セネカ現代人への手紙
中野 孝次さんがセネカについて書いた著書は、前回紹介した「ローマの哲人 セネカの言葉」の他、もう一冊あります。それが今回紹介する「セネカ 現代人への手紙」です。中野さんは「ローマの哲人、、」を書いた後、ページ数の制約から前作で伝えきれなかったことや、特に前作では短い引用にとどまった、セネカの「ルキリウスへの手紙」についてさらに多くを伝えたい、という強い思いからこの作品を書きました。
「ルキリウスへの手紙」というのは、セネカが親友ルキリウスへ宛てたとされる全二巻(約1,500ページ)にも及ぶ書簡集です。ルキリウスという人は、セネカが書簡をやり取りしていた当時、シチリア島で属州監督・行政長官を務めていた人で、卓越した業務能力で、多くの人から出世すると見込まれ多忙な毎日を送っていたようです。このルキリウスが「閑暇を得て哲学に専念したい」という意向を手紙に書いたことで、セネカが彼に「一刻も早く哲学に専念せよ。」と促すのが全体の基調となっていて、その中にルキリウスが持つ仕事上の悩みに対するセネカのアドバイス、そしてセネカ自身の生き方哲学や思想などが語られる、という構成になっています。
今回も前作同様、哲学者・セネカと識者・中野さんの間に思想・精神的な共鳴が成り立っていて、セネカの言葉を中野さんのより深い理解で読者へ伝えることに成功していて、本書の至る所に感心させられる箴言が散りばめられています。
例えば、「若き日の勉学について」。彼はルキリウスに次のような言葉で哲学勉強を励まします。「知識は豆粒でも拾うようにばらばら拾い集めるのもよくなく、勢いこんでいきなり全体に襲いかかるのもよくない。歩一歩部分を踏んでこそ全体に近づける。重荷は自分の力量に合わせなければならず、自分の荷いうる以上を負うべきではない。君が掴みうるだけの量を、自分に負わせるがいい。とにかく元気にとりかかれ! そうすれば君は君が望むだけを掴みとれるだろう。精神は掴んだ量が多くなればなるほど、掴みとる能力が増してくる。」 とか「教える者も学ぶ者も同じ目標を持たなければならない。前者は進歩させるために。後者は進歩するために。」 などなど。。
私的に感心されられたのは、運命(の神様)からの贈り物(つまり、毎日の生活の中で体験する例えば、物を安く買った、ものを無くした、事故に遭った、投資で儲けた、、などちょっとした運命の差配)に対する感激や失望について。 セネカはこの章において、毎日生きていて出くわすちょとした運不運にいちいち感動や幻滅せず、自分を見失わないことの大切さを語っています。。「運命の差配で転がり込むちょっとした運、不運を必要以上に喜んだり、または嘆くのはやめよう。運命(の女神)は、良いことや悪いことをあなたに差配したその翌日には、それと逆の思いであなたに倍返しする気まぐれを持っているから。。」
それから「人生における幸せとは。。?」 セネカは、幸せとは、運命(の女神)から与えられたものの量の多さや、境遇の良さに満足することではない。本当の幸福とは、あなた自身が、運命に頼らないで見つけ出し、築き上げたもの(価値観や人間関係)、そして、その充足感のなかにこそあるもの、と言います。 セネカという人は、暴君でもあったネロが幼少時に、彼の母親に見込まれて、ネロの家庭教師、そして、彼が皇帝になってからは、彼のブレーンとして働き、一時はローマでも有数の資産家になった人です。それだけに政界のライバルたちとの熾烈な競争や、同僚たちからの羨望や嫉妬、そして取り巻き連中からの追従など、人間のさまざまな良い面、悪い面をいろいろ見てきた人です。(そして、その後の政界引退、哲学に打ち込む閑暇生活、そしてネロからの強制自殺命令。。。) そういった人生を送った人だけに話す内容の重みが違うと感じました。
あと、私的にちょっと嬉しかったのは、16Cのフランスに生きたモンティーニュ(*1)が彼自身の作品の中で、たびたびセネカの言葉を引用していることを、中野さんが指摘していることでした。前にモンティーニュの作品をこのブログでも紹介したことがあるのですが、この、モンティーニュもセネカ同様、人類の知恵の結晶と言っていいような作品を残した賢者です。このモンティーニュも、西暦1Cという自分の遥か以前の時代を生きたこの哲学者の言葉に感動したという事実に、自分も一瞬時を超えて彼らと波長がつながったような感覚をおぼえました。「プルタコス(*2)とセネカ、彼らの教えは哲学の昇華であり、表現は単純、適切である。(略)セネカはより多様と変化に富んでいる。セネカは警句と名言に満ちており、プルタコスは事実に満ちている。前者は人を刺激し、感奮させる。後者はそれ以上に人を満足させ、よりよき報いを与える。プルタコスはわれわれを導き、セネカはわれわれを駆り立てる。」(モンティーニュ『エセー』第二巻第十章)
それから余談ですが、セネカはあの映画「グラディエーター」などで有名なローマのコロシアム(闘技場)の近くに住んでいたこともあったそうで、文中に、今日もコロシアムで剣闘士の試合がありで、愚かな観衆の声がうるさい、という記述がありました。賢人セネカも普通の人と同じような愚痴(?不平)を語っているのがちょっと微笑ましいですね。
(*1)モンティーニュ:16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者(モラリスト、懐疑論者、人文主義者)。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、ヨーロッパの各国に影響を与えた。
(*2)プルタルコス(またはプルターク)(46年頃 - 119年以降)は、帝政ローマのギリシア人著述家。著作に『対比列伝』(英雄伝)などがある。(以上、Wikipedia)
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