ユダヤ人の歴史(上)(下)
日本マクドナルド創業者・藤田 田(ふじた でん)さんが書いた本に「ユダヤの商法」というのがあります。藤田さんは戦後の混乱期が一息ついたころに大学を卒業し、その後、ふとしたきっかけからユダヤ人の人たちとのビジネスネットワークを広げ藤田商店を創業し、自ら「銀座のユダヤ人」と自称した大実業家です。この「ユダヤの商法」は藤田さんがユダヤ人の商魂のたくましさを見習い奮闘したエピソードを彼独自のユーモアな語り口で描いたもので、それなりに面白いのですが、この本の中に「ユダヤ人という人々は旧訳聖書によると紀元前5,000 年も前から自らの歴史の記述をもっている。」という一文があり、それが一番印象に残っています。
ユダヤ人といえば、以前、紹介した書籍に「ユダヤ古代誌」があります。著者はフラウィウス・ヨセフス(37年 - 100年頃)(*1)。知識人の家庭に育ち歴史的教養も豊富だった彼が紀元95年頃完成させた著作で、天地創造からのユダヤ人の歴史を詳述した大作です(Wikipedia)。(彼は、また西暦66年からのローマ帝国とユダヤ属州におけるユダヤ人との戦争(ユダヤ戦争)の実際の目撃者でもあり、その戦争の経緯・経過を「ユダヤ戦記」という作品に書き残しました。)
「ユダヤ古代誌」は「天地創造」つまり、旧約聖書を通して語られるユダヤ人の起源から丹念に書き綴ったもので、その記述は一般人(ユダヤ人以外の人々)にもわかるよう平易で、彼らの歴史の流れが要領よくかみ砕かれ描かれ、彼の博識が光る作品となっています。当然、当時の強国帝政ローマやその周辺国の人々にユダヤ人の歴史や民族の優秀性をアピールする目的もあり、「ユダヤ古代誌」を書き上げたのだと思いますが、特にすごいと感心したことがあります。それは、ユダヤ民族の出来事を紹介する時に、「この出来事は、xx 年の XX から何年目に起きたことである。」といった感じで、昔のある出来事が起こった年を語る(記憶、記録)するために、ユダヤ民族にとって意味のある出来事から年数を数えていくのです。それは(大げさに言えば)それだけユダヤの人々が自らの出自や民族にとって意味ある出来事(歴史)を民族の記憶として大切にしている、ということの証左であると思います。
例えば、ユダヤ古代誌3【旧約時代篇】の「ソロモンの神殿と王宮」の章の終わりに以下のような記述があります。「 [神殿建設着手の年について] ソロモンは、治世の第四年の第二月 ー マケドニア人はこの月をアルテミシオスと呼び、へブル人はイアルと呼んでいる ー に神殿建設を開始した。それはイスラエル人(びと)がエジプトを出発してから五九二年目、アブラハムがメソポタミアの地からカナンへ到着したときから一〇二〇年目、大洪水から一四四〇年目であった。また、最初の人間アダムが誕生してからソロモン神殿建設までに、三一〇二年の歳月が過ぎていた。」さらにソロモン神殿について、その神殿の基や高さについても言及し、「神殿は屋根の所まで白色石灰石でつくられ、高さ六〇ぺークス、長さも同じ六〇ペークス、幅二〇ペークスであった。同じ大きさの建造物が上につくられたために、神殿の高さは結局、一二〇ペークスになった。神殿は東向きであった。」(P31) おそらく「イスラエル人がエジプトを出発」したという記述はモーゼの「出エジプト」を指し、また「大洪水」とは「ノアの箱舟」のエピソードを指しているのだと思いますが、それらの出来事から何年目にソロモンが神殿建設を始めた、とその年月を正確に記述する(ということはそれらの出来事を子孫代々に伝える技術・能力があるからそれができる)ユダヤの人々の歴史の流れに対する意識(民族意識)の高さ・深さを端的に示すものだと思います。
このソロモン宮殿の他、「ユダヤ古代誌」には、旧約聖書で語られている出来事や指導者・モーゼがユダヤの人々をエジプトを出てから彼らが定住を決めた土地で約束事・制度を決め、法律を制定したこと、またソロモン、ダビデなどユダヤ人指導者が行った政策、ユダヤ教の儀式や司祭についての記述がいたるところに簡潔に、具体的に描かれています。
このような天地創造の頃からのユダヤ人の歴史を学べば、彼らが自らの起源の初めから神との約束を重んじ、その約束(契約)を精神的柱にして民族の文化やアイデンティティを形成していったということがわかります。換言すれば、それだけ自分たちの民族性に誇りを持ち、そして、その記録を家族代々子孫へ受け継いでいったのだと思います。このように創造主である神(ヤハウェ)との約束事とその遵守が次第に彼らの生活に浸透し選民主義・律法主義となって、彼らの社会・文化に深く根付いていきます。ユダヤ教の口伝律法や学者たちが積み重ねた議論は「タルムード」と呼ばれる議論集となり、ラビと呼ばれる指導者により語りつがれるようになります。神からの教えから教義・律法を発展・体系づけることにより彼らの思考の中には、社会の道徳・法律を守る厳格性とか、優れた論理性、自分たちの歴史を書き残す、といったことが習慣化していったのだと思います。また、ユダヤの伝統的儀式の一つに割礼(*2)があります。この文化に関してはヨーロッパのなかには嫌忌する人々もいますが、このユダヤ独特の儀式も男女婚姻関係を通じて、民族の(優れた)血(純潔)を守っていこうとする意識の中で独自に発展していったのでしょう。
