得意だった弓引きをここで試したい、と言います。自分達ができなかったことを仮にでもこの乞食が成功すると我が身の恥である、と感じた求婚者たちは乞食を止めようとしますが、ペーネロペイアは、この客人の申し出を受け入れること、もし彼が射抜いたならば、いくばくかの賞品を渡すことを約束します。


  この弓引きが父からの戦闘の合図であることを悟ったテーレマコスは、何も知らない母を自分の部屋にそっと引上げさせ、武器庫の鍵を取りに行きます。乞食姿のオデュッセウスは弓をならし、ゆっくりと引きます。その弓から放たれた矢は見事、斧の間を射抜きます。この時、テーレマコスはすぐに太刀と槍を持って乞食姿の父の元へ駆け付けます。この射抜きを成功させた乞食の物言いから、求婚者たちは彼がオデュッセウスだと気づきますが、時遅く二人は彼らに向け矢を放ち襲い掛かります。求婚者たちもこれに応戦しますが、豚飼いのエイマイオスも武器をもってオデュッセウスとテーレマコス側につき参戦します。戦いはしばらく続きますが、結局、求婚者たち全員は倒されます。戦いが終わり元の姿に戻ったオデュッセウスは、遂に妻ペーネロペイアとの再会を果たすのでした。


  後日、オデュッセウスに殺された求婚者の肉親、親類縁者は市民集会の場で彼の復讐を非難します。しかし、この様子を天から眺めていた主神ゼウスは、これ以上の流血は望まず、すべてを平和のうちに解決したいと考え、雷を轟かせます。そして、女神アテーナーは大きな声で「すべての闘いを止めよ」と叫びます。これにより、これ以上の戦いを望む者はいなくなり、オデュッセウスとその家族は平和と幸福のうちに一生を送るのでした。


  これが、人類の財産とも言われる叙事詩「オデュッセイア」のお話しです。人は昔から自分達の考える世界観、自然観、社会観、道徳観、価値観、、、などを「物語」という形式で、語り継いできていると思います。(ちなみに我々にとって一番身近なお話は、「聖書」だと思います。)


  では、この「オデュッセイア」という物語を通じて、ギリシアの人々が語り継ついできたこととは何でしょうか。


  まず、私が感じるのは、知恵と計略の女神アテーナ―が愛したオデュッセウスの性格です。オデュッセウスは、知将、策略家とも言われる深慮遠謀の英雄ですがこの人物をアテーナーはこよなく愛し、このお話の初めから終わりまで彼を見守り、助け続けます。おそらく昔のギリシア人は大自然の猛威(このお話しでは海神ポセイドーン)の前には人間は無力であると思い、その分人が持つ知恵の中に人間が生き抜く可能性(女神アテーナー)を感じ取ったのかも知れません。


  次に、オデュッセウスは、一つ目の巨人を怒らせたことから、その父である海の神ポセイドーンにずっと恨まれ続けられるように、大自然の猛威、脅威の前に人は無力である、という考えです。ここから「自然の力には神が宿る」というような多神教を信ずるようになったのではないでしょうか。。


  また、オデュッセウスは、イタケーへ帰還の最後の最後まで海神ポセイドーンからその帰郷を阻まれ、なんとか生還しますが、仲間は全員失ってしまいます。これは、オデュッセウスが、死者の亡霊をおさめている神ハーデースの国でテイレシアーズ(の亡霊)がオデュッセウスに語った予言通りです。自然災害、戦争、疫病などで生きることが今より困難だった時代、人は生まれた時から運命は定まっていると考え、そう考えることで、たとえ身の回りに不幸があっても、また、生きることが困難であったとしても、自分を納得させていたのだと思います。


  あと、興味深いのは、登場する女性たちです。ペーネロペイア、ナウシカア、オデュッセウス邸の従者エウリュクレイアなど人間世界に住む善的な賢い女性が登場する一方、キルケー、セイレーン、カリュプソーなど神の世界に属する女神、妖精が登場し、自分の美しさ、若々しさ、自慢の歌声で、男の船乗りを魅惑し無気力化します。ホメロスはじめ昔のギリシア男性は、女性の美しさの中に男にはない神秘な「神聖」を感じていたのでしょう。。