新平家物語(一)~(四)

        文化勲章受章(1960年)作家・吉川英治さんによる平家・源氏の栄枯盛衰の物語です。日本の古典でわりと有名な平家物語。よく連続テレビドラマにもなりますが、個人的にはそのはじめから終わりまで一貫して見たこともなく、「壇ノ浦の戦い」とか、義経の「勧進帳」(歌舞伎)とかなんとなくその物語の一部分を限定的に認知しているだけだったので、いつか一貫してこの物語を読んでみたい、と思っていました。たまたま前回紹介した「私本太平記」が時代の群像小説として読みやすかったので、同じ作者である吉川さんの全16巻になるこの吉川英治版「平家物語」に挑戦しました。実は全巻読み終えてわかったのですが、この「新・平家物語」は、古典「平家物語」だけでなく「保元物語」「平治物語」「義経記」『源平盛衰記』「玉葉」「吾妻鑑」など「平家物語」の時代に生まれた他の古典もベースにして、平家の台頭からその栄華、そしてその中からやがて芽生えてくる源氏勢力の伸長、そしてついには平家と源氏の壇ノ浦での戦い、そして、その後の源義経の悲劇、頼朝率いる鎌倉・源氏勢力の衰退を予感させるところまで描いていきます。上野図書館の1/3の本を渉猟したと豪語する吉川さん。大衆によりそい、万人が共感・理解できる物語を模索した作家の意向が、単なる武家の勢力争いという内容を超え、2つの巨大な武家一族の勃興、栄華、驕り、そして衰退を繰り返す様相を共感を持って描き切ったところにこの大衆作家・吉川英治さんの面目躍如たるものがあるのでしょう。


  この物語は、平清盛の少年期から始まります(ちなみに彼が生まれたのは12世紀 /  1118年)。「朝令三百余年にわたり死刑が廃されていた。」という記述があるように、この頃は一見、天下泰平、しかし一方では、天皇家や公卿(藤原氏)中心(つまり一部の勢力だけが権力を維持する)政治を行っていたため、政治は廃退的でした。公卿たちは、武家を蔑(さげす)み、「地下人(ちげびと*)」と呼ばれる階級におしとどめ冷遇していました。伊勢平氏の棟梁である平忠盛一家は、由緒ある家系ですが家は貧乏。奥さんの祇園女御(ぎおんのにょうご)は、派手で消費好きの女性。実は彼女は白河法皇の寵愛を受けて懐妊し(その子が清盛)、その後、彼女は忠盛に下賜されて夫婦になった、といういきさつがあり互いの価値観も違うので、なんとなくぎこちない夫婦関係にあります。(このお話の中盤で栄華を極める平家一族の台頭ぶりをより際立たせるためか、吉川さんは、出世前の平家びとの毎日の生活の苦労話を丁寧に描写し、その中には、清盛が自分の出自に悩む姿や、親から頼まれいやいやながらも親戚へお金の無心へ行く、というような日常的な家族の複雑な面なども描かれます。


  そして時が流れ保元の乱(1156年)が起こります。「保元の乱」というのは、「皇位継承問題や摂関家の内戦により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれ、双方の衝突に至った政変で、崇徳上皇方が敗北し、上皇は讃岐に配流された。この朝廷の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。」という、武力により覇権を争う戦国時代への流れをつくるきっかけとなった日本史における重要な権力抗争です。(なんとなく後年の南北朝の争いを予感させます。)Wikipediaでは、「宮廷の対立が武力によって解決され、数百年ぶりに死刑が執行されたことは人々に衝撃を与え、実力で敵を倒す中世という時代の到来を示すものとなった。慈円は『愚管抄』においてこの乱が「武者の世」の始まりであり、歴史の転換点だったと論じている。」と紹介しています。この公卿の権力争いに加担した、平清盛と源 義朝(みなもと の よしとも)は共に戦功をあげ、勢力を伸ばします。


  さらに、その4年後の平安時代末期(1160年1月19日)には、「平治の乱(へいじのらん)」が起こります。これは、「保元の乱後、後白河上皇の近臣藤原通憲(信西)と平清盛が結んで、これと対立した藤原信頼・源義朝らと衝突し、清盛らが勝利し平氏一門が中央政界における武門として権勢をふるう結果となった権力争い」です。このように公卿の権力争いに加担し、「地の利、人の利、天の利」を得た平清盛は、権謀術数にたけた曲者の天皇や公卿たちとの駆け引きも上手にこなしていき、その時流に乗って平家は更に勢いを増ていきますが、それはやがて、「平家にあらずんば人にあらず」という平家の驕りを象徴する言葉を流布させることになるのです。


  そして、一方の平治の乱で敗者になった源氏勢力の中心人物である源義朝は、六条河原で処刑されますが、息子の頼朝は、彼を哀れに思った清盛の継母・池禅尼の嘆願でなんとか助命され、伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)で、流人生活を送ることになります。また、源義朝の九男で、頼朝とは異母兄弟である牛若丸(後の義経)は、母・常盤御前の手配により、大和国(奈良県)へ逃れることに成功します。


  信じられないことですが、このあと約20数年後には、源氏勢力により平家は滅亡します。作者、吉川さんは、後年の平家の滅亡の最大原因が、この頼朝を処刑しなかった清盛の甘さにある、と指摘しています。この物語の中で平清盛は、己の出自がみじめで少年期に人生のつらさを味わったことにより、ある意味同じような境遇に陥った頼朝を絶命しなかった(できなかった)のだろうと思います。さすがに為政者としての立場からは、確かに甘いのかもしれませんが、人の世には情けも必要です。また、歴史の中には為政者がルールをやぶったことで結果が良くなった、という例もいくらでもあります。また、後年に平家を破ることになる頼朝は、この時の清盛の自分への処置を反面教師として、自らは部下や敵対者には冷酷な処置を下していきますが、しかしその冷徹さのせいか、彼の作った鎌倉幕府も活力を失い官僚化していくようになります。


  歴史を振り返って、後からあの時こうしておけば、、ということはいくらでも言えることです。。そして、このような事例は、なにも歴史を読まなくても我々の日常生活にいくらでもあることです。このようないくら考えても決して正解や回答がでない人間行動や心理の中にこそ人間関係の奥深さがあるのだと思います。。

(*)地下人:日本 における 官人 の身分の一つである。 朝廷 に仕える廷臣のうち、 京都御所 の 清涼殿 殿上間に上がれる 堂上家 に対し、上がれない階位の者。

Hisanari Bunko

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