ハイファに戻って/太陽の男たち

    小説という文学形式は、学術書や解説書と違い、登場人物たちの考えや心理、まわりの状況が感覚的(直観的)に理解できるところが優れていると思います。今回紹介するのはパレスチナ難民を描いた「ハイファに戻って/太陽の男たち」。普段はどちらかと言うと、小説を読む機会は少ないのですが、今回は以前読了した「パレスチナ」の著者である広河 隆一 さんがその中で上げていた小説であり、また著者が中東を代表する著者(ガッサーン・カナファーニーさん)であるのも手伝い読んでみました。


  本書には、パレスチナの難民たちが登場します。そして、小説では直接には語られることはないのですが、彼らの背後には彼らが抱えている独自の世界観(もっと正確に言うと、かつて彼らが属し、しかし今では崩壊してしまった社会の残滓観)、そして喪失感、無気力感、絶望感があります。そういった彼らの背後にある心情や彼らを取り巻く環境や心象風景などが、登場人物のセリフや作者の語り言葉から感覚的に伝わってきてきますが、それは私がこれまでに読んだパレスチナ問題に関する書籍よりも、日常生活で空気を吸うような肌感覚で感じ取ることができました。確かにストーリーの進め方や登場人物たちの語り言葉、彼らを取り巻く状況の説明など、それぞれがとても練られていて、しっかり構成されていて作者の非凡な才能がわかります。


  この小説には、カナファーニーさんの代表作「太陽の男たち」「ファイファに戻って」他、彼の短編5本が収録されていまが、そのどれもが、パススチナやその周辺地域に住む難民たち(我々日本人のような「国家」や「社会制度」「社会保障」といったごくあたりまえの国民が担保されている「安全装置」を持たない、社会文明の残骸に取り残された人々)が巻き込まれた歴史的事件や毎日の日常生活を題材にしています。


  まず「太陽の男たち」。この作品は、イスラエルの建国がきっかけで、故郷を追い出され、現在ではヨルダンで難民として生きる3人のパレスチナ人が、閉塞的で希望のない毎日の生活から逃れるため、仕事を探しにクウェートへ密入国しようとする話です。 その3人の1人が中年男のアブー・カイース。彼は妻と子供のために仕事を探す毎日ですが、難民の身の上では、仕事を見つけるのは容易ではありません。彼はクウェートへ行った友人が現地で仕事を見つることができた、という噂を聞きます。今の生活から脱出するため、彼はクウェートへの密入国斡旋ブローカー、アブー・ハイズラーンのもとを訪れます。カイースと同様に、過去に抵抗運動で逮捕された経験のある青年アスアド、そして、父親が金持ち娘と再婚したため、残った家族を面倒みなけれなばらなくなった青年マルワーンもクウェート行きを夢みてハイズラーンのもとへやってきます。彼ら三人は所持している金を投げうって、このブローカーへクウェートの密入国を依頼することに決めます。


  一方の密入国請負人のハイズラーン。彼は3人に自分は外国人(英国人)の雇い主が所有する車の専属ドライバーであること、そして彼の所有する給水車を使って、3人のクウェート国境超えを行うという計画を話します。彼の計画によると、検問所を通る間3人はなんと、その給水車の空のタンクに隠れてなければなりません。ただでさえ灼熱の太陽がさす砂漠地帯。隠れている間が短い間とはいえ、タンク内は想像できないような湿気と暑さの地獄です。さらにハイズラーンの話を聞くうちに、彼にとってこの密入国請負業は主人の車をちょっとの間失敬して行う小遣い稼ぎ程度の片手間仕事でしかないことがわかります。しかしこの期に及んで後戻りできない3人は、このブローカーの計画に自らの運命を賭ける決心をします。

  

  彼らはタンクが空の給水車に乗り込み一路ヨルダン国境を目指します。彼らの行く道の周辺は砂漠が広がるだけ。そこにはところどころ白骨化した人骨も見えます。それらはかつては、彼ら同様不法に国境を越えようとした人たちだったのかもしれません。検問所が近づきますがその周辺には不法難民が隠れるところはありません。意を決してブローカーの言う通り給水車のタンクの中に身を隠す3人。当然給水車のタンク内の気温は外よりも熱いため生きた人間がタンク内に留まれる時間は最長で7分間。ブローカーは3人にその時間だけタンク内に留まるよう指示します。予定通り国境警備所で書類記入など出国手続きを済ませた彼はさっさと給水車に乗り込み、ハンドルを握り警備所から見えないところまでくると、車を止め3人をタンクから出します。タンク内に付着した赤さびで体が真っ赤に染まった男たち。タンク内の想像を超える熱気のためぐったりしています。なんとか第一関門を突破した一行は、一路クウェート国境を目指します。国境にある検問所に近づき、3人に再びタンク内へ隠れるよう指示するブローカー。彼の腕時計は、十一時半を指しています。

