イスラーム文化 その根柢にあるもの
今回紹介する「イスラーム文化 その根柢にあるもの」は、日本における唯一無二の思想家、井筒 俊彦さんが、1981年に国際文化教育交流財団主催で行ったイスラーム文化の特徴についての講演内容を、再編集・再構成したものです。
現在、イスラーム教を信奉する人々は世界に約16億、と言われます。世界地図を見ても、地中海の南側諸国や東部の国・地域を中心に世界中至るところにイスラーム信者が住んでいます。アジアに限ってみても、インドネシア、マレーシアなど日本と交流のある国々にも大勢います。
一方の少子高齢化が進む日本。これからの国内市場だけでは、これまでの国の経済・財政規模を支えられなくなっている中で、世界の市場を目指さなければなりませんが、例えば今後の成長が期待されるインバウンド需要においても、また、海外市場を相手にする貿易の拡大を期待するにしても、世界中で16億というイスラーム市場へ日本人が進出することは必須になると思います。それに伴い、彼らの文化・思想理解もこれまで以上に必要になるのだと思います。
もう何十年も前この本を著した井筒さん。彼は本書の始めで次のように語っています。「人類全体が現在、地球的規模で統一化の道を進みつつあることは誰の目にも明らか。自然科学とテクノロジーの進歩は全世界を科学文明の潮流に巻き込み、地球上のあらゆる民族、すべての人がその波に乗って驀進していくのが現状。各民族や国民が完全に孤立・自立し、存在する時代は終わり、現在ではすべてが有機的かつ密接につながり、相互依存関係の統一体を形成してる。現に、アラブ世界の動向もそのまま直接我々自身の生活に響いてくる。」と当時の中東戦争が引き金となったオイル・ショックについて言及しています。
そして、彼はカール・ポッパーの「文化的枠組」の対立やトーマス・クーンを引用しさらに、言葉を続けます。「異文化の衝突は避けられない。それは人間存在を深刻な危機に引きずり込むが、その緊張状態から新しい文化価値を創造した例もある。この文化価値体系の激突によって引き起こされる文化的危機。その緊迫感と対立の中でお互いは、初めて己を相手方の視点から批判的に見ることを学ぶのである。そこに思いもかけなかったような視座が生まれ、新しい知的地平の展望が開ける。それによって自己と相手を超え、さらに高い次元に超出することが可能になってくるのである。このような視点から我々は、改めてイスラーム文化との新しい出会いの場を考えていかなければならない。」
今でこそ盛んに「グローバリズム」が謳われていますが、今から50年も前にグローバリズムの本質を語っている井筒さんの慧眼には頭が下がる思いです。井筒さんは思想家であるとともに日本を代表するような教養人、そして国際人であったのだと感じます。。。
しかし、一口にイスラームといってもスンニ派とかシーア派を始めとするたくさんの学派、信奉する国々の多さ、、そして、一日に複数回行う礼拝や断食、コーランなどなど、、日本人にはなじみない宗教組織、習慣や思想が一体となり、学ぶにしてもどこから手を付けていいのかよくわからない、というのが私にとって本音でした。やはり、イスラーム文化をちゃんと理解しようとすれば、やはりその歴史や文化をコンパクトに、要領よくまとめている教科書的なものが必要だと思います。そう思っていたところに出会ったのが井筒さんの書籍でした。(余談ですが、本との出会いというのは不思議なもので、自分がなんとなく(でもあきらめずにづっと探していると、どこかの時点で、「自分はこれを探していたんだ!」と思える書籍に出会えるものです。正に井筒さんの著作物は自分が探していたイスラームのガイドブックと言えるものでした。丹羽宇一郎さんが自身の本で書いてましたが、まさに「セレンディピティ」、、ですね。)
さて、「イスラーム」と単に言ってもその宗教を信奉する地域・範囲は非常に広く、歴史もある多様性のある国々を「イスラーム」という一つの宗教でまとめているのは、聖典である「コーラン」、そして第二次的な聖典ともいえる「ハーディス」(*1)です。彼らイスラーム教徒は、自分たちは開祖・ムハンマドが体現した思想という強い絆で一つにまとまった共同体であることを認識しています。しかし「一つにまとまった」とは言っても、イスラームという宗教に存在する多様性や多層性、例えば、アラブ代表のスンニー派(*2)とイランの代表するシーア派(*3)などなどの学派・派閥は、このコーランやハーディスの解釈の違いから発出しているのです。まず我々が理解しなければならないのは、イスラーム文化は『コーラン』のテクスト解釈と切っても切れない縁で結ばれている、ということ。イスラーム教徒が歴史的に「コーラン」の文章や語句をどんな次元で、どんな分野で、どのように解釈したか、そしてそれをどんな形で実践に移し、制度化していったのか、さまざまな学派が歴史的に激しい対立を繰り広げてきたその過程こそがイスラーム文化の形成史なのです。
井筒さんは、この多層的・多様的イスラーム文化を把握するために大切な学派をそのコーラン解釈の違いにより、代表的学派を大きく三つ取り上げ、その特徴を解説しています。その一つ目は「シャーリア(*5)や宗教法に全面的に依拠するスンニー派の共同体イスラーム」です。 1939年、当時のエジプトのアズハル大学の総長が、イスラームの政治問題に関する演説の中でこう断言しました。「キリスト教の金科玉条とする『神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ』(*4)という原則は、イスラームでは、まったくのナンセンスだ」と。これは換言すると、「イスラームでは、政治と宗教を区別しない」ということです。
