原典 ユダの福音書

  みなさんご存じの通り、聖書には、旧約聖書と新約聖書があります。旧約聖書はユダヤ教の聖典、一方の新約聖書はキリスト教の聖典です。そして聖書(新約聖書)というのは、一つの文書で成り立っているのではなく、いくつかの文章から成り立っています。そしてその一つが「福音書」と呼ばれるもので、その内容はイエスの言行録です。この福音書は現在「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の4つが残っています。しかし、当時の初期キリスト教に関する文献をあたると実は上記4っ以外にも複数の福音書が存在していたことが記録されています。今回紹介する「原典 ユダの福音書」は、その上記の普及版以外の福音書が1970年代に発見され、それが出版された経緯を紹介している本です。そしてびっくりするのは、このタイトルが示すように、その福音書はなんと、イエスの弟子の中で一番の嫌われ者(といって差し支えないと思います。)のユダとイエスについて書かれた福音書なのです。

  

  この「ユダの福音書」が発見されたのは1970年代。この福音書の発見過程はナショナルジオグラフィック社(*1)から別の書籍になっているので、詳しくは省略しますが、簡単に説明すると、その発見された福音書の写本に使われているパピルス紙の解析が進み、その写本が実は『ユダの福音書』のコプト語(*2)写本断片であると分かり、同社から現代語訳が刊行された、というのが経緯になっています。


1978 エジプト中部のある洞窟にて盗掘者がある写本を発見。詳細な場所は不明。

1980 カイロの古美術商ハンナ(仮名)に売却。のち、盗難に遭う。

1982 ハンナがスイスのジュネーヴにて写本を取り戻す。

1983 ハンナは3人の大学研究者に対し300万ドルで購入するよう交渉、決裂する。その3人の中にスティーブン・エメル(ドイツミュンスター大学古代パピルス文書研究者)がいた。

1984 ハンナ、ニューヨークシティバンク貸金庫に写本を16年間保管する(かなり劣化)。

その後、スイスにある団体が所有権を得る。


  まず、キリスト教信者でもない自分がこの本をどこまで解説できるかわかりませんが、まず、この福音書(わずか70ページにも満たない内容)に書かれたイエスですが、彼は、(従来の普及版の福音書に記述されたような神の子として現世に生を受けた人間ではなく)、天上界の一種の聖なる精神世界から現世へやってきて、弟子の一人であるユダに天上界の知恵を授け、彼はそのユダの手助けにより天上界へ帰っていく、というストーリーになっています。そして、この福音書におけるイエスとユダの会話のやり取りがなんともみじみずしいと感じました。


  では、イエスが天上界へ帰還するため、ユダはどのようにイエスを手助けしたのでしょうか。イエスは前述したように、天上界から来た精神的存在です。ですから彼は天上へ帰るためには、自分の肉体を消滅させなければならないのです。(つまり、死ぬことにより、魂が肉体という錘(おもり)を外されることで天上界へ帰ることができるのです。)イエスはこのつらい役をユダへ頼みます。なぜなら、師であるイエスを抹殺することになる裏切り行為とも見えるこの役目を弟子たちが引き受けようとしないことはイエスにはわかっていたからです。そこで、イエスは弟子の中の知恵者(天上界のことを理解する者)であるユダにその役を頼みます。ユダは申し出を承諾、ローマの官憲にイエスを売り渡します。その結果、イエスは処刑される(そして、イエスは天井界へ帰還する)ことは皆さんご存じの通りです。


  この「ユダの福音書」を信奉していた初期キリスト教の一派はグノーシスと呼ばれる学派で、「グノーシス」というのはギリシャ語の女性名詞で「知識」「認識」を意味しますがが、彼らの意図する知識とは、「天上界の秘密」に関する知識のことです。(クリスチャンでない自分が言うのも勝手だと思いますが)私的にはキリストが地上界に属する人間でなく、天上界の精神世界から地上にきてユダなどの知識者に知恵を授けてまた天界へ帰っていくキリストの方が、お話的にすっきりする感じがしました。 どの宗教団体(政治団体)でも同じだと思いますが、宗教団体の歴史というのは、いわゆる正統派(といわれる)学派と、異端学派との抗争の歴史です。そして、正統派は異端派と名指しした派閥との抗争に勝ち続けたからこそ自らを「正統派」と呼ぶのです。


  一般的な新約聖書では、イエスはユダが彼を裏切る前に、「お前はなすべきことをせよ。」と告げます。この「成すべきこと」の意味が、このユダ・バージョンだとすっきり入ってくると思います。そして、実はイエスの秘密を誰よりも知っていて、理解しているからこそユダは「裏切った」。そして、(弟子の誰もが知り得ない師・イエスの真義・知恵をイエスと共有したという至福を勝ち取った代償として)ユダは地上において、裏切り者の烙印を押されて生きていくことを受け入れる。。。


  善と悪がはっきりしない現代、情報が錯綜し真義・真理が見えにくい現代、多様化している現代、、こうした複雑な世の中において、このユダというキャラクターは、作家や映画監督など創作活動をするクリエイターたちにとっては、悪と善がはっきりしない、陽にも陰にもなり得る、しかし、真実を知るキャラクターとして実に興味深く、描きたくなる人物だと思いました。

(*1)ナショナル ジオグラフィック協会(National Geographic Society、NGS)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.に本部を置く、世界最大級の非営利科学・教育団体。地理学の普及を目指し1888年1月13日に設立。協会のメディア部門は、機関誌『ナショナル ジオグラフィック』を発行。

(*2)コプト語:4世紀以降のエジプト語。この時期のエジプト語は東ローマ帝国の公用語であるギリシア語の影響を強く受けているため、それ以前のエジプト語と区別している。(以上、Wikipedia)