   

  限られた時間の中で冷静に行動しようと国境警備所へ入る密入国請負人。しかし、ここで思わぬハプニングが起こります。いつもこの国境を通る時にいるはずの顔見知りの警備官が不在で、代わりに彼を良く思っていない警備官が彼の入国書類のチェックに対応します。この係官、ハイズラーンは特別な用事もないくせに賭け事や女性遊びでクウェートへ行き来していると思いこんでいるため、つまらない下ネタジョークの突っ込みを入れてきます。内心では一刻も早く車に戻り3人を外へ出したいブローカーですが、ここで、この係官に不法移民幇助がバレてしまうと自分の立場が危うくなるので、なんとか軽く受け流しながします。しかし、その間にも貴重な時間は過ぎていきます。。なんとか出国手続きを終え、慌てて車に戻りエンジンをかけ、汗で濡れている両手でハンドルを握り、近くの曲がり角まで車を運転します。給水孔の熱く重い蓋を必死に開けようとする彼の腕時計の針はすで十二時九分前を指しています。約束の7分をとっくに過ぎたタンク内にいる男たちは。。。


  それぞれ今置かれた状況は違うにしても、絶望的で、閉塞的な難民という点で彼らの立場は共通です。生まれ故郷を追われた行きついた先で必死に、これからの人生の希望を見出そうとしますが、邪魔者扱いされ、わずかな援助物資で糊口をしのがなければいけない生活を送っている点も同じ。そして、その境遇から逃れようと必死にもがく3人。ですが、彼らの先にまっているのは一体、何だったのでしょう。。。


  この「太陽の男たち」の他、「ハイファに戻って」という作品も、痛切な物語です。もし、あなたの生まれ育った故郷(祖国)に突然、他民族の軍隊が侵入してきて、パニック状態の町から命からがらなんとか脱出に成功しますが、その混乱で幼い子供とは生き別れたままとなって、そして祖国故郷へ何十年ぶりに帰ってきたと想像してみて下さい。侵入軍から逃げるため、やむなく捨て去った我が家が今も建っています。昔の我が家に入ってみると、そこにはすでに見ず知らずの入居者(外国人)が居座って(生活している)います。そして、もし、当時生き別れになった我が子を、この住居人が自分の子として育てていて、しかも、十数年ぶりに再会をできたその息子が、今では当時故郷へ侵入してきた軍隊に入隊していて、自分たちの(かつての)祖国と対立する兵士になっていたとしたら、、

 

  この小説の中には、難民となった家族・親族との共同生活を描いた短編(「戦闘の時」)もあります。一人の少年が主人公。この少年は難民キャンプの一つ屋根の下で合計18人の家族・親族と住んでいます。彼はある日、街の街頭に立つ警官の足元に5リラ紙幣が落ちているのを見つけます。この紙幣欲しさに、彼は警官を突き飛ばし足元の紙幣を奪いそのまま逃走。警官に捕まらずなんとか無事に肉親たちと生活するキャンプに帰ってきます。彼はつい彼等肉親たちの前で紙幣の拾得を自慢します。しかし、このちょっとした幸運で得た「戦利品」の話を聞いた家族や肉親の態度はどことなくよそよそしい冷たいものに変わってしまいます。実は、少年の祖父や兄弟、義理兄、、彼等全員は、この少年が見つけてきた戦利品欲しさに、どうやって少年から奪い自分のものにしようか、、と虎視眈々と狙っているのです。一方、家族・肉親の言葉遣いや言動で彼らの心の内を感じ取った少年は、今度はその戦利品を彼らから奪われないように警戒しはじめるのです。