このアズハル大学の総長の言葉が示す通り、イスラームは政教不可分。イスラームの思想は、イスラームを信奉する国々で社会的・政治的に組織化・制度化されています。イスラーム教以前では、例えばアラブ世界では部族間、血縁関係が社会の生活単位であったのですが、イスラーム思想が浸透してからは、イスラーム法という法規の上に社会が成り立っていきます。このような共同体の宗教となりイスラーム法という形に固定されるに至ったイスラーム学派が井筒さんが最初に挙げる「スンニー派の共同体イスラーム」です。しかし、外面的には、実にがっしりした文化構造体である一方、宗教が社会制度化し、政治の場となっため、信仰のなみずみずしさが失われ形骸化している側面もあるようです。
二つ目のグループは、「指導者(イマーム(*6))によって解釈され、イマームによって体現された形での真理/ハキーカ(*7)に基くシーア(派)的イスラーム」です。スンニー派が共同体的な社会制度を発展させつつあったちょうどその頃、全く逆の方向に向かってイスラーム思想を深化(内面世界を発展・深化)する立場が形成・強化されていきます。スンニー派の動きが社会の法律や規範を形成していく、いわば外面的・表層的共同体的主義であったのに対し、こちらの学派は、内面世界の深層(真相)を非合理的直観や霊感によって探っていく主義を形成します。 この学派はやがてシーア派と呼ばれます。このシーア派における指導者はイマームと呼ばれ、神秘的霊感を持ち神の啓示の内的・精神的意味を体認した最高権威者です。このイマームの指導の下に彼らシーア派はムハンマドの外的啓示は終わっているが、内的啓示はいまだに続いていると信じます。そして前述したスンニー派(体制派)とシーア派(反体制派)は歴史上、互いに反発し合い、陰惨な対立をもたらしながら、イスラーム文化という、外面と内面、精緻を極めた形式と深い形而上的霊感が一体となったダイナミックな文化構造体を作り出していったのです。
このイスラームの内的世界を深化させている学派には、シーア派の他、もう一派が存在します。彼らは「イスラーム神秘主義者」(スーフィズム)と呼ばれ、 ワリーと呼ばれる宇宙の内的真理・秘儀・存在通じ神と一体化する力を持つ人々を指導者とします。彼らは徹底的に現世否定主義で、禁欲的です。苦行道を実践し、現世への執着を一切断ち、現世的なすべてを罪障の源泉として否定します。彼らにとって「現世ははじめから悪なのであり、神の意志が実現されるべき場所ではない。」のであり、それ故、現世を良くしていこうなどとは一切考えません。このような現世否定において彼らは「人間存在こそ苦しみの根源であり、悪なのだ。」とみなします。
ここから彼らは、一歩進んで、自我の意識こそ神に対する人間の最大の悪だと考え、内面における自我意識を払拭していくのですが、この精神修行が深化すると、これまでの自己否定から一転し積極的な意識転換を迎えます。つまり意識の虚無化の底で、神の存在を確認するのです。コーランやハーディズの教義を深読みし、内面世界を突き詰め、極めていく、、このスーフィズム。井筒さんは「これまでに純化されたイスラームは、イスラーム自身の歴史的形態の否定スレスレのことろまで来ている。あるいは、イスラームの歴史的形態の否定そのものであるといった方が真実に近いのかもしれない。」と語っています。
以上、この3つの学派・派閥はそれぞれが自分達こそ真のイスラームの代表者であることを自認していますが、この相対・対立するエネルギーの緊張感、ダイナミズム、イスラームにおける解釈の幅の深さ、広さこそがイスラーム文化の本質と考えるべきである、というのが井筒さんの主張です。
最初の井筒さんの言葉は、つまり「異文化同士は接触過程で最初の衝突を迎し、やがて相手を理解し始めると、相手の視点から自分たちを見る視座を獲得し、自分を批判的に見る、つまり自分たちの文化・思想を内省することが可能となる。」ということだと思います。イスラーム文化に無知だとどうしても、それと対立する西洋諸国的観点から彼らを理解することになり、それは、彼らを批判的に見ることつながりますが、一旦彼らの視点から世界を見始めると、やはり井筒さんの言う通り、彼らに同情すべき点も多いことがわかります。卑近な例では、パレスチナ問題。中東戦争もやはりパレスチナ問題が相当絡んでいましたが、あれだって、パレスチナ側にしてみれば、自分たちの権益を守るために石油を戦略に使わざるを得なかった側面がある、、というか、あれは彼らの視座で思考すれば、当然の手段であったと思ます。
異文化を理解する第一歩は彼らを批判的に見ることだと思います。しかし、井筒さんの言う通り、その第一歩で終わらせてはいけないと思いました。
(*1)ハーディス:預言者ムハンマドの言行録。
(*2)スンニー派:イスラーム教 において圧倒的多数を占める宗派。ハンバリー派、マーリキー派、ハナフィー派、そしてシャーフィイー派、これら四つの学派からなる。
(*3)シーア派:イスラーム教の二大宗派の一つで、2番目の勢力を持つ。もう一方は最大勢力であるスンニー派である。
(*4)『神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ』:(*)新約聖書に記載されているイエスの言葉。この意味は、「崇拝は人間が受けるべきものではなく神が受けるべきものですから神に対して行いなさい、しかし税金は政府が国民の益の為に運用する目的で使用される当然受けるべきものなので、しかるべき国に支払いなさい…」ということだとネットにでていましたが、ここでは、宗教と世俗の生活(つまり、行政や法律)は区別しなさい、という意味で伝えていると思います。
(*5)シャリーア :イスラーム教 の経典 コーラン と 預言者 ムハンマド の言行(スンナ)を 法源 とする 法律。 ムスリム が多数を占める地域・ イスラム世界 で現行している。
(*6)イマーム:アラビア語で「指導者」「模範となるべきもの」を意味する語で、イスラームの「指導者」を指す尊称。
(*7)ハキーカ:イスラームにおける真理
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