星を継ぐもの

  SF(サイエンス・フィクション)小説というジャンルは嫌いではないのですが、この分野はやはり、「百聞は一見に如かず。」で、視覚的に納得させる映像表現の方が、小説より魅力的だと思うので、つい小説を手に取るより映画で済ますことが多いのですが、いろいろな文化人・知識人の中にはSF小説が好きな方も多いようです。そういったSF小説の中でもわりとこの「星を継ぐもの」は、よく読まれているようで、推薦本に挙げる方もいたりということもあり、今回久々にこのSFを読んでみました。著者はこの作品の出版当時(1977年)は無名だったジェイムズ・P・ホーガンさん。発表後、ベストセラーにもなりました。


  「星を継ぐもの」というタイトルからして、地球外の知的生命体、あるいは、宇宙の創造主人との遭遇を連想させる感じがします。この小説の冒頭は、戦争が繰り広げられている月が舞台になります。月面には戦争のための軍事基地がすでに建設されているようで、ここに自軍の中継基地への帰還を急いでいる二人の兵士が登場します。(兵士とはいっても、著者は二人を何者か特定しない描き方なのですが、この二人は地球人ではない様子。)二人の帰還途中、一人が疲弊し動けなくなります。仕方なくもう一人の方は、動けなくなった仲間の救助を約束し、単独で基地への帰還を目指します。戦いで疲れ果て一人月面に残されたこの人物は、虚ろに宇宙空間を見上げます。そうすると彼の眼前には、青い地球が視界いっぱいに広がっている、、、というこんな印象的なシーンからこのお話は始まります。。(この二人が何者で、何の目的で戦っていて、その相手は? この取り残された人物は救助されるのか。。?)


  ここから話の舞台は地球に移ります。西暦何年なのかは、この作品の中でははっきり特定されませんが、民族的イデオロギーや民族主義が廃れ、全世界的な出生率の低下と共に、国家、党派、信教等の価値観が(現在より)あいまいになって、国同士の連合体が形成されている、、という説明があるので、おそらくは数十年後の地球と考えてよいと思います。その時代には核爆弾の開発もすでに時代遅れになっていて、その代わり人類は国家連合体を形成し、宇宙開発に力を入れ、「国連宇宙軍」なんていう組織も創設し、人類共同で太陽系探査計画を推進し、太陽系を宇宙船が飛び回っている世界になっています。


  そして、月面ではなんと5万年以上前に死亡した地球外生命体の死体が発見され(それは、前述した二人と関係があるのですが、、)、それに続き、人類が探検に及んでいた木星の衛星ガニメデでは、地球外でつくられた宇宙船、そして、その中から前述の異星人とは別種の知的生命体の遺骸が発見されます。このようにこの後も、知的生命体の遺留品などからいろいろな事実がわかってきて、お話が徐々に大きく複雑に発展していきます。そして、この作品の主人公の一人、原子物理学者/ヴィクター・ハントが木星の衛星ガニメデへ降り立った時に、それまでの謎が一挙に解明され、一つの壮大な人類と異性人との歴史が語られる、、という構成になっています。(ただし、この作品で物語は完結せず、その話の謎のすべては、その後のシリーズ化された作品の中で解き明かされるようになっています。)


  本作品に限らず、このようなSF作品で展開される世界観を読者に納得させるには、徹頭徹尾、最新の科学的事実や根拠、それに科学的なデータベースをストーリーの基盤にすることが大切だと思います。そして、その話のディテールがいかにしっかりしているかが、作者の語る世界にリアリティをもたらすことができる鍵になると思いますが、この作品では、そういった科学的根拠を十分に押し出し、読者にこの雄大な物語のリアリティを与えることに成功しています。実際、登場人物たちが使う日常生活の通信機器やインテリア等の小道具は、現在主流のSF映画と比較すると、どうしても目新しさは感じないのですが、しかし、登場する科学者たちの信奉する科学の原理が、自然にわかりやすくストーリーの枝葉に織り込まれていて、それをこもとにストーリーが展開されていくのがこの作品の魅力になっています。


  この作品の中で大切な科学原理の一つが「進化論」。発見された異星人の遺骸から、この異星人は地球人に酷似した生命体であったことがわかり、地球人と関係のある生命体かどうか議論する場面があるのですが、ここで生物学者/クリスチャン・ダンチェッカーは冷徹な科学的事実から、この異星人と人類との安易な結び付けを否定する場面があります。彼の説明では、「進化の過程」というのは、偶然の積み重ねであり、現在地球上に存在するあらゆる生物は、何百万年にわたって繰り返された一連の突然変異  ー  それは例えば、偶発的な遺伝子情報の乱れや異種交配などによる ー  の結果なのです。別の言い方で説明すると、その「進化のプロセス」というのは、例えば(ゲームの)チェスで言うならゲームの開始には指し手の選択はわずか二十通りでしかなかったものが、十手指すと、その選択肢は天文学的数字になっていく。。これと同じで、生物の進化の過程も、まず宇宙にあるチリが長い時を経て集まり、その星が太陽のような熱を発する恒星をある程度の距離を保ちながら周回し、その星の環境が生物の発育に適したものになり、微生物、海洋生物から、陸上生物、鳥類、爬虫類、哺乳類、人類といったような生物進化の枝分かれや、さらには氷河期等の天候などの環境的変化にも耐えていき、、などなど、その「進化」の歴史の順列・組み合わせは、何十億、何兆(、、それ以上?)の選択肢であったことを読者に説明します。そして、このような科学的事実に基づく説明から、今の地球に生存する人類と同じような生命組織を持った知的生命体が宇宙に存在することの確率がいかに低いかゼロに近い可能性であることを実感させるのです。 


  そして、作者は、ダンチェッカーを通して、我々地球人でさえ完成された進化の最終形では決してない、と主張します。自然による進化の解決策(つまりは「適者生存」の意)は、手当たり次第のあらゆる解決策を試みるやり方であり、それは必ずしもその生命にとっての最善の進化ではなく、そして、その解決策(突然変異)がその生命体にとって、良かったかどうかの唯一の判定基準は、その突然変異の結果である姿なり形質が、その後のその種の繁栄(生存)に寄与したかどうかということなのです。そして、ダンチェッカーは、さらに冷静に語ります。「(進化の)完成という考え方は捨てるべきです。自然界に見られる発達と言うのは要するに何とか仕事を果たすことのできる状態にあるということにすぎません。」 この「進化論」が本作品のストーリーの秘密を解くうえでで重要な要素になっているのですが、ここではこれ以上は書きません。(詳しく知りたい方は、ぜひ小説を手に取ってください。)


  このような例をはじめとして、この作品の根底には、科学原理の支配があり、その上に作者独自の宇宙観が構築されています。そして、やはり歴史的に科学原理の発見・発達を常にリードしてきたのは、古代ギリシアの万物の成り立ちを探求する姿勢を発展させ、基礎を築いてきた西洋先進諸国。SF(サイエンス・フィクション)と「サイエンス」がつくこの小説のジャンルもやはりヨーロッパやアメリカで発展している印象を受けます。こういった意味ではSFというジャンルは西洋先進諸国お得意の題材なのかもしれません。(確かに、日本にも小松左京のような優れたSF作家がいますが(ましたが、、)、SF作家に詳しい方、機会があったら是非SF小説の魅力をご教示ください。。)