少し前置きが長くなりましたが、今回紹介する「ユダヤ人の歴史」(上)(下)。著者はイギリスの歴史家・ポール・ジョンソンさん。イギリス人でありながら、ユダヤ人の立場を尊重し(そして、おそらくは敬意を払いながら)旧約聖書に語り継がれる天地創造からモーゼに率いられてイスラエル周辺への定住、ユダヤ教の始まり・発展、ソロモン・ダビデの王国建設、帝政ローマによる民族離散(ディアスポラ)(*3)、キリスト教徒との確執、そして中世。現代におけるロスチャイルド、アインシュタイン、スピノザ、カール・マルクスらユダヤ有名人の活躍、第一次世界大戦、第二次世界大戦を通してのドイツにおける迫害・虐殺、イスラエル建国までの過程、イスラエル建国後のイスラム近隣諸国との衝突、、までの長い歴史をとても要領よくうまくまとめています。(購入したにもかかわらず)この作品を読む前には(ユダヤ人ではない)イギリス人がユダヤの歴史を語ることに疑問も感じましたが、読むにつれて、時には批判されているユダヤ人の立場を擁護し、そして、ある程度の客観性を担保しつつ、公平かつ(肯定的に)ユダヤ人の歴史を記述した良書だと思います。
例えば、1948年に国連決議により建国されたイスラエルですが、1950年代から領土拡張を徹底して行っていきます。彼らの強引とも思える近隣周辺への植民政策はイスラム教周辺国との衝突・軋轢を生み、その結果として多数のパレスチナ難民を生むことになります。このようなイスラエル指導者のやり方は、(特に近年のガザへの強硬な軍事行動などもあり)国際的に批判されがちですが、著者のジョンソンさんは、パレスチナの土地にユダヤの人々が入植してからの、彼らに対峙するイスラム教諸国の指導者の対応にもそれなりのまずさがあったことを指摘しています。確かにイスラエル側から見れば、かれらは仮想敵国(イスラム教諸国)ですから、当然自分たちの生活・安全保障にも力を入れなければならないわけです。そこへ周辺国のイスラム指導者たちが「一切の交渉の余地なし」という態度で強引に戦争を仕掛けてきたら、イスラエル側も必死に対応せざるを得ない。。「イスラム社会というのは伝統的に交渉事は苦手で、すべてかゼロか、という妥協が成立しない文化も持ちあわせている」、ということをジョンソンさんは言及します。「イスラエル建国以後、まわりのイスラム教徒諸国との交渉において常にユダヤ人は現実的に対応していこうとしたのに対し、イスラム教国は常に交渉・妥協には応じず、失われた土地の100%奪取に固執するかたくな姿勢であった」と。このように「こういった見方もあるのか。。」と納得させられるところ・感心させられるところが本書のなかにいくつかありました。
神との契約のもとに道徳、規律、律法を重んじ、それを後世に伝え守り抜こうという民族性。それは、やはり、自国領土を奪われその後、放浪の身分であった彼らにとって民族として生存するために必須であったのでしょう。。 残念ながら我々日本人は、ユダヤの人びとと同じ土地で共存した歴史がありません。おそらく日本では、ユダヤ人というと、第二次関大戦のドイツでのホロコースト被害や、近年イスラエルが強硬する領土拡張やガザ地区での軍事行動ぐらいしか知らない人が多いと思います。帝政ローマとの戦争による民族離散(ディアスポラ)以降、自らの国(領土)を持てなくなった彼らは、お互いが離れ離れとなり、他の民族の社会に入り込(紛れ込)まざるを得ませんでした。結果として我々日本人にとっては、ヨーロッパの歴史の中に埋没するかのようにその存在が見えにくくなったのでしょう。(そのため、例えば「ドレフェス事件」のようなヨーロッパでは有名な冤罪事件も日本では知らない人が多いと思います。)しかし、彼らの人口の少なさ(1,620万人程度)の一方、ビジネスや金融などの分野では、彼らの存在感は圧倒的ですし、哲学、科学、芸術などの分野でもすぐれた人材(マルクス、スピノザ、アインシュタイン、バーンスタイン、、)を輩出しています。やはり彼らは優れた人々なのだと感じます。
(前述したように)ともすれば世界史の中で彼らの歴史は、埋没しがちな面もあると思うのですが(なにせ少数派なので、)しかし、彼らは優秀で、また、島国育ちで情に訴えがちな日本人とは全く異質な考え方・哲学をもっています。かつて藤田田さんが彼らのビジネスの流儀から多くを学んだように、現代の我々も彼らの歴史から学ぶことはとても意義があるのではないでしょうか。。この著者ポール・ジョンソンさん、多少ユダヤ人びいきなところもありますが、しかし、ユダヤ人の立場を尊重し、苦難や苦闘には同情し、理解をもって書いているので、ユダヤ人について学ぼうとする人や歴史初心者にとっては受け入れやすいと感じます。読むのに多少ヨーロッパの歴史の理解が必要ですが、彼らの歴史をその起源から現在まで一貫して、深く・重層的に知ることができる一冊です。
(*1)ヨセフス:(37年 - 100年頃)は、帝政ローマ期のユダヤ人政治家、著述家。66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃。後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した。
(*2)割礼(かつれい):宗教的または文化的な慣習として、男性器の包皮や女性器の一部を切除または切開する外科的処置を指す。
(*3)離散(ディアスポラ):この場合は、ユダヤ人が古代の祖先の地であるイスラエルの地から離れ世界各地に定住したことを指す。
0コメント