ローマの哲人 セネカの言葉

  本書はセネカの著書愛好家でもある中野 孝次さんが、日本ではあまり知られていないセネカを紹介するために書いた、いわゆるセネカ入門書です。前回紹介した、井筒 俊彦さんもそうですが、いろいろ本を読んでいるとたまに「この人ってホントに賢い人だな、」と思う著者に出会うことがありますが、この作品で紹介されているセネカ、そして本書の著者、中野 孝次さんもまさにそう感じた人たちでした。


  まずセネカですが、彼の本名はルキウス・アンナエウス・セネカ(ラテン語: Lucius Annaeus Seneca/ 紀元前1年頃 - 65年4月)。ユリウス=クラウディウス朝時代のローマ帝国の政治家、哲学者、詩人で(古代ローマ時代の)ストア派哲学者でもあり、ラテン文学を代表する多くの悲劇や著作を残した人です。彼はまた、第5代 ローマ皇帝で暴君として有名なネロの幼少期の家庭教師であり、またネロの治世初期にはブレーンとして彼を支えました。(Wikipedia) そして、本書の著者、中野 孝次さん(2004年没)は元國學院大學教授。小説家でありドイツ文学者、そして本書のような訳者でもあります。日本の中世文学に傾倒し、1972年に初の著作『実朝考』を刊行、1976年には洋画との出会いをもとに半生を検証したエッセイ『ブリューゲルへの旅』で独自の世界を確立。その後も自伝的小説『麦熟るる日に』、愛犬の回想記『ハラスのいた日々』、凛然と生きる文人を描いた『清貧の思想』など多彩な執筆活動を続けた。(Wikipedia)


  「私がセネカの言葉を紹介しようと思い立ったのは、何より私自身が現在セネカを読んで面白くてならないからだ。読み出して以来、私は彼の魅力に引き込まれ、なぜ今までこんなに面白いものを知らなかったのか悔やんだ。二千年も昔にこのように生き生きした考え方をし、それを素晴らしい言葉で表現した思想家・文学者がいたのかと驚いた。」と本書の始めに 中野さんが語っている通り、セネカという人はあまり日本ではなじみがありません。しかし、彼がセネカの著書を読んだ時、彼の言葉、哲学、生き方、それを生き生きと読む人に伝える表現力ににとても感動したそうです。そして、いつか彼についての本を書きたいと念願し、それが本書に結実したのです。


  実は、かくゆう私も、本書の読後、まさに中野さんが書いている思いを共有した一人です。うまく言葉にできないのですが要するに、日々毎日を過ごしながら日頃なんとなく考えている事柄に関して、セネカが自身の言葉でストレートに語っているから、ということがあると思います。しかも、表現がとても巧みで、著者・中野さんの言うように文章力が圧倒的に素晴らしい。古代ギリシア・ローマでは、レトリック(*)の勉強が盛んだった、と伝えられますが、コピペの流行っている現代においてはまさに、このセネカの文章表現力に接するとそのことを強く実感できます。


  例えば、「生きる」ことの意義について彼はこのように書いています。「弁論であれ、学問であれ多忙な人間は何事でもちゃんとやり遂げることができぬものです。多くのことを負いすぎた精神は一事に深く集中することができずに、どれもむりやり口中につっこまれたものででもあるかのように、すぐにまた吐き出してしまいます。そして多忙な人間に何が一番できぬかといえば、それは生きることです。実際、このよく生きるということぐらい、学ぶのがむずかしいことはありません。」。。 いやあ人生について見事に表現していると感じませんか。。このような日頃忙しく日々を送っている我々にとって、ちょっとでも立ち止まって、じっくり向き合う価値のある言葉が本書の随所に散りばめられています。このほか「死に対する心構え」「時間の浪費における罪悪」「幸せとは何か」。。。このような一般的、哲学的・道徳的テーマについて彼の体験談を巧みな表現で引用し、読者を彼の世界に引き込んでいきます。中野さんもセネカは哲学者である前に第一級の文学者である、と賛辞を贈っています。


  哲学者でもあったセネカ。一応はローマ帝国時代に盛んであった「ストア派」の哲学者という分類をされていますが、この哲学者の魅力は、ソクラテス、プラトンと言った、どちらかと言えば観念的な思想を研究する哲学とは違って、むしろ、東洋思想である「論語」などの儒教に近い、「人生哲学」といった方が似つかわしいい哲学を語っているのが魅力的だと思います。そして、彼は自分が生きてきた経験・人生で学んだことを素材にして友人や後輩、そしてわが子を失った女性に、共感し、そして前向きに、強く生きなさい、と励まします。そしてその姿勢が彼の書き残した文章の一字一句からひしひしと伝わってきます。それらは形式的にはそういった人々へ送った手紙という体裁をとっているのですが(その手紙はいつか公開されることを想定していたのでしょう)実はそれらの内容は、一般的な人々(当然、後世を生きる現代人)をも想定して書かれているようで、その内容はとても普遍的で、深いものがあります。


  もう一つ付言するとすれば、本書の魅力は中野さんがセネカの真意をストレートに理解している(二人の波長が完全にシンクロしている)そのコラボレーションにあると思います。まさに遥か二千年前の西洋に生きたローマ人・セネカと現代の日本に生きた中野さん、この二人の時空を超えた幸福な出会い(結びつき)が本書を好感のもてる素晴らしい作品にいしているのだと思いました。すっと見つからなかった探しものを見つけたような、そんな嬉しい気分にさせてくれた本でした。

レトリック:言い回しを工夫することによっての相手の感情に訴えかける方法。古代ギリシアで発達した「弁論術」「修辞法」。