       難民があふれる街では、兵士や警官が常に反乱組織の活動を監視しています。当然ですがこれといった経済活動もなく、難民キャンプの人々は毎日、小遣い稼ぎ程度の職を見つけたり、外国からの援助物資でなんとか食いつなぐような生活を余儀なくされています。兵士が街中で常に警備しているというような非常態勢下では、街中で拾ったわずかの日常品、食料品程度のものも彼ら難民にとっては「戦利品」なのです。一つの屋根に暮らす親族どうしとはいえ、「戦利品」をめぐってそれを守る者と、それを強奪しようとする者に分かれてしまう弱肉強食の世界のような人間関係。本来思いやりを持ちあうはずの肉親同士の共同生活ですが、実際には身内同士の関係にも非情な現実が存在し、そして、人間はおかれた環境により本来のあるべき人間関係を捨て、簡単に動物のような弱肉個食の関係を選択してしまう、そのあやうさをこの作品は描きます。


  我々日本人が生まれてからあたりまえのように享受している、国民を保護する「国家」や「国境」。利便性を極めた都会生活。味覚を満足させる美味な飲食、公共性に優れた社会インフラ。個人や法人の権利を守る法規体系、社会保障、ちょっとした時間の退屈を紛らわせるネットやメディアの情報洪水、、、こういった日常的に取り巻く文明生活から全く離れた生活が現実に今でも存在する、という事実が皮膚感覚で伝わってきて言葉もありません、、、(もちろん、第二次大戦後、中国大陸に渡った日本人が向こうでつくった家族と生き別れたりとか、終戦後の混乱期のさまざまな話が伝えられていますが、同じような混乱が今でも存在していることや、ベトナム戦争はじめ苦い戦争体験をしてきたアメリカなどの先進国がその事実を容認していることもとても残念です。。)


  この小説に収められている作品のそのどれもが、難民が生活する世界観、絶望、痛み・現実を見事に表現していると思います。同じ地球の同じ時代を生きている我々ですが、ひとたび国境を超えると、そこには我の常識を打ち破るような厳しく、悲惨な現実が存在するということを否応なく納得させられる作品ばかりです。

  では、最後に本作品の作者であるカナファーニーさんについて Wikipediaから抜粋します。

 「ガッサーン・ファイーズ・カナファーニーは1936年、イギリス委任統治下パレスチナのアッカ(現イスラエル領)で、スンナ派ムスリムの両親のもとに生まれる。弁護士だった父により、フランス系のミッション・スクールに入学。しかし1948年、武装ユダヤ人によるデイル・ヤーシーン村虐殺事件が発生。その後の余波により、一家はシリアのザバダーニへ避難。その後、一家でダマスカスに移り、そこでパレスチナ難民として生活。家計は厳しく、ガッサーンも夜学に通いながら日中は稼ぎに出る生活を送る。

 1952年、中等教育を終えるとともに、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)から教職の資格を得、同年ダマスカス大学のアラビア語学科に入学する。しかし翌1953年に  ジョージ・ハバシュの紹介で左派系汎アラブ主義団体であるHarakat al-Qawmiyyin al-Arab(アラブ人の民族運動-en:Arab Nationalist Movement (ANM)) )に参加し、その事が原因で1955年に退学となった。

    1955年、UNRWAが運営する学校で教員となる。翌年には姉が住むクウェートに移り、教職に就く。その経験は、短編小説「路傍の菓子パン」(『ハイファに戻って/太陽の男たち』所収。)に活かされている。その一方で政治活動にも力を注ぎ、ANMの機関紙「al-Ra'i」の編集を担当する。この時期より糖尿病の症状が現れ、生涯インシュリン注射が欠かせなくなった。 1960年、レバノンのベイルートへ移りいくつかの機関誌の編集を務める。1967年パレスチナ解放人民戦線 (PFLP) が設立されると、そのスポークスマンに就任。1969年、PFLPの週刊誌アル・ハダフ(英語版)の主幹として編集にも携わり、エッセイと論説を書く。

 カナファーニーは、現代アラビア語文学の主要な作家の一人であり、代表的なパレスチナ文学の作家としても認知されている。パレスチナ解放闘争という、故郷と自身の自由の追求という苦闘の中で生まれた彼の作品は、主としてパレスチナの解放闘争を主題とし、しばしばパレスチナ難民としての自身の経験にも触れたものとなっている。彼の短編『太陽の男たち』(1968年)は、現代アラビア語文学の傑作の一つに数えられ、今日に至るまで非常に高い評価を得ている。1972年7月8日、カナファーニーはレバノンの首都ベイルートで姪とともに、自分の車に仕掛けられていた爆弾の爆発により暗殺された。」